パパのきゅうじつ
「あらー、今日はパパとママが一緒なのね!」
「「せんせぇおはようございますー。」」
駒鳥歌う、うららかな朝。幼稚舎の屋根は朝陽に照らされて今日もご機嫌だった。この双子も同じくらいに、実にご機嫌だった。
双子は仲良くお手々を繋ぎ、空いた方の手は大きな掌に包まれていた。ナイルの左手はパパ、モレレットの右手はママである。
「今日はねー、とくべつなのー。」
「パパお休みなのっ。」
「だからママとおうちデートするのよー!」
「…ちょっ、し、しーっ!」
「………。」
「あらあら、まあまあ。」
どこで聞いてたのっ?と焦るのはなまえ、先生の微笑ましげ、いや『ほっこり』している視線は双子なのか、はたまたその両親なのかは謎である。「ママまっかねー。」「ねー。」と和やかな幼子になまえはたしなめればいいのやら笑ってしまっていいのやら。
「あ、はは……ええと、その、今日もよろしくお願いいたします…」
「うふふふ。はい、じゃあモレレットちゃんナイルちゃん!パパとママに『行ってきまーす』」
「「いってきまぁす!」」
「いってらっしゃい」と熱っぽさに顔をぱたぱた扇ぐなまえとは裏腹にパパの方は随分と『いつも通り』であった。相変わらずの人相の悪さで「良い子にしていたまえよ」などとそ知らぬ顔で嘯くのだった。
「くろこだいるさん……」
「その恥しがりはいつまで経っても治らねェときた。」
「……ハイ…。」
「いい加減治したまえ」と絶対に言わないのはなまえのコレが堪らなく可愛いから、なのだがこの男が口にする事は無い。激情にまかせる恋を辿ってきたけれども生憎この男はこういう性分なのだ。
「……コーヒーでも飲んで帰るか。」
いつもはハンドルを右に切るところを左に。手馴れた道のりからいつもと違う大通りへ……滑るように黒塗りの車は走っていた。
見慣れた街並みなまえでも隣に愛しいひとがいると、途端にどこもかしこも瑞々しく見える。恋する乙女、という歳でもないのだけれど(夫からすればいつまでも彼女は美しい乙女だ!)学生時代に戻ったような気分だった。
「エドワード・ニューゲートを憶えているかね?」
「結婚式に来てくださった背の高い……モリーとルーが産まれた時にも内祝いを。」
「あァ。そこの系列でカフェが新しくオープンした。」
ライバル店の視察みたいなものか、とも勘繰られても仕方ないのがこの社長。しかしゆったり声音は仕事中のそれではなくて、続きざまの台詞ときたら「売り上げに貢献してやろうじゃないか」で締めくくられる。
眉間の皺はいつもより浅くて、機嫌はどうやらすこぶるよいらしい。
「ここだ。」
「わ。おしゃれー……」
到着した朝のカフェは静かだった。人けが無いと意味でなく小鳥の歌声が耳に届くような、そんな心地よい静けさで包まれた場所だった。若いひとは見当たらず、遅めのモーニングをいただきに来た老夫婦が窓際で並んで座っている。
「こちらへ、ミセス。」
「ふふっ。ありがとうございますミスター。」
喫茶店にしては広い、入って左手にはミルや豆、カップなど売っているコーナー。右手に階段を二段上がるとカフェのコーナーになっていた。
階段の登りぎわにそんなやり取りを、こっそりとしてしまう程すてきな雰囲気の店だ。何と言ってもかぐわしいこのコーヒーの香り。
「素敵なお庭ねぇ。」
「……趣味は及第点、といったところか。」
「あの白ひげの趣味らしい」と呟いて案内された椅子に座る。ちょうど庭園が正面に見える席だ、瑞々しい緑広がるその庭に目尻を緩めたなまえは大男に「ありがとうございます、クロコダイルさん。」と言うのだった。
クロコダイルは喜色を浮かべているのに『やれやれ』な態で呟く。
「喜ぶのが上手い、おまえは。」
「そう、なんです?」
「そうだ。初めて出会った頃からずっと、おまえはそういう風に微笑う女だった。」
オーダーをウェイトレスに伝えて庭園を眺め、それからお冷やを手慰みにからころ揺らす。懐古の声がこの男から聞こえるのは珍しいことだった。前を見据え続ける男だったから、尚更。
「どうしたの急に、」
「……感謝している、と」
言っているんだ。
感傷に浸るのも中々に珍しい男だった。このサー・クロコダイルという男は。
なまえはさて、どういう返事をしようかとへにゃり笑む。月が綺麗ね?それとも私死んでもいいわ?
「私からもお礼を言わせてくださいね。」
デートに誘ってくれて、ずっとそばにいてくれて、夫婦になってくれて。あのこ達に逢わせてくれて。
綿毛が空から降ってきたような、柔らかな心地になまえは吐息を溢すのだ。
「ありがとうございます。……私と、出逢ってくれて。至らない奥さんお母さんですけどこれからもよろしくお願いします。」
ぺこりと頭を下げれば「我が奥方はくそまじめだ、」と『綿毛』の声で呟くのだった。これも、そう。滅多にこんな声は出さない。
いや、違うか。なまえと出逢う前は零した事のない声音だ。妻と連れ添い、ふたりの娘が産まれてから響くようなった。
「頑張りたまえ、というか、なまえの場合は頑張り過ぎるなと言った方がいい。」
「ふふっ、はあい。」
コーヒーの香りにほだされたのだろうか。なんたってこの香りがこの二人の始まりだったから改まって言ってみよう、と思ったのだろう。
「今度みんなで来ましょうね、それにお庭にも入れるみたいですし。」
「あのふたりはチョコレート・ドリンク、だが。」
「そうね、まだコーヒーは苦いって言うかもです。」
シナモンも薄荷もまだまだおっかなびっくりなんですよ。
刺激物はまだ早いだろう、あの歳じゃ。
気になるお年頃ではあるみたいなんですけどね。
一緒に暮らすということは、つまりこういう事なんだな、と。
夫婦はのんびりと我が子達の顔を思い出して、それから湯気と共にやってくるウェイトレスに気付いたのだった。
「………っう、」
「どうした?」
「ごめんなさい、ちょっと、お手洗いに、」
この後カフェでひと騒ぎ起こり、騒ぎを聞きつけて『白ひげ』の部下が飛んで来るは、また別のお話。
半年と数十日ほど経った後、あの家にもう一人分の声が増えたのも……また別のお話である。
またね!
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