水嶋はしつこく絡んでくる三日月をきつく睨みつける。が、鋭い視線を向けられた三日月はどこ吹く風で、少しも離れようとしない。正直言って、歩くのに邪魔すぎた。

「離れろよ」
「えー、彬冷たーい」
「勝手に名前呼ぶな」
「いいじゃん、減るもんじゃなしに」
「減る」

 ぴしゃりと撥ね除ける水嶋に、三日月はひどく愉快そうに目を細めた。水嶋は嫌な予感がして眉を顰める。

「じゃあ、……彬ちゃん?」
「なおさら止めろ」

 絡み付いてくる三日月の細腕を剥がしながらねめつける。いちいち反応してやるからつけあがるのだと水嶋はわかっているが、無視したらしたで三日月はうるさい。
 対応しようがしなかろうが、三日月は自分の気が済むまでいつまでだって絡んでくるのだ。無視したほうがうるさいから、仕方なく適当にあしらっている。
 つとめて冷静に切り返すと、三日月はさらに癇に触る笑みを深くした。

「ふふ……彬ちゃん、は、雷翔専用?」
「……そういう人を馬鹿にした呼び方、あいつにだってされたくない」
「ふーん? でも、進藤さんにならいいよって言っちゃうんでしょ?」

 何かを刺激するような声音で発された思い人の名前に、けれど水嶋の心は疼くことをしなかった。

「子供扱いみたいな呼ばれ方、いいなんて言うか」
「ふーん?」
「……何なんだよ、アンタ。さっきっからやたらと」
「ん? 別に、何もないよ。彬のほうにやましいことがあるから、やたら絡まれてるように感じるんじゃないかなー?」
「やましいことなんて」
「ないの? 雷翔のコト……とかは?」

 耳元で妖しく囁かれる。からかうような声音は、雷翔がああなった経緯を知っているふうにも聞こえて、水嶋は答えに窮した。
 足を止めた水嶋に、三日月は「ふふ」と笑う。

「カワイソウだよね、雷翔。おかしくなっちゃうくらい彬のこと大好きなのに、彬は雷翔のことなんて少しも気にしてないんだから」
「ッなこと……!」
「あるでしょ? バンドのメンバーとしては気にしてるけど、雷翔個人のことは……ねえ?」

 三日月の軽い口調が、水嶋の雷翔に対する罪悪感を斬りつけるようにして刺激する。
 確かに――確かに、そうだった。かつて雷翔は水嶋にとって単なる友人で、ただのギタリストだった。彼の不眠に気を遣っても、それはバンド活動に支障が出るという懸念からで、劉雷翔という一個人を案じてのことではなかった。
 水嶋は、この世界に進藤以外の代わりなら掃いて捨てるほどにいると思っていた。たとえ雷翔がバンドを抜けても、その穴はすぐに――多少腕は落ちるだろうが――埋まるものだと。
 進藤以外のすべてを、路傍の石だと思っていた。うまく取り繕うから、誰にも気付かれない価値観だと思っていたのだが、進藤はもちろん気付いたし、雷翔も気が付いていた。ああ、この男は自分のことをよく見ているのだなと、強引に犯されながら初めて知った。
 水嶋の態度が、雷翔を狂わせた。後悔している、と言えばしている。狂う前の雷翔は、凶暴性のない――下地の有無はどうであれ――普通の少年だったのだ。それを暴力に取り憑かれるようにしてしまったのだから、悔やまないほうがおかしい。
 自分の周りに集う人たちも人間で、水嶋と同じように泣き、笑い、怒り、喜んで、そして傷つきもするのだと識った。あの日進藤に言われた言葉を本当に理解できたのは、雷翔を壊してしまったからだ。あまりにも遅すぎる、理解だった。

「……ねえ、彬。いらないんだったら、俺に頂戴?」
「は?」

 水嶋は、絡み付いて耳元で囁く三日月を睨みつける。主語がないから何の話なのかが分からない。流れから察することはできるが、その可能性を水嶋はまさかと切り捨てた。

「彬は、雷翔いらないんでしょ? 進藤さんだけいればいいんだよね? ならさ、雷翔、俺に頂戴」
「……何、言って……」

 切り捨てた可能性が的中していて、水嶋は整った顔に驚愕を示す。

「だって、雷翔ってセックス上手だし、大きいし、きもちいーんだもん。彬が雷翔のことキッパリ振ってくれたら、俺と一杯遊んでくれるかなーって」

 この淫乱、と水嶋は胸裏で三日月に吐き捨てた。三日月の発言のせいで、いやに心がささくれ立つ。

「あいつは……俺が振ったところで、俺のことを諦めないぞ」
「ふーん?」

 それでことが済めばいいのだが、きっぱりと雷翔の好意を拒絶すれば、きっと雷翔は水嶋を犯すだろう。酷い暴力も振るわれるに違いない。いまは自制しているようだが、いつ拳や足が顔に飛んでくるかわかったものではない。
 ただでさえ目立つ水嶋が、顔に殴打の痕をこさえて出歩けば少なからず騒ぎになる。メディアにもおもしろおかしく報道されるだろう。それは煩わしいし面倒だ。
 だから、というわけではないが、水嶋は雷翔を振らない。そもそも雷翔は水嶋の心を自分のほうに向ける気でいるのだから、拒絶も何も無駄なことだ。
 水嶋は頭を切り替えるように息を吐きだして、三日月を引き剥がし歩みを再開する。

「彬、どこ行くのー?」
「いちいちお前に言う義理はない」
「つれないんだ。ふふ、ついてっちゃおー」
「ついてくんなよ」

 水嶋は隠しもせずに舌打ちしたが、この程度で三日月が怯むとは思っていない。事実三日月は水嶋の不機嫌など構いもせずに、鼻歌でも歌い出しそうな様子で水嶋につきまとっている。
 もう何を言っても無駄なのはわかりきっていたので、水嶋は三日月の存在を無視することにした。
 話しかけられても反応せずに無言で歩いて辿り着いたのは、邸の中にあるカフェだった。休憩なり何なり自由に使っていいと言われているので、水嶋はコーヒーを飲むつもりで来ようとしていた。その途中で三日月に絡まれたのだ。
 三日月に絡まれながらカフェの扉を開けた先の光景に、水嶋は目を丸くした。そして目に映るものを疑った。

「あれ? 山野井さんと……雷翔?」
「三日月さん……水嶋さんも」
「雷翔寝てるの?」
「うん。だから、しーっ、ね」

 三日月に小声で言ってやんわり微笑む山野井は、雷翔の膝の上にいて雷翔に抱きしめられている。それは別に問題ない。
 驚くべきは、この時期の雷翔がまともに眠っていることだ。顔を窺うことはできないが、見たところ寝息も穏やかで悪夢にうなされてもいないらしい。

「……山野井、こいつ……寝てんのか」
「え? うん……あんまり眠れてないみたいですね。一回うなされてたし……」
「……」
「水嶋さん?」
「あ……いや。なら、そのまま寝かせといてやってくれ。この時期、そいつ眠れねえから……あんた動けないで辛いかもしれねえけど」
「それは構わないですよ」

 にこりと優しく微笑む山野井に、水嶋は「だからか」と思う。
 この雰囲気だから雷翔は、一時だけでも穏やかでいられるのかもしれない。

「ふふ、彬ってば、やっさしー」
「茶化すな」

 やけに絡んでくる三日月を睨みつけて、水嶋はさっさと踵を返してカフェを出る。
 ――やけにもやもやとする心は、気のせいだと自己欺瞞しながら。

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