学パロ主そらと菅原

 音のない空だった。
 不揃いに列を成した雲はゆっくりと真っ青な海原を泳いでいる。
 目に沁みるほどの青空に目眩がするようで、菅原は煙草のフィルターを噛み締めて目を閉じた。
 屋上には、何の音も届かない。プールの授業を無邪気に楽しむ馬鹿騒ぎも、真下にある音楽室で垂れ流されるクラシックも、今日は一切聞こえてこなかった。
 夏の陽射しが、寝転ぶ菅原の肌をじりじりと焼く。風も殆ど吹いていない屋上は、山中とは言え熱気に包まれつつあった。

(チャイム鳴ったら教室に戻るか)

 昼休みまでにはあと一時限残っているが、それまで空調のない屋上にいるよりは、つまらない授業でもクーラーのきいた涼しい教室にいたほうが快適には違いない。
 もう十分もすれば終業の金が鳴るだろう。携帯で時間を確認した菅原は深く息を吸い、そうして口から紫煙を吐き出した。
 それと同時に、軋んだような不愉快な鳴き声がした。

「菅原さん、また煙草吸ってる」

 あれは屋上の扉が開く音だ。
 屋上は尾鰭の付いた噂で恐れられている菅原の巣だ。やってくる人間は限られているから、誰が来たのかはある程度予測できた。
 予想通り、姿を見せたのは同い年の風紀委員、山野井だった。
 山野井は恐れも何もなく近寄ってきて、菅原がくわえていた煙草を没収してしまう。

「……まだ途中なんだが」
「取られるのが嫌なら、見つからないとこで吸ってよ」

 山野井は笑いながら言って、菅原のズボンのポケットから携帯灰皿を抜き取った。そして慣れた手つきで、没収した煙草を携帯灰皿の餌にしてしまった。
 山野井が煙草の始末に慣れたのは、毎回菅原の喫煙現場に出会すからだ。最初に没収した時は「これ、どうすればいいの?」なんて困ったように聞いてきたものだったが、何回か目の前で携帯灰皿に押し込むうちに、ソレの定位置と始末の仕方を覚えてしまったらしかった。
 菅原に携帯灰皿を返した山野井は、そのまま菅原の隣に腰を下ろした。

「風紀委員がサボりかよ」

 体を起こし、揶揄するように言う。

「違うもん。風紀の見回りだよ。腕章つけてるじゃんか」

 山野井は頬を膨らませて、左袖につけた風紀の腕章を主張した。
 菅原たちの通う学校は山中にある全寮制の男子校だ。中にはフラストレーションが溜まって、馬鹿をやらかす生徒もいる。
 授業中、見えないところで危ない橋を渡ろうとする馬鹿を確保するために、風紀は時折巡回をしていた。ちなみに、この巡回の当番になった時は事前に申請して公欠扱いになっていると菅原は聞いている。

「よく一人で巡回なんてさせてもらえたもんだな」
「俺だって男なんだから、できるよ、それくらい」
「それで一人でウロチョロして、馬鹿に襲われてたのはどこのどいつだよ」
「……あれは」

 菅原が山野井と初めて会ったのは、新学期早々のことだった。
 風紀に入りたての山野井は意気揚々と放課後の巡回をしていたのだが、校舎裏で屯していた数名に注意をしたところ性的な意味で襲われたのだ。
 あわやと言うところで菅原が通りがかり、その生徒等を蹴倒したので大事には至らなかった。
 以来、山野井は風紀委員からそれはそれは大事にされているそうなのだが――。

「だって、普通、思わないじゃん。そりゃ噂とかでは聞くけど、その、自分が」
「強姦される対象になるなんて?」

 菅原は言いよどむ山野井の代わりにストレートに表現してやったが、どうやら山野井にはお気に召さなかったらしい。またまろい頬が膨らんだ。

「よくそんな風に言えるよな」
「性分だ」
「嘘だ。わざわざ過激な言葉選んでるくせに」
「だから、それが性分なんだろ。つーかお前、ペアの相手撒いてきたろ」

 基本的に風紀の巡回は二人一組で行われる。ペアは大体決まっているが、どちらかが欠けた場合は空いている委員が替わりに入るものだ。あの時山野井が一人だったのは、例外中の例外だったと言ってもいい。

「……」
「一人でうろつくんじゃねぇよ。自分が馬鹿共にケツ狙われる見た目してんのは理解してんだろ」
「……だって、俺に何もさせてくれないんだもん」

 山野井は唇を尖らせ、抱えた膝に顎を乗せた。
 これはいよいよふてくされたらしい。面倒だな、と菅原は内心ため息をついた。

「あのなあ……」

 それは山野井がまた襲われて傷つくのを防ぐためだ。
 どうして守られているかは承知しているだろうに、やけに意固地な山野井に菅原は乱雑に頭を掻いた。

「男としてのプライドがあるのもわかるが、」

 プライドを守るために勝手に行動して結局プライドを折られては意味がないだろう。
 諭そうとした菅原の言葉を、不愉快な鳴き声が遮った。反射的にドアの方を見やる。

「おい山野井。一人で出歩いてんじゃねえよ」
「万里……」

 千客万来とでも言うべきか。今日はやたらと巣に人が来る。
 扉を開けて屋上に足を踏み入れたのは、この学校の生徒会長である三宮万里だった。生徒会と風紀は犬猿の仲だというのにも拘わらず、三宮は堂々と山野井を寵愛している。
 この唯我独尊生徒会長の所有物に手を出す馬鹿がいないのなら、山野井は普通に巡回にも出ていいし、人気のない場所にも好きなだけ行っていいのだが、生憎その馬鹿がいるからそうはいかないのだ。
 三宮は山野井のすぐ隣にいる菅原に一瞥もくれず、山野井の腕を掴んで立ち上がらせた。

「ちょっ……万里!」

 慌てる山野井を意にも介さず、三宮は山野井を引っ張って屋上から出て行った。多分山野井はこの後、「一人で出歩くな」という言いつけを守らなかったお仕置きなんてものをされるのだろう。
 大きな音を立てて鉄扉が閉じる。山野井の非難の声もすぐに聞こえなくなって、屋上には無音の世界が戻ってきた。
 菅原はぼんやりと空を視界に写して、静かな巣で終業の知らせを待つのだった。

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