「……いま、何て言ったの?」
「九条銀司様は、明日の祝賀会に誰かを連れて行く算段のようです。通常、社交の場に参加していたのはお兄様のようで、ちょっとした噂になっていますね、パートナー必須であるはずなのにと……憶測の域を出ませんが、恐らくは卯月丙ではないかと思われます」

その日、皐月は大学から帰る車の中で、側仕えから九条銀司が祝賀会に参加するらしいとの情報を得たと報告を受けた。
自分も光雅のパートナーとして、ひいては未来の番として参加するその場に、一番の邪魔者と、利用価値を確かめている人間が同時に現れる可能性が出始めているのだ。
九条銀司だけならばカモがきた、とでも思ったのだろうが、丙が来るのなら話は別だろう。

「なんで卯月丙だって思ったわけ?」

皐月はその可憐な顔を酷く歪ませて、落ち着かないというように足を組み変えながらそう尋ねる。

「先週から彼は会社で寝泊まりしているようで出てこない上、その期間一度だけ出てきた時にはバーやホテルではなく九条邸へお戻りになったようで、そのまま朝まで出てこなかったようですから、参加するという噂が出た時期を考えると、可能性が一番高い、と言ったところでしょうか」

ギリッと唇を噛み締め、苛立ったように髪を掻く、皐月は丙の事が気に食わないと純粋にそう思った。
光雅にしろ銀司にしろ、視線の先にいるのはきっと卯月丙なのだろう。
あんなどこにでもいそうな外見をした男の一体どこに惹かれるというのか、それとも美しいものを見過ぎてたまには変わり種でも試したくなったのか。
どちらにせよ邪魔である事に変わりはないし、あの様子であれば光雅はまだ自分の感情に気付いていない。
むしろ、気付かせたら終わりだ。これまで積み上げてきたものが一瞬で崩れ去る。
蝶よ花よと扱われて来たのもすべて利用価値があるからなのに、それを証明出来なければ未来さえ絶たたれてしまう。
なればこそ、光雅の瞳がこちらにだけ向けばいい。
地顔の良さであれば天と地ほどのさがあるのだがら、精一杯に着飾って、視線を独り占めしてしまえばいいのだ。

「すぐによりすぐりのものを集めて。男女なんて関係ない……タキシードでもドレスでもなんでも、僕に似合うと思うもの全て!」
「かしこまりました、皐月様のおっしゃる通りに」

明日に迫った祝賀会を前に、皐月は苛立ちを抱えたまま準備に勤しんだ。





「政次ぅ……どうしよう銀くんもうすぐ来ちゃうよ……並べる?俺銀くんの隣に並んでも平気?」
「へーきへーき、そのタキシードだってハイブランドだろー?」

祝賀会当日の事だ、丙は珍しく一日丸々休みをもらい、朝からパタパタと不安そうに政次の隣で準備に勤しんでいた。
昨夜は落ち着かず屋敷の自室で何度もタキシードを着てはため息をつくを繰り返していたが、当日になれば当日になったで、焦る気持ちを抑えられていない。
もはや、光雅も同じ会に出席する事を忘れているかの如く。

「だって銀くんだよ!?あんなにかっこよくて洗練されててスマートで誰もが虜になるような人の隣だよ!?……それに優しいし、可愛いし、機嫌が顔に出たりするのがまたたまらないんだけど……」
「後半一切関係ねぇわ!大丈夫だっつってんだろ何回繰り返すんだこのくだり……時間見ろ時間!」

時刻は既に午後三時を周り、夜は確実に近付いている。
もうすぐ迎えに来るというのに、丙はまだ準備万端とは言えない状況下にいた。

「もう一回風呂に入っても間に合うかな……?」
「冷静に考えろ、間に合うわけねぇだろ……それに、もう四回も入ってんだぞ」
「だってワックスが!ワックスがうまく使えない!」

丙の髪は剛情だ、いくら整えたところで時間が経てばぴょこぴょこと跳ね出す程度には融通が効かない。

「ちっ、しゃーねーな……確かこの辺に……ああ、あった」

いいながらポイと丙の方に放ったもの、それは政次が妊娠発覚前に使っていたスプレーだ。
金吾の妻という立場もあってか、乗り気ではないにしろそういう場に駆り出される事もゼロではなく、髪のセットの時によく使っていたものだった。
本来ならお抱えのスタイリストが居てもいい家柄ではあるのだが、政次に関しては金吾がコーディネートからヘアセットまで全て手掛けていたものだから、無駄に道具ばかりが揃っている。
その手前、政次は使わないのも勿体無いとかで、日常使いもしていたのだが。

「それが一番固まるぜ、つっても、俺の髪にゃ合わなかったんだけどな、効きすぎて」
「助かる政次!」
「ついでにヘアセットもやってやろうか?こっち来い」

神様政次様奥方様と駆け寄れば軽く小突かれたが、政次はしっかりと多少なりとも男前に見えるように整えてくれた。

「これなら、一緒に行っても恥ずかしない、よな」
「俺が折角やったんだ、やり直すなんつったら張り倒すぞ」
「言わない言わない、ありがとう」

ほっとしたように鏡を越しに言った丙に、政次は口角を上げると気合を入れるかのようにバンと平手で背中を叩いた。

「ッ、たぁ!」
「これ位で泣き言言ってんなよ?ああいう場所は気合入れねぇと呑まれんぞ……特に俺らなんかはな。いいか、気迫で圧倒してやれ」

政次が言っているのは見目の事に関してだろう。
パートナー必須のパーティの場合、隣に据え置くのは大体見目麗しい人間だ、伴侶であれ、従者であれ。
政次に関してはその出自とオメガらしからぬ体格で目立ったのだろう、色々酷い言葉を浴びせられたと聞いた。
とはいえその人物達の現在の消息に関しては、失脚したともっぱらの噂なのだが。
丙に関しても、他のオメガに比べたら大きな体であるし、そしてその見目に関しても優れているとは言えない、加えてもしあの噂が残っているとしたら、傍目に見られる印象は、主人に慰みものにされているオメガと利用価値のわからない主人だ。
格好の的である事は確かなのだろう。

「気迫で圧倒って……政次らしいな、了解、善処するよ」

思わず吹き出しながら返せば、後ろから頭をピンと指で弾かれた。

「お前の役目はしっかり銀坊の隣に立つことだ、あいつの傍、離れんなよ」
「もちろん、そうするよ」

真剣な声色で語りかける政次に、今度はしっかり振り返ると大きく頷きながらそう返す。
拳同士を合わせ約束の証とすれば、それを合図とするようにドアが三回ノックされた。

「入っていいぞ」

誰が来たかがわかっているかのように政次はそちらを見ることなく告げると、案の定と言うべきか、開いたドアの先には銀司の姿があった。

「なぁ政次、丙ここに……やっぱり来てたか」
「あ、あぁ……」

当人である丙はといえば、その場にへなへなと崩れ、両の手で顔を覆い隠しながらも、祈るように天井へと顔を向けている。

「悪いな銀坊、こいつまだ現実がのみ込めねぇってさ」
「予想はしていた、丙の前でここまで正装をしたのは結婚式以来だしな」

政次の結婚式当日の丙はといえば、正に今と同じような状況で、屋敷を出るまでは銀司に視線を向けたままぽやぽやとして使用人としては使いものにならなかった。
屋敷を出た後はスイッチでも入ったのだろう、いつもの彼だった分、今回も心配はしていない。

「好き……銀くん好き……」
「政次、丙は準備出来ているのか」
「もう連れてっても問題ないぜ、今さっき全部済ませた」

丙の様子に慣れている二人はといえば、うわ言のように呟く彼をチラリと見ながらも何事も無かったかのように話を進めている。

「何から何まで悪いな、行ってくる……立て、丙」
「ああ、気ぃつけて行ってこいよ」
「銀くん手!手ぇ!」

ギュッと手を取り促したせいか、丙は混乱しているらしい。
いつもなら自分から抱き締めたりする程に大胆で、何度となく体を重ねているくせに、見慣れない銀司が現れたら途端に初心な反応を見せるのだ。

「はいはいそーだな、いい加減に慣れろ」

呆れながらも手をひらひら振る政次を背に、二人は部屋を出ていった。
内心波乱の夜になるんだろうと思いながらも、彼は大きくなったお腹をさすり、楽しい奴らだろうと語りかけながら、昔を懐かしむ様にきゅっと目を細めた。




「驚いた、あまりにも愛らしくて……」

同時刻、上杉邸前。
赤柳お抱えの運転手と共にリムジンで皐月を迎えに来た光雅は、彼を見るなり感嘆の息をもらした。
エスコートをするように中へ招き入れられた皐月は、妖艶にも儚げにも見える微笑みを光雅に向け、口を開く。

「嬉しい、光雅さんに可愛いって思って欲しかったから、いっぱいお洒落したんです」
「ああ、本当に可愛い、俺がみんなの嫉妬の対象になってしまうね」

光雅の視線が釘付けになる、その感覚に皐月はたまらなくゾクゾクした。
集めたよりすぐりの中から選んだのは、フリルをふんだんに使った白いシャツと赤いリボン、中性的で華奢な容姿を際だたせるボディラインがしっかり出るネイビーのジャケットとパンツだ。
その上今日の皐月は、可愛らしい印象になるメイクまで施してもらっている。
いくら見目麗しい人間をアクセサリーのように侍らせるパーティといえど、皐月程の容姿を持つ人間はそういないだろう。

「僕は光雅さんしかいらないです、どれだけの人に褒められようと、光雅さん以外なら意味がない」
「ありがとう、皐月。やはり君は俺の未来の番に相応しい」

いつもの笑みだ。自身に満ち溢れ、しっかりとこちらを見据える目。
卯月丙に向けるそれとは違う、彼らしい目。
ようやくこちらに戻ってきてくれたと安心するのはまだ早いとはいえ、九割心配はいらないだろうと皐月は唇で三日月を描いた。

「今日はどんな人がくるんでしょうか、未来のお嫁さんとして、僕いっぱい頑張りますね」
「主に聞いたことがあるだろう会社の取締役級の役員だろうね、例えばほらあのパティスリーの目の前にあるビルの代表とか。それにしても、未来のお嫁さんか……いい響きだね。」

ドクリと心臓が音を立てる。数々の会社がある中で、あえて九条の名を語るなど、彼の頭の中に忌々しいオメガがいるのは明白で、最期の言葉が薄っぺらく思えた。

「そんな偉い人達がいっぱいいたら緊張しちゃいそう……光雅さんから離れたくないな」
「冗談、慣れてるだろう?それに、心配しなくても、俺はこんな可愛い皐月を一人になんてしないよ」
「よかった、約束、ですよ?」

控えめに笑って見せた彼の内心は、氷の様に冷えきっていて、これから巻き起こる騒動を予見しているかのようだった。






「銀司様、タイが曲がっております、整える許可をいただけますか?」
「ああ」

規模が違う。それは丙が会場に着き、一番に思った事だ。
まだホテルのロビーにも入っていないというのに、息苦しさを感じる程には入口前のそこかしこにいるアルファの圧に押し潰されそうだった。
不安を掻き消すように銀司の方ばかり見つめれば、ほんの数ミリズレただけのネクタイに目がいくなど、あまり正気とは言えない状態に陥っている。
とはいえ先程の気が抜けた状態はもう跡形もないほどに仕事モードへ切り替わっているのだが。

「丙、お前は俺のパートナーだ、堂々としていていい。今から会場内に入るが、これの比じゃないぞ」

そんな様子を察してか、銀司はそっと腰に手を添えて並ぶ様に歩きはじめた。
一瞬、あまりの出来事に踏み出した足に力がこもってしまったらしい、アスファルトからドンッとらしくない音が響く。
衝撃から起こった痛みは足をジンジンと痺れさせた。

「かっ、かしこまりまひた……」

舌がもつれ思い切り噛んだものの、平静を装うべく表情は仕事モードのそれだ。

「丙は俺が好きすぎじゃないか……?」
「重々承知していただいていると認識しておりましたが、まだ足りませんでしたか?」
「いや、充分過ぎる程だ。それよりも、これからこういう機会は増えて行く、練習程度に思っておけ」
「はい、銀司様のお心のままに」

丙はぎこちなくも彼に促され歩き出す。心臓の音は普段からは考えられないほど高鳴り、体温は上昇していく。
しかし銀司がピッタリとくっついているおかげか、嬉しさで舞い上がり、自然とアルファの圧は感じなくなっていた。
二人が会場入りした丁度その頃だ、リムジンが一台、ホテルの前に停車した。
そこから降りたのは絵画のような二人、美しく清廉で他を圧倒するようなオーラを纏って、背の高い美丈夫が可愛らしい少年に手を差し伸べる、そんな光景が、まるで映画のワンシーンのようにも見える。

「ありがとうございます、光雅さん」

ふわりと花がまうように笑う彼に微笑み返す彼、なんと柔らかな雰囲気だろうか。

「こちらこそ、手を取ってくれてありがとう、皐月」

しかし、そんな空気は数歩進んだ先でガラリと変化した。
ついさっき微笑んだ彼の表情が、感情を失ったかのように固まり、歩みまでもピタリと止めたのだ。

「……光雅、さん?」
「……なんで、なんで……丙がいるんだ……」

微かに残った丙の香りが光雅の鼻をかすめ、静かに彼が呟いた言葉は、皐月の心を黒く染めるには充分すぎる程だった。






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