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外科医の悪夢
※十万企画&かいぞくちゃんねる2の補足的なお話



『好きな人ができたの、ローよりも好きになっちゃって。だからごめんなさい、ごめんね、ロー。…さようなら。』

「…っ!!」

  真っ暗な部屋、ベッドの上で目を覚ます。衝撃の強さに勢いよく上半身を跳ね起こしたらしい。どくどくと喧しい音は男の胸の中から聴こえ、指先は他人のそれの様で勝手に小刻みに震えていた。
  ここは、何処か、と寝呆けた頭を動かして…阿呆か、と溜めに溜め込んだ重苦しい息を吐き出したのだった。
  ここは寝室だ、しかも己の部屋の。

「ゆめ、か、」

  背中に張り付いた汗の数がなにより乱れた心を表していた。襲う夢見の名残りは今も名前も付けられない恐怖を飾り立てて、体を掻き回されたかの様な忌々しさは頭痛と吐気を引き連れて来た。
  ただの夢だ、あんなもの、と頭を振っていても本能は正直なもので男は慌てて隣を見降ろして確かな温度を確かめる。
 細い手首を掴んで…そこでそれ以上何も考えていない事に気が付く。勿論掴まれた彼女は身じろぐ、余りにも掴む男の手が冷たいので夢路から抜け出るなど造作も無かった。

「…ロー…どぅしたの…?」
「なまえ…、」
「…?」
「なまえ…!」

  なまえ、と呼ばれ「なあに?」と応える前にはもう体は男にすっかり抱き込まれてしまっていた。すっぽりと仕舞い込まれ、気が付けば男と共にシーツの上に転がっていた。

「…ど、うしたの?」
「なまえ、」
「…うん。」
「なまえ…」

  体格の差が否応なしに分かる、この男は随分と大柄なのだ。その男が背中を丸め音も無く女を胸の中に閉じ込めている。まるで隠そうとするかの様な、若しくは…何かを求めている、ような。
  女の見るもの聞くもの、その凡そがこの男にもたらされるものだけになってしまっているので余計に分かるのだ。

「もしかして…ロー…夢見が悪かった?」
「…。」
「そっか。」

  無言、とはつまりそういう事なのだろう。その代わり腕の力が強まったのでなまえはこの男の好きなままにさせていた。
  じっとりと男が汗をかいている、心音がいつもよりずっと駆け足だ。体を寄り添わせているのに不満などありもしないが、普段と違う男の姿が心配で何時の間にか気が気でなくなってしまう。

「…怖い夢は誰かに喋っちゃうといいんだって。」
「言いたくもねェ内容だったらどうすればいい。」
「酷かったんだね…。」
「…あァ…。」
「なら無理して言わないで。…ね?」

  声の末尾が微かに震えている。抱き込まれているから顔が見えないのでどんな表情をしているのか分からない。…いや、見せない様にもしかしたらこうしているのだろうか。
  なまえからすれば、顔を見て「大丈夫だよ。」と震える体を抱き締めたかった、が矢張り男の行持が許さないのだろう。有無を言わさぬ腕の力は緩まる気配すらみえない。
  不安でしかたない、と言っていると同じだ。男の今のこの姿は。

「まだ、このまま…」
「うん。」

  愛しいひとの、温度が低い肌と自分の肌を重ねていれば体温を分かち合えないかと希う。男の心臓がゆるやかに戻る事を願いながらなまえは頬をそろりと厚い胸板にひたりと寄せたのだった。

「ロー。ねえ、ロー…?」
「なんだ。」
「今何時くらい?」
「四時、過ぎ、だった。」

  目の端に一瞬だけ映った数字を曖昧なままなまえに伝えた男は、柔らかな女の体温をひたすらに確かめていた。
  ここになまえがいる、どこにも行かせたりするものか、いやなまえならば『あんな事』絶対に言わない言うものか。己の前から『居なくなる』なんて。

「眠たく…ないよね。」
「…そうだな。」
「じゃあ、何かお話でもしよっか?…してもいい?」
「話?」
「はなし。」

  「とくべつの、お話。」となまえは男の心臓に注ぐ様に呟いた。心の引き出しから宝物の言葉を丁寧に取り出し、かの男の不安を拭う音を選ぶ。

「…私のとびきりの。」
「聞かせてくれるのか…?」
「うん。」

  なまえの頭の天辺に頬をくっ付けた男は「どんな内容なんだ?」と幾分落ち着いた声で彼女の台詞を待つのだった。さながらお伽噺を待つ子とその母、の構図であるが見てくれは『子』の方が図体がでかい。おまけに男と女は親子などではない。

「…それじゃあ、話すよ。」

  むかしむかし、となまえはほの甘やかな声を閉じ込められた腕の中で紡ぎ出す。
  あるところに、小さな女の子が住んでいました。ある日お父さんとお母さんと一緒に、いつもより遠いお出掛けをしました。初めての場所はどこもかしこも珍しく女の子はあっちをきょろりこっちをきょろりしていましたら…お母さん達とはぐれて迷子になってしまっていたのです。

「迷子…。」
「うん。五月の気持ちいい風が吹く日のことです。」

  女の子はさみしくて、知らない所だから怖くてとうとう泣き出してしまいました。そうして暫く道の隅っこに蹲って泣いていましたら、「どうしたのか?」と知らない男の子が声を掛けてくれました。
  女の子が迷子になった事を話しましたら男の子は一緒にお母さん達を探そうと、手を繋いでくれたのです。
  女の子はとても安心して、今度は安心した所為でたくさんたくさん泣いてしまったのです。けれども男の子はハンカチを取り出して丁寧に丁寧に頬っぺたを拭いてくれました。

「…おい、」
「ね、ロー…?手を繋いでも、いい?」
「…こう、でいいか?」
「ありがとう。…ローの方が冷たいね。」
「子ども体温じゃねェからな、おれは。」
「ふふっ、そうだね。…じゃあ続き話すよ。」

  女の子は泣いていたらいつも怒られたり、溜息をつかれたりされる方が多かったのでとっても嬉しくて…また泣いてしまいました。
  二人はお手々を繋いであちこち歩き回って、お母さん達を探しました。男の子は女の子をたくさん励ましてくれ、女の子も元気を取り戻しました。
  そして空が茜色になった事とうとうお母さん達を見つけたのです。
  最後に名前を聞くのを忘れてしまい、次の日はもうお家に帰ってしまいましたので女の子は男の子と会う事はありませんでした。
  男の子と出会ったのも夢物語のようでしたので…女の子は男の子の事を、心細さから生み出した『幻の住人』と何時の間にか思い込んでしまっていたのでした。

「けどね、たくさんなぐさめてくれた事おまえは何にも悪くないって言い続けてくれた事は忘れられなかったよ。…今もこうして大好きだって抱き締めてくれてる。」
「なまえ、」
「ずっと私を探してくれて、あいしてるって伝えてくれる人がいる。こんなに幸せな事って他にないよ。だから私も同じくらい、それよりもっと…かな、あいしてる気持ちをおくりたい。ローに似合う人になりたいって頑張りたくなる。」

  ローのおかげで今の私がいるの、と胸の内でなまえは頬を緩める。

「迷子になったあの日、ローと出会えてよかった。っていう私のとっておきの、お話でした。」

  なまえと繋いだローの手は少しだけ温くなっていた。彼女の温度が移ったのだろうかそれとも、他か。

「勝手にフィクションにしちゃっててごめんね。」
「思い出したからいい。」
「うん。ありがとう…。」

  ローはふっ、と篭ってしまった力を抜く様に吐息を漏らして腕の位置を変えるのだった。なまえに絡めていたそれを解き、今度は腕枕をしてゆるゆると柔らかい髪を梳いてやる。

「そういえば、どうして私の名前知ってたの?」
「…おまえの母親が『なまえ』って呼んでたからな。」
「ああ、なるほど…。」
「…おれも、話してやろうか?」
「なあに?」
「五月のある日について。」
「前に話してくれたの?」

  なまえが夢物語に沈めてしまった記憶を掬い上げる為につらつらと言葉を繋げた場所は、確か大学近くのファミレスだった。しかしローは陽気なメニュー表ごとその記憶を振り払って「とっておきの話だ」と囁く。

「…あの日、なまえと会う前に、酷く怒鳴られた。言葉尻までは覚えちゃいないがガキのおれには『おまえは要らない』と捉えて、家から飛び出したんだ。」
「…そう、だったの…。」
「そうこうしていれば、泣いてるなまえを見つけた。…覚えてないか?一度目が合って、ほっとく訳にもいかなくなって声を掛けたんだ。」

  そうして一緒に歩き出したら、おまえ何を言っていたと思う?ローは飛び起きた頃とは別人の様な口振りで問い掛ける。
  お兄ちゃんが一緒に居てくれてよかった、お兄ちゃんがいるから大丈夫、一緒だから怖くない。お兄ちゃんありがとう。
  今の今まで欲しかった、喉から手が出る程求めてた言葉を全部なまえがくれたんだ。

「私、そんな事、言ってたの…」
「ファミレスじゃ『おまえの言葉に励まされた』としか言ってないからな。」

  あの時の、言葉がどれ程衝撃的だったか。記憶に刻み込まれてなまえの存在が光できらきら輝いて見えた。『こいつじゃないと駄目だ。』と主語も分からない漠然としたもので心を埋め尽くされたんだ。

「このままお母さんが見つからなかったらおれのお嫁さんにしてやる、一緒に住もう。で締めくくったところで…なまえの両親が見つかった。」
「『お嫁さん』は、ファミレスで教えてくれたね。」
「ませた、捻くれたガキだった。」

  けれども、おまえの存在があったから腐る事無くおまえと再び巡り会えた。なまえの隣に立てる人間であり続けたい。

「おまえと出会えて、おれは幸せものだ。…そういう話だ。」

  なまえの言葉を少し借りて、ローは口元に弧を描いたのだった。
  気が付けば恐怖は夜空と共に朝日が…いや、なまえが溶かしてくれていた。
  こんなにも愛しさの言葉をおくってくれるおんなの、どこを不安に、どこを疑問に感じようか。
  悪い夢は消え失せた。
  もうじきに、柔らかな陽の光がきらきらと降り注いでくるだろう。


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