「出掛けるぞ、丙」

それは唐突に投げかけられた言葉だった。
先程の雰囲気とはガラリと変わり、棘が含まれた声が耳に残る。
電話に出ることはせず、しかし画面を見て顔を歪める、着信の相手が誰なのかもわからぬまま、丙は急いでいつものお仕着せに身を包み、みだしなみを整えた。

「遠野さんじゃなくていいの?場所さえ教えてくれれば俺車だすよ」
「いい、俺が運転する」

その上、銀司は先ほどから一度としてこちらを見ようとしないのだ。
嫌な予感が胸の中に湧き出るかの如く生まれはじめ、車の助手席に乗るころには、恐怖すら覚えていた。

「あの、銀くん……どこに行くかって教えてもらえない?」
「いずれわかる」

その答えに尚の事丙は呼吸が重くなったような気がした。
知っているのだ、銀司がこちらを見ない時は何かを隠している時なのだと。そしてそれが、よくない事なのだという事も。








「魂の番に出会った。俺は、丙を愛している。今まで散々迷惑を掛けて、期待させて……その上会場に君を置いていくなんて最低な事をして、本当に申し訳ないと思っている、だが、どうしてもこれ以上君との関係を続けることは出来ない、関係を解消させてはもらえないだろうか」

丁度その頃だった、赤柳光雅は上杉邸に身を置いていた。
丙が帰ってすぐ彼は、皐月に改めて話をさせて欲しいと持ち掛けた、他でもない、謝罪と別れのだ。
予想外にも彼はそれを快諾した、午後であれば好きな時間に来ていいと、覚悟はしているからと。

「光雅さんの気持ちはわかりました。でも僕も、話しておかなければならない事があるんです……」
「話す、こと……?」

不思議だった、皐月は今まで光雅のイエスマンだった。彼に意を唱える事はせず、黙って頷いたり、 愛してほしいと求めることはあれど、別段多くを語らなかった。
それがこんな別れの際になって、聞いて欲しい話などあるだろうか、と。

「もうすぐ来ると思うんですけど……あっ来てくれた!」

弾んだ声、それはたった今別れを切り出された人間には到底似合わない声色。嬉しいと体全体で喜んでいるようなそれだ。

「いきましょ光雅さん、会わせたい人がいるんです!」

まるで少女と見紛うような艶やかさ、頬はほんのりと紅が差し、これはもしかしてと内心胸を撫でおろした。
きっと皐月にはもう既に思い人がいたのだと、確信に似た何かが湧く。それはいつ頃からだったのだろうか、既に出会って長いのであれば、逆に気を使わせてしまっただろうかと色々な考えが巡った。
皐月のようなオメガたちには家の決めた優先順位がある、たまたまそれが下位だったというだけで、自分がいたから皐月はその人間を選べなかったのだと勝手に結論付けていた。
彼が、玄関の重厚な扉を開けるまでは。

「……な、っ」
「銀司さんっ!」

光雅の瞳に映ったのは、皐月でも、皐月が呼んだ名の主でもなかった。
何度見ても綺麗だと思えるその赤、誰であるかなど、考えるまでもなかった。

「……あ、ぁ……ぅ」

抱き合う二人、目の前で起こっているメロドラマのようなシーンに、ただ茫然と見るしか出来ていない光雅と、吐き気を抑えるかのようにその場に蹲った丙。
まるで地獄とでも思える光景に、光雅の体は勝手に動いていた。蹲ったままの丙の肩に手を回し、抱き込む。
見上げれば感情を失ったかのような深い寒色の瞳が見えて、動揺と憎しみを込めた視線を送る。

「どういう、つもりだ……」

地獄の底から手を伸ばしているかのような、低い声。
威嚇するような意味も混ざったそれを、九条銀司はものともしなかった。

「光雅さん、実はその……僕たち、魂の番だったみたいなんです!それで、昨日のうちに婚約することが内々で決まって」

嬉々として話す皐月が酷く場違いに思えて、初めて彼を睨み上げた。
しかし彼もまた、動揺する素振りの一つも見せない。

「お前、昨日言った言葉を覚えているのか?」

丙は先ほどから光雅の腕の中、ピクリとも動かず彼を見上げている。他の誰も見えていないとでもいうように。

「その言葉、そっくりそのまま返そう、昨日皐月に対し、お前はなんと言った?」

置いていった後の二人を光雅はしらない、そしてそれは丙も同様だ。
アルファ同士の睨み合い、拳を交えたわけではないのに、プレッシャーが刃となりビリビリと全身に衝撃が走っている。
見上げている分光雅の方が不利ではある、けれど彼は丙を守る、その一心で動いていた。

「お前の言葉は全て、偽りだったのか?」
「偽りなんて一切なかった、あの時はな」

銀司は尚も光雅を見下ろしたままで丙の方を見向きもしない。それが尚の事気がかりで、ちらりと丙を見れば、顔は真っ青になって唇さえも紫にほど近い。光雅の脳内に、このままではまずいと警鐘が鳴り始めた。

「ぎ、く……お、おれ……」
「丙さん、ごめんなさい、こんなことになってしまって……でも、さっき聞いたんです、丙さんも光雅さんと魂の番、なんだって」

だから、と彼はぴったり銀司に寄り添った。そして告げられた言葉は丙の心を壊すには充分すぎるものだった。

「銀司さんは僕を選んでくれたんです……魂の番同士が契ったほうがいいって言って」

けれどすんでの所で彼はまだ感情を失ってはいなかった。彼の中で銀司の言葉を信じるという気持ちが何よりも強く残っていたから。

「……ぎん、くん……ほん、と?」

震える声でそう問う彼。もう声を出すのだってやっとだろうに、必死なその様相は見ている方が悲痛な思いを抱くほどだ。

「ああ、そうだ。俺は魂の番同士が契りを交わした方がいいと思ってる」

銀司は丙に今まで目を合わせる事をしなかったのに、今度ばかりは目を合わせ、はっきりと言い切った。
そして丙はわかってしまったのだ、その言葉が本心であると。

「あ、あ……あ゛ああああああ゛あっ!」

全身で苦しいと叫んでいる。苦しみが他に伝染するような叫びと共に、彼は狂ったように頭を振った。
壊れてしまったと、光雅はそう思わずにはいられなかった、愛している人間を壊されたと。
そしてプツリと彼は糸が切れたように動かなくなった、サッと血の気が引いて呼吸を確かめれば、息自体はしているらしく、ほっと胸を撫でおろす。

「何てこと、しやがった……」

孕んだ怒気は何よりも強く、ドロリとした憎しみが胸中に湧き上がる。

「丙が、丙がどれだけお前の事を好いてるって知っててッ!」
「……ああ知ってた、でも愛っていうもんの形には、型なんかないんだよ。それに、お前が言える立場か?さっき、皐月を捨てたんだろ?」

これは光雅が行った今までの行動への報いだ。
それでも、ただ純粋に一人の男を好いていただけの、なんの罪もない丙を傷つけた相手を憎まないでいられる程、光雅は大人になりきれない。
感情というものを覚えたのは、丙が共にあってくれてからなのだから。

「……俺は、丙を攫う。お前には二度と合わせない、家にも帰さない、全責任は俺が取る」
「こ、光雅さん、あの……なんとも思わないんですか?」

恐る恐る問う彼に、光雅は答える事をしなかった。
代わりに視線で一瞥をくれてやると、ひっ、と小さく声を上げ、尚の事銀司にくっついた。

「そうか、勝手にすればいい、丙の事は俺から当主に言っておこう」

冷たく放たれた言葉と同時に表情を消した光雅は、丙を抱え立ち上がる。
だらりと力なく抱えられる彼を、銀司はじっと見つめたままだった。
光雅は車の助手席にそっと丙を降ろすと、何を言うでも視線を寄こすでもなく、エンジンを掛け上杉邸を後にした。

「こうがさんが……僕を、選ばなかった……?」
「それで、その計画とやらは、どこからが本番なんだ?」
「そ、そうだ!婚約会見!婚約会見を開けばいいんですよ!そしたら絶対に光雅さんの目に止まりますし!」

必死に縋る様相はもはや哀れ。それでも彼はこちらは何も準備しないという条件の元、その提案をのんだのだ。











「お前ら兄弟はいつもそうだ!巻き込まれるこっちの身にもなりやがれボケェっ!」
「まぁまぁ、でも、俺は銀の気持ちがわからないでもないからなぁ」
「うぜー、まじうぜー、誰もンな事頼んじゃいねぇんだよ」
「それに、ようやくこちら側にきてくれたようでお兄ちゃんとしては嬉しい限り」
「嫁になって初めて分かったっつの、お前らの、っていうか九条の異常さ」
「大丈夫、だって丙だから、必ず戻ってくるよ。なにか、イレギュラーな事態さえ起らなければね」
「俺はただ、あいつが心配でたまんねぇよ……」





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