それはまだ、彼が『小さかった』時のこと。
「なァ、暇だ、構ってくれよなまえチャン。」
「ん、んー…もうちょっと待って…キリがいいとこまで…」
カタカタとキーボードを打つ音が聞こえる。なまえが大学に提出するレポートを作成しているのだがドフラミンゴはこれがどうしても気に食わない。
別にそんなもの、おれがなまえを彼方の海に攫ってしまうのだ、じきに意味の無い産物に成り果てるというのに。
「連れねェなァ、フッフッフ!」
「…グループ発表のやつだから、私の担当部分はちゃんと終わらせないと。皆に迷惑かけちゃう…。」
「おれより『パソコン』の方が大事なのか?」
「そんなことは…」
駆け引きじみた台詞が飛んできてなまえは言い淀む。経験不足な自分にとってドフラミンゴの質問は答えに悩む。何時だって返答に困ってしまうのだ。
「いや、そもそもおれより大事なもんなんてねェだろ?」
「…もぅ…。…ドフラミンゴが一番、ですよーだ…。」
「それは結構!」
椅子に腰掛けたなまえは参ったとばかりにキーボードから手を離す。この少年は大概に自分勝手で強引で、らしからぬ成熟さを持っていて。なまえを常に翻弄するのだ。
ドフラミンゴは後ろからとすんとなまえにのしかかり細い首に手を回した。なまえはしょうがないなあという風にはいはい、と柔く笑う。
たとえ、この上無く傍若無人でもなまえは、堪らなくこの少年のことが愛しかった。攫われることを望んでしまうくらいには。
「ヒマだったら、うーんそうだなぁ…しりとりしよっか?」
「今更子ども扱い、ねェ。」
「…確実に私よりは年下じゃない。」
「こんなことまでしてる癖に。」
そのまま顔を寄せてなまえの唇を舐める。ドフラミンゴは顔を離してからなまえの頭に顎を乗せて、両手を彼女の首筋から前へと回す。
「こらこら…っ!」
「フッフッフ…」
「後、十年くらいは待ちましょうドフラミンゴクン…。」
「そんなに待ったらイカレちまう。構やしないンだ、なまえ、イイコト…やろうか。」
触る両手の力を強くされ、なまえは心臓から血液が勢いよく絞り出されるのを感じた。
「わたしがかまいます…」
あっと言う間に顔を火照らせた困り顔のなまえはあえかでドフラミンゴは嗜虐心に苛まれる。そう、なまえのこの顏が堪らないのだ。
「可愛いなァなまえ。な、また泣いてくれよ。」
泣き濡れる女は面倒だか、この女の涙だけは別物だ。格別にいい匂いがして、これ以上無い程甘い。
「なまえ、」
「…〜っ、ドフラミンゴっ…!」
「フッフ!」
なまえは少年の名前を呼ぶことしか出来なくて言葉に詰まってしまう。なんだかそれが少々悔しくて、離していたキーボードに触れレポートの文末に『ドフラミンゴのいじわる』と画面に打った。
「いじわる?愛情表現さ。」
ドフラミンゴはあっさりと日本語を読んでみせ、なまえを抱える様にキーボードに手を伸ばした。打てるの?となまえが僅かに驚くと見てれば大体わかる、と何時もの不敵な笑みを作った。
「『ドフィ』…?」
打ち直された文章とも言えない三文字を見てポツリとなまえは呟く。
「なんだ?なまえチャン。」
「ドフィ…。ドフラミンゴ、これあなたのあだ名?」
「なまえがあんまりにおれの名前を可愛く呼ぶからなァ…こっちでもその声で呼んでくれよ。おれのなまえ?」
「ドフィ…」
熱に侵された様になまえはその名前を繰り返した。液晶をそっと指でなぞって再びその三文字を声にする。
「ド、フィ…」
「あァ、」
「ドフィ…」
「なまえ、」
何度かうわ言の様に囁かれる己の名前がひどく甘ったるく感じる。なまえの声だから、か。
「…素敵な愛称だね。」
「そうか?」
「うん、柔らかい響き。」
「なまえの声だからな。」
「ふふ、なあにそれ…ねぇドフィ、これを考えた人は本当に貴方の事が大切だったのね。」
ふんわりと愛おしげにその名前を何度も呼ぶなまえはドフラミンゴを仰ぎ見た。しきりに「ドフィ、ドフィ」と言葉を覚えたての幼子の様な女はそれでも、男を呼ぶ色香も孕んでいてそのちぐはぐさにドフラミンゴは体に熱が篭っていく。
「もっと、」
「ドフィ。」
「もっとだ。」
ドフラミンゴが熱に身を任せ再び後ろからなまえを抱き締めた。なまえに催促すると、彼女はとろりとした瞳で何度もその名を呼ぶ。
「甘ったりィ声だ…堪らねぇ…」
『少年』にしては、あり得ない程の劣情を秘めた『男』の声が、なまえの耳元で掠れながらも届いていた。