弟様とナイトクルーズ

 都合がつく執事たちを集めてナイトクルージングに出るという万里に誘われた皓里は、少し考えた後で頷くことにした。急を要する依頼もないし、そもそも妖怪祓いなら皓里でなくとも、組合の祓い屋が他にもいるのだ。表稼業としてやっているホラー小説の締め切りはこの間片付けたばかりで、他に差し迫った仕事もない。
 だから簡単について行くことにしたのだけれど、皓里は海上でそれをやや後悔した。

「うわッ……ちょ、何なんデスカ、こいつら!」
「人魚ですね」
「に、んぎょ……?」

 ある程度沖に出た頃、突如として船に入り込んできた異形の者に執事たちが慌てる中で、アルバートと橘はやけに冷静だった。

「発情期の人魚は、人間の男を襲うと聞いたことがありますよ」
「ふふ、おもしろーい。トーリ君ちょっと遊んでこようかな」

 ふらりと三日月が人魚たちに近寄ると、しゅるりと人魚の触手が三日月に素早く絡み付く。
 触手は水着姿の三日月のいたるところをまさぐって、彼の精気を奪おうとしている。

「あ、は……っ、んンっ、きもち……」
「…………」

 一人で実に楽しそうな三日月を、執事たちは放っておくことにした。人魚もいまは三日月で楽しんでいる様子なので、さてどうするかと顔を突き合わせる。

「弟サン、アレどうにかしてクダサイよ」

 鈴木に白羽の矢を立てられて、皓里は蝙蝠で口元を覆って眉を顰めた。

「どうにかって……」
「弟サンは祓い屋なんでしょう。妖怪だの何だの信じてなかったけど、この際信じるしかないみたいなんで、信じマスヨ。だから、あの人魚、どうにかしてください」
「そう言われてもな……」
「皓里、俺からも頼む」
「朝比奈さん」

 朝比奈が眉尻を下げて頼み込んでくる。そう言われても、と皓里は困ったような声音で繰り返した。
 朝比奈は昔、玲二の護衛をしていたことがあって、その縁で万里や皓里の子供時代を知っている。人とは違う子だと迫害されて落ち込んで学校から帰った皓里を、朝比奈はよく慰めてくれた。朝比奈がいなければ、多分皓里はもっと荒んだ人間になっていたかもしれない。
 だから朝比奈の頼みなら一も二もなく頷いてやりたかったが、今回ばかりは皓里にはそれができない。

「だって、アレ、妖怪じゃねえしなあ……」
「……なんだと?」
「アンタら全員にあの人魚が見えてるとなると、あれは妖怪でありえない。妖怪ってのは……少なくとも国産のは、そう言う目を持つ奴にしか見えないから」
「じゃあ……」
「だから、俺にはあれは祓えない。俺の専門外」

 にっこり笑って告げてやれば、鈴木や朝比奈の頬が引き攣った。

「ど……どーにかならないんデスカね……」
「ならないなあ」

 のんびり答えている皓里の背後に、すうと気配が忍び寄る。

「皓里ッ……!」

 真っ先に気付いた朝比奈が焦って皓里を引き寄せようとするが、逆にその手を忍び寄るものに捕らえられてしまう。
 朝比奈さん、といくつも慌てた声が出る中で、皓里は「おや、」と緊張感のない声を出した。
 皓里が振り向くと、背後では長い髪の人魚が艶美な笑みをたたえてこちらを品定めしていた。そうしながら掴んだ朝比奈を己のところまで引き摺ろうとしているようだが、朝比奈はぐいと踏ん張って耐えている。

「やれやれだ。遊ぶ海域の危険生物くらい調べとけよ、兄貴め」

 急な仕事が入って船室にいる万里に向かって、皓里は軽い恨み言を言う。

「お、弟サン! 何とかしてクダサイって!」
「……やれやれ。小説のネタにもならねえのに、めんどくせえなあ」
「皓里! いいからどうにかしろ!」
「どうにもならねって。まあ……駄目元でやってみっか。朝比奈さんのピンチだし」

 伸びてくる触手を閉じた蝙蝠でたたき落として、皓里は蝙蝠をしまいついでに懐に手を入れた。

「人魚って言うと、水気の生き物だよな……。土をもって水を制すのが妥当だけど、甲板じゃなあ……。だいたい、辺り一面海、海、海じゃ、水気は強まるし……」
「お……っ弟サン、早く!」
「んー……、ここは相侮、火侮水でいきますか」

 皓里は一人頷いて、懐から人形(ひとがた)を五枚取り出した。それを上空へ放り、直ぐさま柏手を打つ。すると夜の中空に放られた人形は、ひらひら落ちてくる途中でぴたりと停止した。人魚も執事も、興味深そうに上を見上げている。

「言霊をもって陰なる者を屠る浄化の火とす。宿れ、火之夜藝速男神(ひのやぎはやをのかみ)」

 皓里がもう一度柏手を打つと、バラバラに浮いていた人形が皓里の頭上に集まり、手を重ねて輪を作った。じわりと人形の頭から血のような赤色が滲み出て、それは何がしかの文字を連ねていく。
 ぐるりぐるりと回りだした人形には赤い文字がびっしりと書かれ、文字は弱く光っているように見える。人形の輪の回転速度が増すだけ、発光も強くなり――やがては、人形は大火に包まれた。
 轟々燃えながら人形は上昇し、炎は次第に人らしい形になっていく。炎の変化に伴い船上は大火事の現場さながらの熱気となった。執事たちも人魚も汗を流しているのに、皓里だけは涼しい顔で人魚を見据えている。
 おお、と炎が低くうめく。炎は人の形になり、頭部には人間の顔がある。頭髪は炎、身に纏う鎧も燃えている。空に浮かぶ炎の男は、顔を強張らせている人魚を金色(こんじき)の瞳で見下ろした。

「頼むぜ――!」

 人魚を見据えたままの皓里の声に、その人外は応と答える。喉が焼けているような声だった。
 人外は口から炎を吐き出して、それを燃える大剣に作り替える。人外は生み出した大剣を振りかぶって、人魚めがけて急降下した。
 人魚はさすがに身の危険を感じたらしく、慌てて海へ逃げようと背を向ける。皓里の横目に、朝比奈の手首を掴んでいた触手がほどけるのが映った。
 人魚が海へ飛び降りるよりも、強く輝く炎の剣がその身を断つほうがずっと早かった。一刀両断された人魚の身体は、一瞬で燃え尽きる。
 攻撃対象が焼け焦げ、炭化して崩れて消えていくのを見届けて、人外は炎が風で掻き消されるようにして姿を消した。
 呆然としている鈴木の目の前に、ひらり、ひらり、と、真っ白な人形が落ちる。鈴木はつい、といった風情で舞い落ちてくる人形を掴んで、繰り返し表と裏を検分した。鈴木が何度よく見ても、人形は多少焦げ付いているだけの何の変哲もない白い紙でしかなかった。
 皓里は鈴木の掴んだ人形を含めて回収し、懐に戻す。これはもう使えないので、あとで捨てておくのだ。

「さて、退治完了。やっぱ祓うじゃなくて殺すになるなあ」
「……お、弟サン……。さっきの、何なんデスカ」
「何って。火之夜藝速男神」
「は、はい?」

 さらりと何でもないことのように皓里は言うが、頬を引き攣らせている鈴木にはわからなかったらしい。

「カグツチって言ったほうが分かりやすいのか?」
「……えーと?」
「日本神話の火の神ですね。イザナギ、イザナミによる神産みによって産まれた……。皓里、まさかあれは本物の神なのですか?」

 皓里は首を傾げた鈴木に説明しようとしたが、先にアルバートに言われてしまった。
 興味深そうに訊ねてくるアルバートに、皓里は「そんなわけあるかい」と否定を返す。

「モノホンなんて、畏れ多くて呼びだせるか。タダで呼ばれてくれるほど神さん連中も無欲じゃねーし。――あれは、単にカグツチの名前を借りただけのモノだよ」
「名前だけ、ですか」
「ただし、名前ってのは大変なものだからな。魂を縛る。俺はその神様の名前を、言霊の力で借りて、それで力を借りたにすぎねんだ。名前だけでアレだぜ、本物呼びだしてみろ、熱すぎて死ぬ」

 汗かいてなかったろ、と小声の突っ込みを皓里は拾ったが、反応してもいいことはなさそうなので捨て置いた。

「なるほど……。ふふ、あなたは実にいいですね、皓里。是非私の漫画のモデルになってみませんか」

 そういえば漫画家だった、と皓里は思い出す。基本的に皓里は執事の本業のことはどうでもいいのだ。

「やだよ」
「では祓った妖怪のお話などを聞かせてもらいたいですね」
「やだね、俺の小説のネタなんだから」

 舌を出すと、アルバートは軽く瞠目をした。

「おや? 皓里は祓い屋なのではないのですか」
「表稼業でホラー作家してるからな。ホラーっつうか……まあ妖怪モノ」
「ほう」
「え、弟サンそーだったんですか」
「皓里さんすごーい」
「うわ、トーリ?!」

 いつの間にやら戻ってきていた三日月が、鈴木にのしかかりながら笑っている。

「もー、皓里さんがあんなの出すから、人魚さんビビって逃げちゃったじゃん。俺まだ遊び足りないのに」
「俺じゃなくて根性なしの人魚に文句言えよ」
「ぶーぶー。トーリ君つまんなーい。世界、遊んでよ」
「イヤデス。離れてくれマセンかね」
「わーん、小野寺さーん、世界が冷たい〜。慰めてー」
「嫌だ。このっ……くっつくな!」
「えー、いいじゃん、俺と遊ぼうよ。俺小野寺さんとセックスしたいなー」
「アホか! 鈴木、責任もってこいつ引き取ってくれ」
「何で俺がトーリの責任とらなきゃならないんデスカ!」
「あはっ、俺と世界って一蓮托生って思われてるー? 世界世界、イェーイ!」
「うっとーし……」

 まるで学生のように賑やかに騒ぐ執事たちに、皓里はやれやれと蝙蝠を開いて口元を隠す。
 元来、皓里はこのような賑やかな輪には縁遠い人間だった。人ではないものが見えることを気味悪がられていつも仲間はずれだったし、家族だってこういう騒ぎ方はしない。
 自分が賑やかな人間たちと同じ場所にいることにひどい居心地の悪さを覚えて、皓里は眉を顰めた。

「皓里」

 端から見れば機嫌が悪いように見えたのだろう、朝比奈が苦笑して皓里の肩を叩いた。皓里には、昔朝比奈に騒がしい人間は嫌いだと言った覚えがある。

「……さっきは助かったよ。ありがとうな」
「どーいたしまして」
「無理はしてないか? ああいうのにも体力やらがいるんだろ」
「多少はね……。神の名前を借りるのは結構疲れますけど、大物相手よりは神経使わなかったんで、平気ですよ」

 口元を隠したままで皓里は素っ気なく言う。人でないものを退けることで礼を言われるなど、慣れていないのだ。仕事では組合を通じて依頼が入るので、依頼人とは顔を合わせない。
 朝比奈は皓里の居心地の悪さを見透かしたように柔らかく笑って、皓里の頭をわしゃわしゃと豪快に撫でる。

「そうか。お前は昔から体力がなかったから心配したんだが」
「朝比奈さんが体力馬鹿だっただけでしょ」
「いや。お前はすぐに疲れて、それを三宮にからかわれて、不貞ていたろう」

 護身術くらいは身につけろ、と通わされた道場でも、皓里はすぐにばてていた。その度万里に貧弱と鼻で笑われ、ムキになって練習を続けた。妖怪を従えれば自分が筋肉痛に悩まされながら鍛錬をする必要がないのだと気付いたのは、二十歳になる前のことだった。
 御呼び下さればよいものを、と陰に入っている僕に苦い声で言われた。

『神の名を借りることは、人の身であるぬしさまの命を削るようなものですのに。神気は名にも宿る。神気は神々以外には過ぎた陽、その聖なることはなはだしく、人も妖も命を焼かれます』

 白露と言う名の下僕は言うが、神々が陽気だけの存在というわけではない。彼らでさえ陰陽の理からは外れられない。神気だけは陽気の塊だが、神々は人間や妖怪よりも廻る陰陽が膨大なだけなのだ。その太極の陽の中に、人間の太極なら少なくとも十人分は入るだろうか、という具合に。

「……わかってる」
「皓里?」

 皓里の、陰に向かって吐息に混ぜた返答を朝比奈は拾ったらしい。朝比奈は少しの間不思議そうにしていたけれども、すぐに何か思い当たったのか納得いったような顔をした。
 多分、朝比奈はここに妖怪がいるのだと考えたのだろう。それはほとんど正しいので、皓里もあえて否定しなかった。

「……やっぱ、ちょいと疲れたんで、俺はもう休みますよ」
「そうか……。おやすみ、皓里」

 朝比奈は最後にもう一度皓里の頭を撫でて、優しく笑った。懐かしさを覚えた皓里の頬も、自然、ゆるりと上がる。

「おやすみなさいよ、蓮のお兄さん」

 子供の頃の呼び方で朝比奈に笑ってやれば、彼は一度瞠目してから、懐かしそうに微笑んだ。

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