※学パロ
放課後の空気は妙に浮ついている。野球部の掛け声が遠くの方から聞こえて、吹奏楽部のトランペットがヤケクソの様に甲高い音を立てている。けれどもそれらの音は扉で遮られ、皆くぐもって聞こえたのだった。
「しつけェ女は嫌いだ。」
「まあまあ…。」
校医の居ない保健室。これ程サボタージュにもって来いな場所はないだろう。普段校医が留守の時には鍵が掛けられるのだが、実はこの扉コツさえ掴めば簡単に開けてしまえるのだ。閑話休題。
なにはともあれ、知っている生徒だけが知っているという秘密をこのトラファルガー・ローは当たり前の様に知っていて、当たり前の様にこの部屋へと『逃げ込んで』いたのであった。
「黙って使っちゃっていいのかな…」
「バレねェよ。…はァ…。」
「…あはは、お疲れ様だったね。」
ローがだらりと座ったのは部屋の奥にあるベッドである。電気を着ける事などせずに後ろ手で体を支え、天井を僅かに眺めていた。
「大丈夫?」
「…な、訳ねェ。なまえ、横座れ。」
「え、あ。うん。」
一人分、少し間を空けてスカートのプリーズを気にしながらちょこんと座ったのはローの昔馴染みのなまえである。幼馴染にしては出会ったのは随分と成長してからであった為、昔馴染み。この言葉で落ち着いている。
『いや幼馴染じゃん、それ。おまえらオサナナジミでいいじゃん。トラ男自慢かこのヤロー…!』
『うるせェ黒足屋。』
やけに絡んできたぐるぐる眉も今日は一層に浮かれているのだろう。ご自慢の料理の腕を最大限に振るい、クリスマスパーティーの準備に臨んでいる頃だ。…どうせその大部分は例の大食漢に消費されるだろうが。
「…ナミちゃんがメールくれたよ。靴箱のとこでロー君待ってるこが居るよー、って。」
「帰れねェ…。」
クリスマス・イヴに告白、という少女漫画を夢見ている女子がそこにも一人居るらしい。因みに教室、廊下にもそれぞれプレゼントを携えた女生徒がローが来るのを今か今かと待っている。そして積極的な生徒は自らローへと声を掛けて来るのであった。
ニヤニヤしながら出待ちがいるぞと教えてくれたのは、腹立たしい赤毛の同級生でローは取って返した様になまえの手を引っ掴んで逃げ出した…というのが事の経緯である。
「今日中に帰れるか、どうか…。」
ハイテンションな女子達を思い出してローは横目で少し下にある小さな頭を捉え見たのであった。きゃあきゃあと騒がない(その変わり泣き虫だが)そんな昔馴染みのなまえはうぅん、と何か考える様に小首をかしげている。それが何故かハムスターか、小鳥の仕草に見えて勝手に口元が弧を描く。
「ロー君が大変なのもよくわかってるつもり、だけどね。そのこの気持ちも何だかわかっちゃうの。」
ローの方に視線を向けず、俯いたままなまえがポツリと呟いていた。少し困った様に眉を下げて微かな苦笑を浮かべた顔をじい、と眺めてしまったローは一拍言葉が詰まってしまう。
「…。何故、そう思った?」
「好きな人と、特別な日をお祝いしたいって気持ち。それがすごく共感出来ちゃってね。」
「だから、話だけでも聞いてやれってか?」
悪態をつくつもりなんて更々無いが、不意に口から出てきてしまう。「別におまえを責めてるんじゃねェ。」と慌てて付け加えればなまえは何処かホッとした表情でほんの僅かに溜め息を漏らしているのだった。
「うーん…そう、なんだろうけど、ローがしんどくなっちゃうのも駄目だよ…」
「曖昧だな。」
「…そ、だね。」
「で、」
ローは後ろにあった重心を前へと移し、膝に肘を乗せて頬杖を付く。そのまま隣へと顔を向ければなまえの目線よりも少しだけ低くなって見上げる様に彼女の瞳を覗き込むのだった。
「うん?」
「…おまえはそういうやつ、いるのか…?」
「そういう…?」
「『特別』って野郎、が。」
「…ぇ、と、そんな急に、」
少し下を向いて耳を赤くしたなまえにもやもやした感情が巻き起こる。こんなちょっとした話題で照れてしまうなまえに指先が熱くなっていくのだった。
かたくなだった心をほぐした女はこいつ。いとおしく、顔がゆるゆると…とけていってしまうのも、こいつをみている時だけ。その心を乗せて真っ直ぐに伝えるのは眼差しと、ひとつふたつの声の音だ。
「好い加減理解しろよ、鈍感。」
「っえ、」
折れちまいそうな手首だ、と感じた次の瞬間にはなまえをその場に、シーツの上に押し付けていた。状況を数拍遅れて、漸く飲み込めた彼女は金魚よろしく口をあくあくと動かして瞳に涙を湛えている。
「ローくんはなして…っ、」
「鍵かけてベッドにいるって意味考えろ…。」
早口でまくし立てて、しかし囁く様にまろび出た声になまえは抵抗らしい抵抗もせずにぴくんと肩を揺らしてしまうのだった。ローは目を細めてからゆっくりと距離を狭め、しかし苦笑を顔に浮かべてから幼子にする様にコツンと額をくっつける。
「おれが女子から逃げる意味、いい加減わかれ。おまえと一緒にいる意味、わかれよ…。」
「ろー、」
「自惚れだ、なんて言わせねェ。おまえが想ってるよりもずっとおれはなまえを、おもってる。」
内緒話をするくらいの小さな声、しかし火花の様な情熱が篭った声であった。ローはその声音を唇に乗せて、なまえ涙と混ざり合わせる様に彼女の目尻に幼子じみたキスを降らせていく。
なまえは拒まない。ただ愛らしく体温を上げていくだけだ。
「…ロー、は、私と生きてる世界が違ってるみたいな、ひと、で、」
「どこがだ。今ここにはおれとなまえだけだ。今、同じ世界に居んのはおれらだけだろうが。」
「でも、えと、」
「…おれもあいつらと考え一緒だったな…。」
同じ穴の狢、ってやつかと歳の割りに随分とニヒルな口調で言い切ってそしてその面持ちを真剣なものに変えたのだった。
「なァ、おれのこと、嫌いか?」
逸らす事を許してくれない、あつい『おとこ』の視線はなまえの心を甘く痺れさせてしまう。とくとくと鼓動は駆け足で自分勝手に体中を巡っていってしまう。
「…そっ、そんな事ない…っ。」
「そうか。」
首筋までに真っ赤になってしまったなまえにローは嬉しさを隠せなかった。喜色は目尻にも現れて、なまえとの距離をゼロにしてしまう。
「っ、あ。」
「なまえ…、ハ、ァ…ッ…、」
初めて口付けは場所は頬だった。ふわりとした洋菓子よりも極上の触り心地と温かさにローは艶やかな吐息が堪え切れず漏れ出てしまう。目尻の涙を掬い取り、額に唇を寄せればふるふるとなまえは小さく身じろいで愛らしかった。
「好きなんだ。」
拒まないなまえの耳元で小さく。けれども何度も好きだ、と呟いてしまう。その度に彼女は律儀にも頷いてくれて、殊更に愛おしさは膨れ上がる。
「帰りおれんとここいよ。渡してェもんがある。」
本当は渡す時、全部言うつもりだったが早まっちまったな。そう苦笑してからローは覆い被さる様になまえを抱き締めたのだった。
「…わたしも、…ローにあげたい。…受け取ってほしいものが、あって、その…っ。」
「なんだ、おまえもだったのか。…なんで言わなかった?」
「貰ってもらえるか、不安で、」
「ばか。」
珍しく喜色を口角に湛えたローはじゃあうちに来た時に全部頼むとわらった。贈り物も、すき、という言葉も、なまえ自身も全部くれ。と二人っきりの保健室で秘めやかに囁いたのだった。