弟様と猫騒動

 皓里は屋敷に顔を出すなり、少し異様な雰囲気を感じ取った。悪いものではないが、何かどことなく落ち着かず、浮ついているような空気がわずかに漂っている。

「……何だぁ?」

 首を傾けながらも、皓里は自分を呼びつけた張本人の万里を探して、彼のいそうな書斎に向かう。
 しかし書斎の扉を開けても万里の姿が見つからない。
 なので彼の私室へ行こうと振り向いた瞬間、普通ではないものが皓里の目に飛び込んできた。
 目の前にあるものが信じられず、皓里は愕然としてわなわな震える。

「なッ、なんっ……?!」

 筋骨隆々とした緑色の生命体……に、なんと猫耳と尻尾が生えているではないか。
 たしかこれは、ランディが出演している特撮の敵役、なめろう星人だ。
 だが以前に見かけたときには猫耳など生えていなかったはずだ……と、皓里は近づいてくるなめろうに戦慄する。

「よッ、妖怪……?!」
『ぬしさま、しかしあれからは人間のニオイがいたします』

 陰に潜んだ白露から否定が飛ぶが、皓里にはどうしても人間には見えなかった。

「人間に猫耳が生えるものか……! 白露ッ、なんとかしろ!」
『承知』

 諾の声とともに白露は陰から飛び出、風を起こしてなめろうを吹き飛ばす。なめろうは前触れもない突風に当惑した様子で、抗いもできず壁に叩き付けられて昏倒した。

「な……何なんだ……」

 皓里はばくばくと脈打つ心臓を押さえて、冷や汗を拭う。
 なめろうが目を覚まさないうちに移動しようとするや声をかけられ、皓里はその場に縫い付けられた。

「あ……、皓里様」
「ン? ……ああ、進ど……、……?!」

 皓里は普段のミステリアスな雰囲気はどこへやら、蝙蝠を落としぽかんと口を開けて進藤の頭部を凝視する。 気絶しているなめろうと進藤の姿を意味もなく見比べて、掠れた声を出した。

「……ね、猫……」
「あっ……これは……。その、セクシャルキャットウイルスというものらしくて……」
「……なんだそれ」

 恥じらったように言う進藤の言葉を聞いても、皓里には理解ができなかった。と言うよりも、最初に見てしまったものがなめろうだったからか、脳が理解を拒んでいるらしい。

「さあ……。感染すると、このように猫耳と尻尾が生えてしまうようにゃのです。隼さんや私の他にも、橘さんや朝比奈さん、他にも大勢感染してらっしゃって」
「はあ……。化け猫に憑かれたわけではないのか」

 この間は意味の分からない人魚で、今度は意味の分からないウイルスか……。皓里は蝙蝠を拾いながら溜め息をついた。

「そういや、進藤。兄貴どこにいるか知ってるか」
「ご主人様……ですか。申し訳ございません、皓里様。私は存じ上げておりません……」
「ふうん。……ったく、人を呼びつけておいて、どこに行ったんだかなあ」

 表稼業の締め切りがあるというのに……、と、皓里は蝙蝠で肩を叩きながら愚痴をこぼす。

「……白露」
『はい』

 皓里は隣に立つ白露――白い狐のような、巨大な獣の妖怪――を見上げてその名前を呼んだ。進藤には何も見えないのだろう、皓里の視線の先を見て困惑している。

「ちょっと先行して兄貴探してくれ」
『承知』

 白露は短く頷く。彼は陰行せずに鼻をひくつかせて、万里のいるだろう方向へ駆け出した。
 ぶわり、と急に風が吹く。風にあおられた進藤はたたらを踏んで、目を白黒させていた。
 皓里は進藤に手を振って彼の横を通り過ぎ、白露の向かったほうへ歩を進める。どうやら浴室方面に、白露は万里の気配を嗅ぎ取ったらしい。

「おい兄貴」

 何でこんな時間に風呂に、と思いながら、皓里は浴室の扉をいきなり開け放つ。男兄弟だし、昔からよくやっていたことなので問題ないだろうと思ったのだが、皓里の慣れに反して、浴室の光景は扉越しに声をかけるべきものだった。

「皓里……いきなり開けるな」
「あー……悪い。まさか猫鈴木と合体中とは……」

 皓里はがしがしと頭を掻く。最中を見られた鈴木は浴槽の中で万里の肩に顔を埋めてぷるぷる震えていた。

「っつうか……、人呼びつけといて、何遊んでんの」
「お前がさっさと来ないからだろ。何時間前に呼んだと思ってる」

 万里は鈴木の猫耳やら背中やらを撫でながら、呆れたような目で皓里を見やった。
 皓里は「ひい、ふう、みい……」と指を折って電話がかかってきた時間を思い出す。

「あー……六時間前?」

 皓里は、民俗学の論文を読んでいたらこんな時間になっていた、とさらりと言う。
 まったく悪びれない皓里に、万里は呆れを隠さない視線をよこした。

「少しは悪びれろ、愚弟が」
「そんなん兄貴には言われたくないセリフの上位だぞ。……つか、やってるならやってるって言えよ、白露……」

 皓里が扉の横に座っている白露を恨みがましく睨みつけるも、白露はどうして睨まれなければならないとか、と言わんばかりに首を傾けた。
 妖怪に人間の常識は通用しないのだった……、と、皓里はうなだれる。

「で、何の用?」

 だからといって、退室するほど皓里の人間性はよくない。そのまま話を続行しようとする皓里に鈴木は驚いたような視線を送ってくるが、鈴木が恥じらおうがどうしようが、皓里には縁のないことだ。
 ここに朝比奈がいれば、「やはりお前も三宮の弟だな」と失礼な感想を抱いていたことだろう。

「ああ……、出かける用意をしておけ」

 ばしゃりと湯が跳ね、鈴木のあられもない声が響き、背がしなる。

「出かける用意?」
「取引のある会社の社長夫人が、なんでもお前のファンらしくて、な。俺の弟だと知って、是非食事を……と言いだしたそうだ」
「え、断れし」
「ちなみにその社長は大変な愛妻家でな。嫁の願いを叶えてやれば、さて、どれほど感謝されるかな……」

 つまり、利益があるので断らない、ということだ。したり顔をしながらも鈴木を突き上げる万里に、皓里は呆れの溜め息をついた。

「わかったよ……。行きゃあいいんだろ」
「橘に車を回させる……と言いたいとこだが、あいつも感染中なんだ」
「うわああぁ……」
「感染してない奴見繕って送迎させろ。予約は七時半だ」
「へぇーい……」

 面倒くさい、と顔に大書して皓里は浴室を後にした。白露は陰に入って随行している。
 どこからか非常に楽しそうな喘ぎ声が聞こえてくる廊下を歩きながら、皓里はぽつりと呟いた。

「化け猫に取り憑かれた……とかだったら、話のネタにもなったのにな」

 酷い人ですね、と白露の呆れ声が返された。皓里はそれを笑って受け流す。

「基本的に、兄貴とエリサ以外はどうでもいいからね。……ああ、朝比奈さんはとりあえずはどうでもいいわけじゃないか」
『排他的なぬしさまが人間として生活できているのが不思議です』
「失礼だなあ」

 皓里はくすくす笑いながら、人の気配を辿っていった。感染していない五十嵐を見つけたのは、それから約三十分後のことだった。

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