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四番隊長の変わり様

  入道雲が立ち昇っているから、夕暮れ時には一雨くるやもしれない。ジリジリと肌を照り付ける陽射しであったが、それすらなんのその機嫌すこぶる良いコックは締まりの無い顔をおっ広げていたのである。

「…鬱陶しいよい。」
「ひでェな。」

  口では文句を言っているがさして気にする様子無く、寧ろ破顔してしまったコックである。気のいい性分なのは元々であるがそれを差し引いても今日の『これ』は長い付き合いのマルコですら、やに下がった表情に半歩足を引いてしまった程なのだ。
  浮かれ過ぎたニヤニヤ顔を見せつけられてはさもありなん。随分と歳下の恋人が出来てからコックはもっぱらこんな調子であった。

「まあ聞けよマルコ、というか聞いてくれ。じゃないと胸がこう、一杯になって張り裂けちまいそうになるんだ…!」
「張り裂けちまえ止めやしねェ。」
「投げやりになるなよ、おまえにもいい子が出来るって。…あ、でもなまえちゃんはおれの可愛い女の子なんだからな?なまえちゃんは駄目だぞ。」
「サッチてめぇホントどっか行っちまえ。」

  アイスコーヒーのグラスがマルコの不機嫌に合わせる様にコロンコロンと音を立てる。しかしその眉間の皺その他諸々をまるっと無視したサッチは「だってここ食堂だし?おれの仕事場だし?」と氷がぎっしり詰まったグラスを軽く振ってみせる。

「昨日買い物行った訳だ。なまえちゃんとお買い物デート、いやぁ楽しかったね。なまえちゃんってば何なのあれ可愛いが一杯詰まってるの?何なのおれをキュン死させたいの?ってくらい可愛いかった。」

  これが『あばたもえくぼ』ってやつだろうか。ぼんやりとなまえの輪郭を思い出してはマルコは氷を一つ口にしてごりごりと噛み砕く。至って何処にでも居る平々凡々な女である、話題のなまえという女は。剛毅な女傑でも見目麗しい令嬢でも無い、強いて言えば少々控えめな性格…ぐらいだろうか。

「なまえちゃんはさ、遠慮がちじゃん?だからお洋服とかアクセサリーとかどんなのがいい?って聞いても『前に買って貰ったから』とか言っちゃうのよ、もうすごくいい子!」

  キャーサッチさん、そんな事されたら悶えちまうよ!とワザとらしく妙な作り声と共に両手で顔を覆ってしまう。

「おれがなまえちゃんにあげたいの、つっても『サッチからプレゼントされた物はどれも大切で、無くしたりしたら怖いし嫌だから』って困った顔で微笑うんだ…ちょういい子、流石おれのお嬢さん。」
「マメな性格だねい。」
「ホントこまめなんだこれが。それによく気が付くし…『この食材どうかな?』とか『綺麗なお皿が売ってるよ』とかおれの事優先するんだ、何あの子、何食べたらあんな子になるの?」
「なまえの台詞、一字一句覚えてんのかい。」
「たりめーよ。」

  グラスの中身を半分程飲んでからマルコは溜息混じりの半笑いを浮かべたのだった。随分と真剣に堂々と答えるサッチは真顔から直ぐニンマリと微妙な笑い顔に戻す。

「今までの相手とはホント真逆でさ、なんかおれ、おっさんなのに若造に逆戻りしちまった気分になんの。」
「そりゃあ初耳だよい。…サッチおめェ、今までどんなのとよろしくしてたんだ。」

  毒を食らわば皿までと、マルコはそんな台詞を投げ掛けていた。長い付き合いだか男と女のあれやこれを一々詮索する趣味で無し、野郎の恋愛事情など知ってどうする。

「え?そりゃあ…こう…ばいん、ぼいんで、ちょっと気の強いおねーちゃん?」
「成る程ねい。…。」

  力一杯納得したマルコにサッチは堪らず顔をしかめて、次いで苦笑いするのだった。
  まあなァ、納得されるだろうよ。なまえと出会って趣味が変わったんだよなァ、こう思ったらなまえちゃんの存在っておれの中ででっかいんだよなァ。と一人しみじみとする。

「今は勿論なまえちゃん一筋だぞ。」
「見りゃ分かる。よかったな。」
「そりゃどうも。」

  そんなに好きだ好きだ言っていれば、と心中のたまうマルコである。そのまま遂にグラスを空にしてしまって「結局何か買ってやったのか?」と何となしに疑問を投げ掛けた。

「あァ、一騒動あって結局何も買わず終いだった。」
「一騒動?」

  サッチはコクリと頷いて自嘲の笑みを一瞬口元に作る。切り出す言葉をどれにしようか考えあぐねて、ようよう口を開くのだった。

「昨日の島、ちょくちょく寄ってたろう?」

  もとよりナワバリの島の一つである。古くから付き合いのある島で行き着けの酒場では店主と冗談を飛ばす程度には仲が良かった。当然クルーの中には『それなり』の関係になった者がいようと可笑しくは無いが…まさかそれが目の前に居ようとは。

「アレだ、一昔前にワンナイトカーニバルしたんだよ。それはそれは綺麗なお姉ちゃんと。で、なまえちゃんとお買い物ん時に、」
「再開しちまったと。」
「ご明察。」
「火遊びするテメェが悪い。」
「仰る通りで…。」

  そういえばこいつ一時期酷かったな、そっち方面がとマルコはまだまだ若造と呼ばれていた時代を振り返る。女に誘われるなら誰彼構わずふらっと着いて行く、そして明け方の朝飯の仕込み前に船に帰って来る。今となってはなまえに構って構い倒して周囲からウザがられる程だが、昔はもっと淡白な人間だった。

「後はもう這々の体で、船まで帰ってなまえちゃんに平謝りしたってオチだ。…なァマルコ、どうやったらタイムスリップ出来るのかね?やんちゃなサッチ君をどつき回したいんだ。」
「知るかい。」

  ごっそさん、とグラスをテーブルに置けば傍にいたサッチは演技ぶった動きで肩を大きく落としてみせたのだった。相当己の迂闊さがこたえているのだろう。

「なまえなら知ってるんじゃないか、なぁ?」
「うん?」
「遠慮せずに入って来なよい、おめぇさんの相方がジメジメしてる。」

  随分前から外にいるの、気付かなかったのかい。と後ろ頭を掻きながらマルコは食堂のドアを躊躇いもせずに開けるのだった。ドアの横、壁を背中につけて無言を貫いていた女はその声と蝶番が鳴る音に大きく肩を跳ね上げるのだった。

「え、うそ、いつから?てか今の聞こえてた…?」
「うん。ごめんなさいサッチ、盗み聞きしちゃって…。」

  悪戯が見つかってしまった子どもの様に体を縮こまらせて食堂に入ってきたなまえは「たくさん褒めて貰えて嬉しかったから…つい、」とサッチに口を開くのだった。

「それに、それだけだとマルコさんが誤解しちゃいそうで…。」
「誤解?どれが?」
「あー…なまえちゃん、男には隠しておく方がカッコイイっていう美学があってだね。」
「えっ、」
「ふうん、聞かせてみろよい。中途半端だと気になって仕方ねェ。」

  にいっと片方の口角を上げたマルコにサッチは「興味無いっつってたのは誰だよ」と愚痴を零していた。サッチの文句は当然黙殺、なまえを背中に隠し始めたイイ歳のおっさんにマルコはいよいよ腹が捩れそうになる。別に取って食やしねェよい、仲間の『相方』なら余計にと、垂れ目を下げるのだった。

「あの、ですね。」

  白いコックコートからひょこっと顔を出したなまえは話を順序立てているのか僅かに思案して『這々の体』と言ったマルコの台詞から切り出したのだった。

「女の人がこっちに近付いて来たって時はもう、サッチが私を庇ってくれてたんですよ。『あっちに行こう』って言って…鉢合わせないよう誘導してくれて。…私がもたついてしまって女の方と出会っちゃいましたが…。」

  申し訳なそうになまえは眉をハの字にしてしまえば、サッチも釣られてしまったのか何とも奇妙な表情をみせていた。小っ恥ずかしいのとなまえが自身についての話題を語る嬉しさ諸々…止めるに止めれないコックは両手を持て余していた。

「女の方からお酒の匂いがしたので…酔っ払ってらっしゃっていたみたいなんです。そのままサッチの名前を呼んで…えー、その気が立ってらっしゃっていたみたいで。何か言わないと、と思ってたらサッチがかっこよく助けてくれたんですよ。」
「わーっ、わーっ!なまえちゃんヤメテ恥ずかしい!」

  「今夜付き合って?」とサッチに挑発的に微笑んだ艶姿がなまえの瞼に刻み込まれてしまっている。隣に居た自分をサッチに向けるそれとは違う『挑発』で見つめて…なまえがこれが所謂修羅場、と理解したのはワンテンポ後だ。小説などで見かけるシチュエーションだがいざ実際自分の身に起こると中々声を発せらないものだった。

「その女の方には、結果的に当てつけになってしまったんですけど…正直な気持ちを言えばすごく嬉しかったんです。」

  困ったようにふにゃりと微笑うなまえに辛抱堪らなくなったのか小っ恥ずかしさが勝ったのか。この男、普段ヘラヘラとしている癖に諸手を上げて褒められるのは羞恥心を掻きたてられるらしい。

「サッチが言ってくれた事しっかり記憶に刻み込まれちゃいましたし。」
「へェ、こいつどんな気障ったらしい台詞吐いたんだよい?」
「『君は確かに魅力的な人だけど、おれには絶対に裏切れない人がいるんだ』って言って抱きしめてくれたんですよ。」
「うっわー!やめてェー!」
「きゃっ。」

  もういいから、恥ずかしいから!となまえを腕の中に引っ張り込んで耳朶をほんのりと染めてしまったコックにマルコは僅かに瞠目して…それからなんとも愉快、といかにも言っている眼差しを向けるのだった。

「…自分でもクサい台詞かなぁ、って思うんですけど、サッチに大切にしてもらえてるんだなぁ…と実感しまして、ハイ。」
「ほぉ。ふうん、そうかい。」
「『飲み過ぎないように、自分の体を大切にな』ってサッチが言ってくれてその人とは離れました。後はずっとサッチが手を握っててくれて…ビックリしてたのも直ぐに落ち着いたんです。」
「テメェ、マルコ、何だよその顔。」
「…さてねぇ?」

  そこまで惚れたおんなに言ってのけちまうとは…おまえも変わったもんだ、とはあえて言ってやらずマルコは口元に見事な弧を描いてみせたのだった。
  そして本当に嬉しかったのだろう、いつもより饒舌ななまえは小花を散らしている様な微笑みで腹に腕を回すサッチに自分の手を添えていたのだった。

「きゃっ、ごめんねサッチ、ひゃ、でも本当の事を説明したくって…」
「…なまえちゃんだからいいよ、あー…マルコ、他のやつには言うなよ…。」

  なまえの背中にのし掛かりおんぶお化けになってしまったサッチは嬉しさと小っ恥ずかしさでポンパドールを乱れさせてしまっていた。己の中途半端なケジメの様なものだったのになまえがこんな反応をするなんて思わなかったし、目の前のパイナップル頭はニヤついているし…久しぶりにこんなに照れた、と彼女を抱き締める力を少しばかり強めたのだった。

  まあこの話をした日の夕飯がたいそう豪華だったので、悪い気はしていなかったのだろう。


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