十万ヒット企画「ふりりく。」 | ナノ


麦わらのお嬢さん


  よく泣く女、それがあの女の印象だった。
  初めて出会ったのは…いや、初めて視界の中に入れたのは、あの戦争の只中だ。混じり合った鉄のにおい、赤い色、思うところあって治療した麦わら帽子の男の、連れ添い。麦わらのルフィの情婦。それがなまえだった。
  剣が扱えるでも無く、何か特別な能力を持っている訳でも無い…ただの女だ。

『手術の範囲内では現状命を繋いでる。だがそれ以上は保障できねぇ。』
『麦わら屋にとっては起きた後の方が地獄だ。』

  あの時あの戦争でズタボロになった男は未だ意識を取り戻しては、いなかった。己はただ黙々、淡々と事実を女に伝え泣きはらす姿を見おろしていた。
  脅す様な口調だった、だがそれが正論でもある。なのにこの女は刃の切っ先で心を抉られる様にされてもはらはらと雫を零すばかりで取り乱しも、声を荒げる事もしなかった。

『はい…分かりました。でも治療して下さったのはトラファルガー先生、ですから。お礼を言わせてください。…ルフィを助けてくださって、ありがとうございます…』

  連れ添いを治療してくれた、と何度も頭を下げ、それからまた「ありがとうございます。」と震える声を紡ぐ女だった。
  泣いている癖に、どこか凛とした佇まいで麦わら男に寄り添おうとしていた。

『ルフィ、動いてはだめ、動いては駄目だよ…!』
『エースさんは亡くなったの!もう居ないの!』

  目覚めた後の錯乱も逃避も、暴れる様が見ていられなかったのだろう、必死で抱き付いて男に真っ正面から訴えていた。

『なまえごめん、ごめん…』
『助けられなかった、』
『たすけられなかった。』

  ぼろぼろになった麦わらの男は一体何をおもったのだろうか。…今となっては知る由も無い。酷く動揺して、叫ぶのを止めたのだけは見て、とれた。
  互いに、ひたと縋り付いて子どもの様にわんわんと声を上げていたのをよく憶えている。抱き締めあって大き過ぎる喪失の為に全身で嘆くのは男と、そして女にただ己はひたすら黙した。

(あぁ、情婦とかそんなんじゃねェな。…訂正する。)

  本当にお互い命を賭けて好き合っていると、ガラにもなくおもった。精神的に致命の傷を負った男に無力であるにも関わらず、傍に居続けた女。
  『冥王』と、そして麦わらと共に獣がのさばる島に残ると言い切って文句一つ漏らさぬ柳の様にしなやかな、なまえという女。

  思い起こせば、二年も前の事だ。  あれからもうそんなに月日が過ぎたのか。



「いやー、あんときはなまえ泣すぎて、涙と一緒に溶けちまうかと思ったんだよ!」
「…普通の人間は溶けねェがな…。」
「いんや、なまえなら涙の海にこう、じょぼーんとだ。」

  お子様は夢の中、しかしながらこの船に乗っているのは宵っ張りばかり。宴やるぞ!という麦わら船長の一声で始まった酒盛りは尚も賑わいの声を消す気配は無かった。
  侍の子とその親、そして人質の科学者以外は酒と料理をたのしんでいる。

「意味がわからねェ。」
「しっしっしっし!まあ気にすんな!ノリだ!」
「…ハァ…。」

   このトラファルガー・ローという男、只今絶賛麦わらの一味船長に絡まれ続けているのであった。元々おおっぴらに喋る男でも無し、適当に胡座をかいてグラスを傾けていたのだが…何時の間にかこのザマだ。

『ごめんなさい…多分悪気は無いと思うんですけど。』

  不意にこんな声が蘇るのもこの騒がしさで出来た男の相手をしてしまっているからだろう。
  『じゃあチョッパー君、頑張ってね。トラファルガーさんもよろしくお願いします』なんて台詞も頭を過る、確かあれは拒む暇も与えられず小動物を脳天に括り付けられた時だったか。
  己に対して律儀で、破天荒な麦わら一味の中で礼儀正しく気遣いやらなんやらできるほぼ唯一の人材、その声が頭の中でエコーした。
  海賊の女じゃなくて海軍将校の妻でもやってた方が似合うんじゃないのか、と一瞬思ってしまうのは己だけでは無い筈だ。

(役に立たない、というのも…撤回する。)

  二年前の台詞を引っ張り出して繋ぎ合わせ、ついでに絡んでくる男の声と腕をかいくぐって小柄な姿を目線だけで探す。麦わらの破天荒さに振り回されるのは御免だ、この麦わらを宥め軌道修正してくれる存在の大きさに今となって初めて痛感する。

(フォロー役どこにいる…?!)

  非戦闘員だろうがなんだろうが麦わらの一味にはなまえという窓口役若しくは緩衝材、通訳etc…が必要不可欠だ。心の底から前言を撤回してかの女の有難みを噛み締める。
  要はさっさとこの巻き付いてくる腕を、早急に一刻も早く今すぐに外したかったのだ。

「…居た…!おい、麦わらのおんな…!」
「はあい…?」
「おい、こいつを早くどうにかしろ、うっとおしくて仕方ねェ…。」
「ルフィ?…もぅ、とらふぁるがーさんが困ってるよ…?」
「おっ?」

  おや?と思ったのはローと、そしてルフィである。但しその内容には多少の誤差がみて取れるが…。
  まずなまえの顔が赤い、瞳がとろんとしている。それから決定打は片手に持ったグラスだ。あれは記憶違いがなければ確か中に入っているあの色は、甘く飲みやすいが…度数の高いカクテルだった。

「ルフィ、」
「うん。なんだ?」
「ルフィ、めっ。離れてくださーい。」
「おう分かった。」
「…?」
「るふぃ、ちょっとここに来てください。」
「うん。」
「わたしも座ります。ルフィも座ってください。」
「ししっ、はーい。」
「はーい、じゃないです。はい、って言ってくれないとだめです。」
「はいっ。」
「…おいまて麦わら屋。」

  待て、おかしい、どういう事だ?ローの脳内では三つの単語がタップダンスを踊っていた。目の前にいるのは確かに常識人である、筈のなまえである。しかしいきなり正座になって、目の前の芝生をポンポン叩き船長である筈の男を座らせていた。グラスも隣に置いて「あのですね、」と麦わらの両手を自分のそれで握り締めている。ローなど目に入っていない様だった。今までの経験上この女が話に入る時は必ず一声掛けてくるのがお決まりであった、のだが。
  
「ルフィはいつも心配掛けてばっかりです。」
「なまえ、いっぱい心配してくれるもんなァ。」
「笑うのは今ダメです。」
「わかった笑わねェ。」
「よろしぃ。…あのですね、私はルフィの事が大好きです、大好きでだからとっても心配してるんです。」
「おい麦わら屋説明しろ…!」

  この女いきなり惚れた腫れたの話をするタイプの女だったか?!と喉まで出掛かる。そして唐突の理解。
  酔っているのは分かっている、そして、『これ』は酔ったその後の。

「なまえの酒癖なんだよなーこれ、おんもしれーだろ?」
「よそ見げんきんです!」
「はーい。」
「…嘘だろう…。」

  あの、常識人がまさかのここで大崩壊。ぽこぽこと擬音を付けてしまいそうになる程頬を膨らまし、今は目の前にいる麦わらを逃がさない様に二つの手を使って笑み崩れている両方の頬を包んでいた。

「ルフィが無茶しちゃうの、夢のためだって、わかってるの。でもね、ルフィは私の一番大切な人なの。」
「うん。」
「迷惑になりたくないから、ホントは私の気持ち、内緒にしなきゃだめなのも知ってる、けど。」
「迷惑じゃねーよ。」
「ルフィが危ないトコ行くの、すごく怖い…。心配で心配で、心臓がぎゅうってなるんだよ。」
「わかってる。」
「るふぃのばか。るふぃがけがするのすごくイヤなのに、るふぃなんて、るふぃなんて…すきだよばかぁ。」
「おれもなまえがすきだ。」

  これが、酒の力か。ローは目の前で繰り広げられる痴話喧嘩の様な…お説教の様な…なんだこれは。取り敢えず、名前もつけられない甘ったるい遣り取りに絶句してしまうのだった。何より閉口してしまうのが、この麦わら、これ以上になくやに下がった顔でなまえの言葉一つ一つに頷いておまけにウキウキそわそわしているのだ。
  小さな手で頬っぺたをむにむにされていても怒る気配が微塵も無い。

「戦うのも、無茶するのも、みんな、自分の夢のためだもん。私、わかってるつもり、だけど。どうしても…」
「おう。なまえがそうやって心配してくれてんの皆よく知ってるぞ。あんがとななまえ。」

  今度は麦わらが女の頬を両手で包んでいた。へにゃ、と人畜無害の様に笑っている様に見えるが…これも海賊、その本性を知っている男はどうにも嫌な気しかしない。

「ルフィ、私をそんなに甘やかしちゃいけません!」
「えー…。なまえ、あんまりしたい事言わねーだろ?だから聞きたくなんだよ。」
「…私?」
「うん。なまえのやりてぇって事何だ?」
「どうしたい…?うーんと、ね、ルフィのしたい事が私のしたい事だよ?」
「うーん、酔っ払い度がまだ低ィか…?」

  麦わらから何やらおかしげな台詞が漏れた。何だその度数は、と口を開きかけたが、かの女の今の言葉を聞いた途端やに下がった顔が更にやに下がったのでローはぎょっとしてしまう。
  これが、あの引っ込み思案の控えめなあの女の言葉か、とも思ったが余りにも好きだ好きだという感情が言葉尻から漏れ出して、子供っぽく微笑んでいる顔が目の前にあるので最早信じるしかない。
  何という酒癖か、と思わずローは目頭を押さえてしまうのだった。
  
「魚人島で宴開いた時とね。」
「あー、楽しかったなーあれ。」
「深海暗くて、でも綺麗だったねー。」
「美味そうな魚いたよなー。」
「くじらさん、いっぱいいっぱいだったねー。」
「そだなー。」

  あはは、ししし、とひとしきり笑っていたが話は段々支離滅裂になり始めている。あっちこっちに言葉が飛んで、口調は突然幼くなっていった。なまえは懸命に話そうとしている様子だが麦わらはその彼女を見る事を何よりも楽しんでいる様に見て取れた。

「あ。おーい野郎共、なまえちゃんお説教コース入ってたぞー。」
「んじゃ宴会もそろそろ終わりだな。片付けすんぞー。」
「…は?」

  後ろから突然声が上がり、ローが振り返ればなにやら一斉に撤収準備が始まっていた。ノリに着いていけず、実に情けないが一瞬体が固まって出遅れてしまう。
  見かねたのだろう、ヨホホホと笑う骸骨がピックを仕舞ってからローの持っていたグラスを引き取るのだった。

「ヨホホ!あのお嬢さんはお酒に酔うといつもああなのですよ。」
「だからなまえがああなったら宴会は終わりなんだぞ!」
「まぁ曲がりなりにも船長やってるルフィのヤツがフケちまうからなぁ。」
「キイィイ、そんでこのあとあの清楚なレディとあんなことこんなこと…!ルフィの癖に!」

  どこからかうぞうぞと会話に混じってくる麦わらの一味は、今も支離滅裂を繰り返している二人を離れたところから眺め見ている。コックなど一体どこから取り出したのか、大きな真っ白いハンカチを願望の捌け口にして揉みくちゃにしていたのだった。

「アウッ、そして本人はその時の記憶がないときた。」
「はぁ…?!」
「あー、うん、その反応分かるわ。…記憶がないからこそこんな恒例になっちゃう程繰り返されているんだけどね。なまえなら記憶があれば飲まないようにするのは分かりきっているし。」
「ロー、だからってあの娘に酔った時の事を教えちゃダメよ。…ふふ、船長命令で黙ってる事になってるの。」
「テメェは他船の人間だがウチと同盟を組んだ以上こっちのルールに多少は従ってもらうぜ。」

   打ち合わせでもしてたのかと言わんばかりに整然とした割り台詞で説明が飛んでくる。なんだそれは、といよいよ声を大にしてしまおうかと喉を震わせた、が。

「らめ、らめれす…!わたしのほうが、るふぃのことすきなんです。このいちばんだけは、だれにもあげませんー…ふゃー…」
「…なんだありゃあ。」

  いつの間に立ち上がったのか、なまえはフラフラのまま同じく立ち上がった麦わらに飛び込んでいた。そして麦わらは抱え直す様に彼女を自身の胸の中に引き寄せて頭を撫でてやっている。
  綺麗なまでにポスンと収まったなまえは子猫の様にその胸板に擦り寄り…愛おしそうに瞳を細めていたのだった。

「あったかい…。」

  そして麦わらの剥き出しになった肌に手を添えて、その胸の大きな傷痕をゆるゆると撫でていた。聞こえはしないが唇の動きで大体何を言っているか、わかる。「いきていて、くれて、ありがとう。」とふっくらとしたものが揺れて、それから傷痕に吸い寄せられていった。そして目を逸らす前に唇は肌と重なり合っていた。
  聞こえない筈のリップ音が聞こえてくる様だ、おい、人の目はどうしたおまえらと文句の一つでも付けてやりたかったが…海賊に常識を述べるなんて酔狂な真似だった。

「よし食おう。」
「即決か。」
「だってなまえすっげぇ可愛い。」

  いい笑顔であった。フラフラの恋人を抱え上げてやって「中行こうなー。」と最上級のご機嫌で腕の中に語りかけている。なまえはぽやんとした目付きでこくこく頷いいたが、はてあれはどこまで理解しているというのだろうか。

「あ、そうそう、いくらトラ男でもこいつに手を出したらぶっ飛ばすからな。」

  いそいそとドアの前まで行ったと思ったら勢いよく振り返って、麦わらは釘を打ち付ける様にして言葉をローへと真っ直ぐ投げていた。しかも笑みなど引っ込めた真顔である。
  最悪の冗談だ、と鼻で笑い飛ばすのも許さない…謎の威圧感をたっぷり染み込ませていて、ローとしては堪ったものではない。普段の能天気顔はどこに行った、という何とも海賊らしい貌だ。その、よくお似合いの貌に一瞬寒気を憶え、この男の賞金額を思い出した。
  全く、四億の数字がよくお似合いで。

「出さねぇよ。」
「そうか?ししっ、ならいいんだ。」

  緩い顔と、緩い声が返ってきたがもうそれは信用しねェ。ドアがゆっくりと閉じた後もこのトラファルガー・ローは眉間に皺を彫り込んだまま、小さな船医に見上げられるまでその場で何やら考え込んでしまうのだった。



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