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モモンガさんちが海軍へ

ベッドの上で体を起こして薬を飲んだ妻を見守っているのは壮年の夫であった。…妻が、風邪を引いてしまったのだ。
彼女とはそれなりの付き合いでこれが初めての体調不良、という訳では無いのだがこほこほと咳き込む小さな体に大柄な夫はベッドサイドに座ったまま、眉をこれでもかという程情けなく下げてしまう。

「なまえ、大丈夫か…?」
「っこほ…っ、」

見た目の作りが違い過ぎるのだ、こんなに細い体でこれ以上咳をし続けたら折れてしまわないか?と捻じれた思考となってしまった夫は無意識に彼女へと手を伸ばしていた。

「背中をさすろう。これで少しは楽になれたらいいんだか…」
「ありが、と、ぅ…」
「いい。喋らなくて、いい、辛いだろう?」

体を丸めてひゅうひゅう、と喉を痛々しく鳴らすなまえをとどめ、背中を撫でてやる。細心の注意を払い再び横に寝かしつけてやると妻は申し訳なさそうに眉をハの字に下げてしまっていた。

「おれがしたかった…それだけだ。ゆっくり養生してなまえの元気な声を聞かせてくれ…ちび達にもな。」

夫の視線をなまえが辿ると、その先にはドア。そこから恐る恐る隠れる様にして覗く小さな二つの影に妻は涙混じりの瞳をふわりと弛めていた。

「そ、だね、」

何時もよりも体温の高いなまえの髪を梳いて、夫はドアの方へと口を開いた。
…優しくて泣き虫な我が子達は母が心配で仕方ないらしい。

「リンクス、ウォルフ。心配なのはわかる。が、風邪が移ったらいけないから入るんじゃないぞ…」
「「…!?」」

何でバレたんだろう?と何で入っちゃ駄目なの?という二つ分の感情が表情は見えなくともなまえには手に取る様にわかってしまう。二人ともきっと泣きそうな顔をしているに違いない。

「治った、ら。いっぱいあそぼ、ぅね…」
「おかぁさん…」
「心配して、くれて、ありが、っごほ、っ…!」
「なまえ、ちび達はおれが見ているから、頼む。休んでくれ…」

懇願じみた夫の声に口が勝手に止まってしまったなまえは一度だけ大きな手を握って「モモンガ…お願いね…」とだけ掠れた声で囁いた。

「あぁ。ゆっくり休め。おれは本部に出向かねばならんが…看病は手配したから安心しろ、な?」
「わ、私一人でも、へーき…」
「…駄目だ。」

ただの風邪なのに、という妻を過保護な夫はその台詞を切って捨てると彼女の頭を子どもにする様にぽんぽんと撫でた。それから名残惜しげに夫はすくりとベッドサイドから立ち上がる。

「母さんをしっかり寝かせてやろう。おまえたちは今日はおれと一緒だ。」
「へぇ…っ?」
「いっしょ…?」

ドアを予告無く開けられて直立不動となった姉弟の前には目尻を幾らか下げたの大きな大きな父親がやって来ていた。



「ーー広いお部屋だね。」
「そうだねぇ、お姉ちゃん…」

昼までこの部屋で待っていろよ。と父に言われて連れられたのは海軍本部。その話は母から聞いたこともあるし、遠目で見たこともある。
しかし足を踏み入れたのはこれが初めてだ。昼飯に戻る、食堂に行くからな。と言い残して仕事へと向かった父を見送ったのはつい先程だった。

「…おねぇちゃん…」
「なぁに?」
「ヒマだねぇ…」
「…うん。」

机と椅子と難しい本と。それくらいしか無い部屋の時間は随分とゆっくりと流れるものだ。困り顔を付き合わせて椅子に座ってみたものの、暇であることには変わらない。
なまえがいたならば絵本やら玩具やらを用意してくれたのだろうが…生憎父はすっかり念頭から抜け落ちてしまっている様子であった。

「おねぇちゃん、おねぇちゃんっ、」
「どしたのウォルフ?」
「おしっこ…」
「ぇ、え、」

特に何もしないまま、ぼへっと窓から見える空を眺めていると弟が何処かソワソワしながら姉の服を引っ張った。何事かと小首を傾げた姉だったが、はばかりを訴えられて硬直する。

「もれる。」
「あ、ぇ、と、トイレどっち…?」

これは慌てた。粗相をやらかしてしまったら父にメイワクが掛かるし弟も恥ずかしいだろう。

「トイレ探そう…!」

手を握り合い、大きなドアを開いて矢鱈長い廊下を小走りで進み始めたのである。困った困ったと一番泣きそうなのは姉である。

「ん?どうして子どもがこんなとこに。」
「ひっ!?」
「ガイコツだ…!?」
「??」

そんな折、曲がり角ですれ違った大きな男を見上げてしまったのがことをややこしくすることとなる。その強面というか恐ろしいまでの顔面に凍り付いて、がくがくぷるぷると震え出してしまった。

「「おばけぇー!!」」
「なんだと化け物が!何処だっ!?」
「お母さんんんっ!!」
「おと、…おかぁさんんん!!」

ぴーぴー泣き出してしまった姉弟は手を握り締めたまま真逆の方向に走り出してしまった。

「…何だったのだ、一体。」

大佐、Tボーン。気心穏やかな御仁であるがそれを一切合切帳消しにしてまう容姿の持ち主であった。

「ここ、どこぉ…」
「わかんない、」

余りの驚き様に出るものも引っ込んでしまった弟と、今だ困りっぱなしの姉は途方に暮れていたのだった。迷子に、なってしまった。

「おねぇちゃん、ぼくたち探検ごっこしてるの?」
「たぶん、違うと思う…」

先程から目の付く部屋を開けては閉めを繰り返している。あの部屋を探しているだけなのだが、どうにもこうにも帰れてはいなかった。代わりに開け閉めの途中でトイレを発見したのでこれは幸運だった。

「なんで誰もいないのかな…」

それもその筈、ここは上層部の将校達の執務室が固まっている階である。知らぬが花とはまさにこの事であろう。ちょろちょろと歩き回っているが実は元の部屋から離れて行っている。

「おかぁさんとこに帰りたい…」
「…、」

遂にぐすぐすと弟がベソをかき始めてしまった。そして姉の方も最初は我慢して弟を宥め様としていてもそれにつられてポロポロ涙を零してしまったのだった。

「うぇっ…ぐすっ…」
「ふぇえっ…」

泣き声だけが廊下に響いてその内に歩みまでとうとう止まってしまったのだった。

「なんだ?…おまえらか?どうしてこんなところで…。」
「ぅぇ…?」

不意に聞こえた声に素っ頓狂に驚いたのは姉である。再び大きな人物が目の前に現れ、そっと顔を上げれば、

「お父さん…?」
「おとうさぁぁんっ、」
「おいおい…ウォルフ、姉さんよりも泣き虫じゃないか。」

父は弟を抱き上げ、そのまま肩車をしてやる。姉の方もひょいっと片手で持ち上げるとテクテクと歩き出してしまうのであった。

「おれを探してここまで来たのか?」
「…帰るお部屋わかんなくなっちゃったの…」
「誰かに教えて貰えなかったのか?」
「…お父さんにメイワクかかるかと、おもって…」
「そうか…頑張ったなリンクス」
「ん。」
「至らん父で、すまん。」
「イタラン?」
「まだまだ勉強不足だな、お互いに。」

そう言いながら娘の頭を撫でると嬉しそうに、うんと頷いてぺとりとくっ付いてきた。息子もぎゅっとしがみ付いて来て、二人分の温度が大きな体をあたためる。幾ら仕事とはいえ、幼い子ども達を二人ぼっちにしてしまった罪悪感がひしひしと襲ってきた父であった。
午後からは執務室に連れて行こう。

「お化けがいたんだよ…」
「…Tボーンがそういえば来ておったな…」

帰ってから話の種に今日の出来事を妻に教えてやるのも一興かもな、と結論付けて父は長い足を存分に使って歩き始めたのだった。
昼飯を食って何か甘いものでもコックに頼もうか、そんなことを考えて父親はその温もりに微笑んでいた。


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