勢いだけでシリアスっぽい主←鈴
雨が降っている。降り注ぐ音は確かに聞こえるが、しかし視界は悪くなりすぎない程度に。しとしと、そうやって擬声するのが一番似合う静かな雨天。
鈴木は誰もいない――正確には、人の立ち去ったあとの部屋でベッドに四肢をだらりと投げ出しながら、虚脱して雨音を聞いていた。
遠くの木々の葉が擦れ合うようにも聞こえる雨声が、明かりの灯っていない薄暗い部屋を満たしている。虚ろな気持ちでいる鈴木の中までもそれは侵入してきて、余計に鈴木を深いところに沈めてしまう。
義理の父親に身体を暴かれたあとは、なんだかむなしくて、けれど悔しくて憤ろしくて、でも憤ったところで何ができる――という諦観、無力さへの絶望がない交ぜになって、気力というものが根こそぎ奪い取られるのが常のことである。こういう情緒的な雨の日は、それが顕著だった。雨声に紛れて、つぶさに反応している自分の声まで思い出してしまうから。
太陽光がなければ人心は鬱々としてしまう、と聞いたことがあるけれども、まったくその通りだなと、鈴木はぼんやりと思う。
陽の光が射し込んでいれば、まだ少しはマシなのだ。こんな嫌悪感しかもたらさない部屋なんてとっとと立ち去ろうと身繕いするのに、雨の日はこうしていつまでも起きあがれずに虚脱している。
陽光に照らされていたら、荒んだ心にも光がさしているような気がする。光は鈴木を内側からあたためて、恐れることも脅えることなどもないのだと背中を優しく押してくれる気がするから――などと零せば、きっとあの男は嗤うのだろう。鈴木の身体だけを追い立てる義父などではない。身体どころか、心の深いところから浮き上がらせて惑わせる男――三宮万里は。
鈴木は雨音に蝕まれながら、三宮の意地悪い声を想起する。耳元に落とされる底意地の悪い言葉、一転して甘くささやく声、いい子だと言いながら鈴木の頭を撫でる掌、その大きさと温度、触れ合う肌と肌、伝わる鼓動――与えられる衝撃の熱さと激しさ。
一度三宮の何かを思い出せば、次々と彼の様々が押し寄せてくる。去来する記憶を拒まず受け入れていると、鈴木の細身は少しずつ力を取り戻していった。
時には下腹部が甘く疼いたりもして――鈴木はためらいがちに中心に手を伸ばす。横臥して身体を丸め、あとは高ぶるまま自らを慰めた。
「……ッう、あ……ァ」
短く声を上げるのと同時に、雨音に紛れてぱたぱたとシーツに熱が飛び散る音がした。
息を整えながら、何をやっているのかと鈴木は自嘲する。
義父の手つきを忘れ去ろうとするかのように三宮を思い出して一人致すなどと、無意味にもほどがある。結局自らに触れているのは三宮ではないし、思い出だけで義父に与えられた不快感と嫌悪が消え去るわけではない。だからこんなことには欠片も意味がないのだ。
鈴木はそれをわかっているし、嫌というほど理解している。なのにこうして、雨のたびに記憶の中の三宮に縋ってしまうのだ。
「……アホらし」
鈴木はベッドに顔を埋めてひとりごちる。
不愉快さを三宮で上塗りしたいなら、理由をつけて三宮にねだればいい。それが一番手っ取り早いし、うまくねだれば三宮も抱いてくれるだろう。
けれどそうしないのは――できないのは、鈴木にも矜持というものがあるからだ。三宮に依存したくない。自分の足で立っていたい。しっかりと、地面に両足をつけて。
だから、三宮本人には頼りたくない。これは本来鈴木の問題で、乗り越えられるかどうかも鈴木自身の問題だ。
義父が鈴木にしてきたことは決して軽い問題ではない。他者の力が必要なことだ。だが、鈴木はやすやす三宮の力を頼ろうとは思わなかった。
それは三宮に、弱者と言われたくないという意地であった。認めさせたいのだ。弱くなどないと。
いつか必ず、義父のしてきたことを白日のもとにさらしてやる――。鈴木はぐ、とシーツを握りしめる。
それで鈴木にも奇異の視線や嘲笑、侮蔑などが集まるだろうが、それがどうした、と逆に鼻で笑ってやれるくらいに図太くなったら、必ず。
(そうしたら、よくやったって、誉めてくれマスかね、ご主人様――)
もう一度頭に触れる三宮の手を思い出してから、鈴木はシャワーを浴びるために体を起こした。
雨音は相変わらずしとしとと鈴木の聴覚を震わせるけれど、いまはもう、それは何の意味も持たないただの音だった。