菅原を怒らせた話

 仰臥させられた東雲の額を、冷や汗が伝った。胸部には、かなり目の据わった菅原が東雲を睨みつけながら跨がっている。

「あ、あのー……菅原さ……ひっ」

 ひきつりながらもへらりと笑って対話を試みようとした東雲だったが、菅原の本気の睨みにあえなく敗北した。
 菅原をここまで怒らせた原因が自分の態度にあるだろうことは予測がつくので、東雲はあまり強気に出られなかった。もっとも、菅原の怒りが理不尽なものであったとしても、東雲には反撃などできないだろうが。

(おっかねー……!)

 さすがに、闇社会に片足を突っ込んでいそうな店の経営者……とでもいうのか、菅原にはまるでその筋の威圧感を抱かされる。
 実際、店には闇に通じる人間も少なからず来店すると、東雲はかなり遠回しに聞いた。菅原の尊大な態度は、そういった輩に見くびられないようにする意味も含んでいるのかもしれない。

「あの、菅原さん……。ちょっと苦しいんで……」
「あぁ?」
「ひぃっ、すんません何でもありません!」

 ドスの利いた声で凄まれて、東雲は情けなくも涙目で平謝りする。本気で怒っている菅原は、殺されかねないほどに怖い。
 のらりくらりと菅原の好意をかわしていた結果がこれだ。佐橋やローレンスならまだどうにかしようもあったけれど、菅原はまずかった。

(まあ……そりゃ怒るかな……)

 東雲が菅原の好意に気付いていることを菅原は知っているし、逆もまた然りだ。東雲の菅原に対する好意を菅原は気取っていて、東雲もそれを知っていた。
 なのにどうなるでもなく、東雲だけがいつもの調子で好意をかわしていた。そのくせ酔うとタガが外れて菅原に触れたくなって、交わり合うまでいかなくとも互いに触れ合う。
 菅原は、東雲がまた菅原に触れたくなる頃合いを見透かして飲みに誘ってくる。だから今回も……と思って菅原の家に招かれたのだが。
 最初は穏やかに酒を酌み交わしているだけだった。
 酔いが回ってくるにつれ東雲は菅原にじわじわと欲情して彼の名を呼び、いつもそれを合図にして寝室に入る。ソファでは二人には手狭なのは、一度やって実感していた。
 寝室に入ってすぐに菅原が東雲をベッドに押し倒す、ここまでは何ら異変はなかった。問題はその後だ。
 菅原はある程度東雲の自由にさせてくれるものだったが、今日はやけに底冷えするような目で見下ろしてきて、胸部に跨がった。――そして冒頭に至る。

「いい加減、我慢の限界なんでな」
「へっ?」
「いつもいつも、へらへらアホみたいな面で笑ってごまかしてくれやがって」
「あ、アホみたいって……」
「俺から触ろうとするとアホ面でかわして、そのくせ自分からは触ってくる。感情なんざお互い承知だろうに、いつまでもその態度とはね、恐れ入りますよ」
「す、菅原さーん……?」
「……」
「え? ……っ!」

 菅原は感情を削ぎ落としたかのような冷たい無表情で、ぽつりと何かを呟いた。
 東雲が聞き返すと、菅原はやけに冷え冷えとした目で見下ろしてくる。もはや人間を見る目ではない。東雲はぞっとして、ひゅうと息を短く吸い込んだ。

「……犯す」
「は?!」
「犯して、しつけて、奴隷にする。そうすりゃアンタは、もうごまかせないし、俺から逃げられないだろ?」
「わーっ! ちょっ、タンマタンマ!」

 冗談じゃない、と東雲は足をばたつかせるが、菅原に膝を掴まれたのでびたりと止める。下手を打てば皿を砕かれるかもしれない、ととっさに過ぎったからだ。いまの菅原には、それくらいやってのけそうな雰囲気がある。
 菅原は青ざめて大人しくなった東雲を見下ろして、ふん、と鼻を鳴らし、東雲のシャツに手をかける。東雲は慌てて菅原を止めようと口を開いた。
「ちょっと待ってくださいって! 俺はあんたに犯されたいんじゃなくて、あんたを抱きたいんだっつの……!」

 驚きからか、菅原の手がぴたりと止まる。東雲はその一瞬を見逃さず、菅原を隣に転がして覆い被さった。
 普段ならできないような芸当も、これだけ必死ならできてしまう。

「菅原さん、ちょっと……落ち着いてくださいよ」
「……」

 菅原は心底気に食わなさそうに、東雲を睨み上げてくる。
 東雲は内心で心底びくつきながらも、平静を取り繕った。あとで何をされるか、きっといまから覚悟しておいたほうがいい。

「その……あんまりなことしてたってのは、認めますよ。謝りますから」

 菅原はふいと顔を背ける。

「なんつーか……んん、うまく言えねーですけど」

 東雲にとって菅原も同僚の一人には違いないが、佐橋に抱くような仕事を介しての好意ではない。
 どうして菅原に対して恋愛感情を抱くようになってしまったのか、そのきっかけも理由も東雲にはわからなかった。
 だから――言うなれば様子見をしたかったような気がしている。これが本当に恋情なのか、菅原にしても本気で東雲に惹かれているのかを。

「多分……んー、だめだ、やっぱうまく言えねえわ」

 酒の残っている思考は一つ所に留まらなくて、東雲から言葉を持ち去っていく。
 困った顔で菅原を見下ろすと、菅原は視線だけで東雲を見上げていて、やがて心の底から面倒そうな溜め息をついた。

「うぜえ」
「は、はは……」
「退け。犯す」
「なぁっ?! ちょ、逆! 逆ですって!」
「うるせえ、ヘタレ。四の五の考えるばかりの奴に、俺が足を開くと思うなよ。退け」
「の、退きませんよ! 俺が抱きたいんだって言ってるじゃないすか!」

 必死で菅原に上を取られないように踏ん張っていると、菅原の眼光が余計鋭くなった。

「東雲如きが、図に乗るなッ」
「う、っぐ……!」

 フリーだった菅原の膝が、東雲の脇腹に勢いよくめり込んだ。東雲は危うく、飲み込んだ高い酒のすべてを吐き出しそうになる。
 さすがに菅原を押さえつけていられずに、東雲は脇腹を押さえてベッドに沈んだ。

「うう……。ひ……ひでえ……」
「はッ」

 菅原は丸くなってうめいている東雲を一瞥し、鼻で笑って寝室から出て行ってしまった。
 どうしようもないほど機嫌を損ねた。それは膝の入った腹部の痛みが如実に物語っている。

「あー……やっべ。どーすっかなあ……」

 菅原はいつまでも根に持っているタイプの人間ではないから、しばらくして顔を合わせれば何事もなかったかのように接してくれるだろう。だが――。
 東雲は脇腹を押さえながらも、しゃんとした顔で起き上がった。

「……珍しいよなあ、あんな風に言ってくるの」

 そもそも菅原は、自分がいま何を感じているかを滅多に口にしない。代わりに態度にはそこそこ出してくるので分かりにくいということはない。だからこそ東雲も、菅原からの好意に気付けたのだ。

「……ヘルプコール、っすかね、菅原さん」

 どちらが抱くのか、それはひとまず横に置いておくことにする。というよりも、東雲にはそこにこだわっている猶予などないように思えた。
 今ここで自分の態度をはっきりさせなければ、菅原が何も言わずに遠退いてしまうような気がした。多分きっと、菅原はそういう人間だ。

「気付いたときにはもう手遅れ……なんての、ちょっと冗談きついかね」

 東雲は「よし」と気合いをいれてベッドから立ち上がる。
 寝室の扉、その先にいるだろう菅原を見据えて、東雲は足を踏み出した。

prev | next | top
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -