『ここじゃ、ここ!』
『可愛いお庭ですねぇ…』
『これか?嫁さんと娘っこの趣味じゃい。』
やいやいと家の中からでも聞こえる声に一番最初に気付いたのは矢張り、何時も父の帰る音をたちどころに聞き分けてしまう娘であった。両親達も大きな声の主の到来にどちらとも無く笑ってしまった。
らしいねェ…と言い、そうだねと返す。それでも親二人は不快さなんて微塵も浮かんでいなかった。
「お父さんっ、ガープおじいちゃん来たみたい。」
「んー…ガープさん一人だけって話だったんだけどねェ…まぁいいか。」
次に玄関の向こう側から聞こえたのはピンポンという軽快な音。
それ押さなくても全部聞こえてますよ。という言葉を喉の奥に引っ込めて、父親は幼い娘に急かされつつ客人を出迎えにスリッパを鳴らしたのであった。
「よーこそ、」
「昨日ぶりじゃなァクザン。…遊びに来たぞ!おちび!」
「おじいちゃんっ!」
玄関を開いてすぐ。恒例である。出会い頭玄関にて娘とがっしり!と抱擁を交わすのは父親が恩人と敬う古老であった。
筋肉隆々の体から繰り出される高い高いをしてもらう娘はきゃっきゃと全身で喜びを顕にしている。
「ほーれほーれ!」
「いらっしゃいませ、ガープさん。この子ったらすごいはしゃぎよう…いつもありがとうございます。」
「わしも楽しんどるからの、それより変わりなさそうで何よりじゃなまえちゃん。」
「はい。ガープさんもお元気そうで、」
遅れて出迎えに出てきたのは大喜びする娘の母である。昼ご飯食べるから頼んだぞ、という古老の言葉に腕を振るっていたのだ。
「ええと、そちらの方も…初めまして。」
「はい、初めまして。コビーと言います。大将殿のお宅に招いていただけるなんて光栄です…それで、これ、つまらない物ですが。」
一度ぺこりと頭を下げ、紙袋を差し出したのはスラリとしたしなやかな体付きの、桃色の髪が印象的な青年である。そんな緊張した声に応えたのは気の緩んだ様子を全面に押し出した父親であった。
「堅苦しいの嫌いだし、楽にいこうや。どうせガープさんに引っ張られて来たんだろ?」
「えー…、…はい。」
どこか困った様な笑い顔に、だと思った。と肩をすくめる父親の隣でくすりと小さな笑いが聞こえてきた。
「いつも元気な方だものね。」
「そーさな。そうそう、紹介が遅れたけど…」
大将と呼ばれた父親が目線を下にずらした。青年がその後を追えばそこにいるのは小柄で柔らかな面持ちの先程の女性。
「私、なまえって言います。何時も…夫、がお世話になってます。」
「…おれの奥さん。とはしゃいでるのがうちの子、」
夫、と言うのに気恥ずかしさでもあるのだろうか、それでも柔さを無くさないなまえにする、とごく自然に細い肩に手を回すのは海軍大将である。
微かにくりくりとした瞳で瞠目したのは青年の方であった。見たことも無い程の穏やかな…そう、掛け替えの無いものを見守る眼差し。眦は奥方とはしゃぐ娘に向けられ、この男はあの『青雉』と恐れられる人物とイクオールで結び付けていいものか分かり切っている筈なのに、迷った。
「ほら、ライムもご挨拶しよう?」
青年の少しだけの戸惑いを露とも知らず、大人しく夫の腕に抱かれているなまえはガープに肩車されていた娘に挨拶を促す。
「コビーお兄ちゃん初めましてー!」
元気一杯の無邪気な笑顔に名前を呼ばれた青年は破顔した。そう呼ばれるのも随分と懐かしい。
「こちらこそ初めまして。」
「うんっ、コビーお兄ちゃんも海兵さん?」
「そうですよ。」
「すごーい、かっこいいっ、」
「何だか照れますね。」
「おお、下っ端が何か言いよったぞ、」
「…一応そいつ曹長だけどね。」
「ぶわっはっはっは!」
「…精進します、はい。」
「おじいちゃんお兄ちゃんいじめちゃダメ!」
「おおぅ?」
青年コビーのお人好しで、そして邪気の欠片も無い爽やかな笑顔に子どもが懐くのは…実に自然な流れである。
「お兄ちゃん、お兄ちゃんっ、」
「はいはい、なんですか?」
「これどーぞ!」
「わぁ、取ってくれたの?ありがとう、ライムちゃん。」
「えへへ…っ」
そのコビーに対する懐きっぷりはその後、食事の席で物の見事に開花してしまっていた。
身近にいない『お兄ちゃん』に大喜びで、大皿に持った料理を小皿に取り分けて差し出す。ーー若干形は崩れているが。
しかしコビーはまるで気にしてはおらず顔を綻ばせて幼い手から皿を受け取っていた。なまえにも「美味しいですありがとうございます」とまめに頭を下げ、パタパタと料理を運ぶ姿に手伝いを申し出ていた。
全く、実によく出来た青年である。
「いえいえ、お客さまですから。それにこの子の相手をしてくださってありがとうございます。」
「いえ!何でもお手伝いしてくれて、寧ろぼくがお礼を言わないといけませんよ。」
「ふふっ、…素敵なお兄ちゃんが来てくれてよかったね。」
「うん!」
幼い少女の満面の笑顔に大人達は大いになごまされてしまうのであった。座った椅子の上で幼い両足をぷらぷらと機嫌良く振って、母の声で更に笑み崩れる。
「わしの分は無いんかの?」
「はあい!おじいちゃんのも取るよ!」
「張り切っとるのォ!」
ガープとコビーの間の席でせっせと頑張る姿になまえは、この子も大きくなったなぁと感慨深く目を細めた。何でもやりたがる時期もこんな感じだった、と懐かしさを憶えて自分もまた微笑みを零す。
「さてと、」
メインも運んだし私も座ろうかなと夫の隣の椅子に視線を向けたのだが、
「…えー、と…クザン?」
「…なーに…」
「眉間に、皺が。」
「なまえ伸ばして…」
テーブルに突っ伏した夫がそこに居たのであった。なまえの声でのったりと顔を上げればその眉間にこれでもかと皺と不機嫌を張り付けている。長いことそのままだったのだろう額が少しばかり赤かった。
「ライムおれのこと、忘れてるんじゃないの…」
「今、大忙しだから。」
「なまえ…構って頂戴よ…」
「はいはい。」
不貞腐れし切ってしまった夫になまえは微苦笑して、隣の椅子に腰掛けた。きしりと木製の音が鳴れば忽ち夫は細い腰に腕を回し、ハァと溜息を付く。小器用に体を傾け、ぽすんと細い肩に頭を預けていた。
「わ、」
「どーせ見てない見てない。…楽しそーにしちゃってまァ…」
間に無理矢理ねじ込んで入るのは流石に大人気ないわな、とぼぉっとして娘達を眺める。
「むすめはやらん。」
「ふふっ、もう…クザンったら…。」
じんわり染み入る彼女の体温に一頻り宥められて、出そうになる溜息を飲み込んだ。イイ歳なのは自覚しているつもりだが己はこんなにも狭量だったか。
「コビーくんにやきもち、やいちゃった?」
「…ちょっとばかり。」
夫の眉間がなだらかになっていくのを確認してなまえはふわふわなその髪を撫でてやると、こうやってあの子は大きくなっていくんだろうね、と穏やかに語りかける。
「…そーさなァ…だけど男親としてはまだまだお父さんが一番であって欲しいのよ、これが。」
よっこいせ、と漸くなまえから体を起こしたヤキモチ焼きに彼女は成る程、と柔らかい声を向ける。
「それは大丈夫。ライムのお父さんはクザンだけだもの。」
「…ん?」
にこにこと笑うなまえは不意に目線をふわふわ頭の後ろへと意味ありげにずらした。何事だと振り返る暇も無く「お父さん!」との声が響く。
「お父さんっ。お父さんもこっち!今度はお父さんの番だからねっ?」
「おれの?」
「お客さんの次はお父さん!その次がお母さんね、待っててね!」
「はあい。待ってるよ?」
「はーいっ。」
「ね、なまえ…あの子思い出してくれたわけ?」
「順番に相手しようとしてるみたい。ガープさん達と戯れてたからクザンまで来るのに時間掛かったのかも。」
無邪気な娘の姿に微笑むなまえは特別な事など何一つない調子で語る。
「よくわかったもんだ。」
「お母さんだもの。」
「…うん。そーだった、そうだったな。」
娘の事ならお見通しという訳か。
物柔らかさを湛えたなまえに堪らなく愛おしさを感じたのは海軍大将であり、はしゃぐ娘の父であり、そして彼女の夫であるクザンその人であった。
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