「どこかにいるはずなんだ……」

会場内は美しい人間で溢れてた。その中でも一際綺麗だろうあの特徴的な赤毛は、落ち着いた間接照明が打ち消しているらしい、広い会場の中では見つける事は出来ない。

「……ぅがさん……」
「丙……なんで……」

わからなかった、丙は来たくないと行っていたのに、間違えようのないあの匂いは、彼の所在をこの場所に示している。
本来なら匂いを辿ればいいものを、会場内に入った途端、香水を付けている人間がうじゃうじゃいたせいか、色々な匂いが混じってわからなくなり、完全に手がかりである彼の匂いが絶たれてしまった。
見つけられない焦りばかりが募り、命令でもされたのか、それともと、憶測の域を出ない考えがぐるぐると頭を巡る。

「光雅さん!」

ビクリと、我に返ったかのように彼の肩が揺れた。
不機嫌そうに声を上げた皐月、それもそうだろう、ホテルについた瞬間から、彼は正気を失ったかのようにキョロキョロと周りを見渡しては、せっかくセットした髪をクシャクシャにしてみせたり、皐月が見えていないように視線を下に向けることをしなかったのだから。
光雅は彼を構うことなど無しに、ただ遠くにいるであろう彼を探し続けていた。

「あ、ああ……本当にすまない、皐月……来ないはずの友人が、来ているようだから気になってしまって」

きっと彼は気付いていない、自分が今どんな必死な様相をしているか、冷静な判断を欠いているか、皐月をどれだけ惨めな気持ちにさせているのか、という事に。

「丙さん、ですよね?」
「ああ……。あいつはこいう場を嫌ってるし、慣れてない、もしかしたら命令されて連れてこられているのかもしれないと思ったら、友人がいた方が気が楽だろう?」

彼はきっと、内心そう必死に言い訳しているのだろう。
それなのに本人は、それが言い訳だとも気付かない。
自分がどれだけ余裕を失っているのか、わかっていないのだ。

「そうだったんですか、でもご友人の事ばかり考えていたら僕の方が妬いちゃいますからねっ!」

完璧なエスコートを見せてやりたいくらいだと丙の前で言ったのに、きっと今の様子を見たら、彼は酷い有様だと笑うだろう。
けれどそれはきっと、決して嫌味でなく、ニッと口角を上げて髪を撫でてくれるようなそれだ。

「そうだね、それに、巻谷会長への挨拶がまだだったか……行こう、皐月」
「はい、光雅さん」

腕を組み向かったのは一層人だかりの多い一角、その中心には本日の主役が和やかな談笑を繰り返していた。






丙は会場入りした途端、周りの視線がこちらに集中するのがわかった。
誰が来たのか観察するものもいれば、珍しいものを見るような目を向けてくる者もいる。
そしてあまり好意的とは言えない視線も、全て同時にこちらへ集まっていた。

「丙、大丈夫だ、気圧されるな」

体が固くなってしまったのがわかったのか、腰に手を添えたままの唇を耳に寄せ、囁く。

「はい、銀司様」

そこかしこで、こちらを伺いながら耳打ちする姿が見える。
言葉までは聞こえないまでも、その様子を見るに、いい話題でないのは明白だ。
けれど、銀司の言葉を貫けばこそ、自分のやるべき事だけに集中出来るような気がした。
会場の奥に進めば、一際目立っている人の塊が彼らの前に現れた。

「ご歓談中失礼致します、巻谷会長」

その圧といえばすさまじく、足をガタつかせずに立っているだけでも褒めて欲しいと思うほどだ。
けれど銀司は何処吹く風で、臆することなく今日の主役へと声をかけた。

「君は……どこかで会いましたかな」
「いえ、本日お初にお目にかかります。私は九条の次男、銀司と申します。多忙な父と兄に変わりこのような盛大な会に出席出来たこと、大変嬉しく思います。この度は誠におめでとうございます」
「なるほど君が九条の次男か、こういう場には姿を見せないと聞いていたが、珍しい事もあるものだね」

穏やかな人だと思った。周りのアルファに比べギラギラしていないとでもいうのだろうか、それともこれが余裕というやつなのか、巻谷会長の視線には棘はない。

「ええ、元来パーティの類は得意ではありませんが、うちでもかなりの子会社と連携していただいてますから、祝の席ということもあり、是非とも直接御礼とお祝いを申し上げたかったもので」
「いやいや、九条家にはこちらも大分世話になっている部分がある。もう何代もの付き合いになるからね、君はお父上から何か仕事を任せられているのかな?」
「いえ、父は十年ほど前から業務の殆どを兄に任せ、海外で新事業を行っております、実質国内では兄が九条の当主ですので、現在は兄の元で様々な事を学ばせていただいています……ですが、彼との未来のことを考えて、近々ベビー、キッズ用品の会社を立ちあげるつもりでおります」
「えっ……」

突然の話題に丙はぽかんと口を開け目を見開いた。
この場にそぐわない表情だというのは理解していても、信じられない言葉がしっかりと耳に届いたせいで、混乱が隠しきれなかったのだ。

「紹介します、将来的には私の妻になる卯月丙です」
「あ……はいっ!お、お初にお目にかかります、卯月です、巻谷会長の手腕はかねがねお聞きしておりましたのでお会いできて光栄です」

後半は持ち直したものの、キッズ用品や妻などと考えもしなかった単語が刻み込まれては、ドクドクと激しく脈打つ心臓が体温を上昇させていく。
会長はといえばチラリと丙に視線を向けて笑むと、すぐに銀司へと戻した。

「……私にも六人ほど孫がいてね、今日もお祝いに来てくれている。学校に上がった者もいるが、まだ生まれたばかりの子もいて幼い。どのようなものを考えているのかな」
「キッズ用品では着せやすく脱がせやすい、それでいて汚れにくい服を、ベビー用品では大人の負担を限りなく減らすものを作りたいと思っています、現段階ではどのようなものが需要があるのか調査をさせている段階です」
「ふむ……言いたいことは大体わかった、君の望んでいる事もね。ただそれだけでは弱い、発想は嫌いではないから、もっと練って持ってきなさい」

突如片鱗を見せた穏やかな言葉の裏に見える経営者の顔と圧倒的なオーラ。彼の言葉はまだ青いと暗に告げているようにも思えて、ゴクリと唾を飲んだ。

「ええ、最初からこの程度で納得されるとは最初から思っておりませんでした。だからこそ会長に、今日ここでお話をしたことに意味あがある。適当に援助を出す人間ならば五万と居るでしょう、誰しもが九条とのパイプは持ちたいでしょうから。けれど資金がいくらあっても増やせなければ失敗も同じ、湯水のようにお金を使わせてくれる相手を選ぶより、投資として選ばれる者でありたいですから。それに、興味はお持ちのようだ」

銀司も会長も、経営者の顔だった。自分は入れないと早々に悟った丙は、息を殺し気配を消した。
戦っている、そんな表現が適切だろうか、ピリピリとした空気が肌を刺す。

「ははは、若さはいい、確かに興味が湧いている。伸びしろがある、という意味でだがね。それだけの自信があるプロジェクトなら、堂々と企画書を私のところに持ってくるといい、誰にでもできるくだらないものであれば、こちらも投資する意味がない。私に投資をさせてみなさい」
「時間の問題かと思いますが」
「ああ、本当に君は若い、羨ましい限りだ」

早く終わってくれと思わずにはいられない、銀司はいつの間にかこんな世界で会話が出来るほどに大きくなっていたらしい。
成長を感じると同時にもっと遠い手の届かない所へ行ってしまったような気がして、丙はぎゅっと拳を握った。

「それでは巻谷会長、お時間をいただきありがとうございました」
「こちらこそ、期待を裏切らない事を望んでいるよ」

深々とお辞儀をする彼に倣い、丙もそれに続く。
彼よりも長い時間頭を下げ続け、あげた時には会長達の視線はこちらを向いていなかった。
会長が見えなくなる辺りまで二人歩けば、どっと緊張の糸が切れたかのように、丙は銀司に寄りかかるように体を預けた。

「……申し訳ございません、銀司様」

体もまだ熱く、火照った息がはぁ、ともれた。

「構わない、よくアレに耐えた。気付いていたか?気迫で相手を怯ませようとしていた事に」
「いえ、ですがどこか恐ろしくは感じていました」
「それが正常だ、俺でさえ怯まなかった事に驚いている……これも丙がそばに……」

銀司が腰を抱く腕の力を強め、何か言おうとした時のことだった、丙の鼻腔を嗅ぎなれた匂いが掠めたのだ。
香水の匂いに打ち消され、気付くはずもないと思っていたそれに、心臓が一度大きな音を立てる。

「……ひのえ」

震えた声色、後ろに彼がいる、そんな確信を抱きながら、丙はそっと振り返ったのだ。

「光雅」

そして心の底から後悔した。
見てしまったのだから、一生忘れる事が出来ないだろう、怒りでも侮蔑でもなく、苦しそうに歪められた彼の悲哀に満ちた表情を。




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