秋から冬へ(2) 最近虎徹はまた少し変わった。 ある程度人間歳を食ってしまうと、中々自分を変えられないことの方が普通だ。 バーナビーは虎徹より十歳以上も年若かったが、下手をすると虎徹よりも頑固で変えられない気質を自分で持っていると自覚していた。 しかし、虎徹はバーナビーと出会ってから変わり続けている。その変化は表面上の事なのだけれど、それにしてもくるくると万華鏡のよう変わる人なのだなあとバーナビーは思っていた。 見ている分には興味深く、でもその変化は時々バーナビーが胸を痛めるようなもので。 自分がそう望んだから変わったのだろうのに、「その変化は良くない」と元に戻そうとしたりもする。 虎徹は大抵そんなバーナビーの要求に特に何も言う事なくあわせてくれており、いつしかそれが普通だと勘違いしてしまっていた。 虎徹が自分の為に変化するのは当然だと。どうしてそんな勘違いをしてしまったのだろう? 自分が都合のいいように虎徹を変えていた癖に、虎徹の身体の中、真ん中に一本通っている芯のようなものをバーナビーはとても好きだったので変な話そこだけは絶対変わって貰いたくなかった。そしてバーナビーが思う通り、虎徹はそこの部分だけ見事に残してまた少しだけ変化した。 バーナビーはこの虎徹さんはとてもいいなと満足し、そんな自分にどうして? と疑問に思う。 考えて考えて考えて挙句の果てに恐ろしいことに気づいてしまった。 元々この人はこういう人だったのではないか? ということ。 戻った、と言えばいいのだろうか? バーナビーと出会ってから徐々に変化していた部分が一周回って元に戻ったというべきか。 出会った頃の虎徹、それにそう戻ったような気が。 それに気づいた時、バーナビーは自分でも驚く程動揺した。 それがいい変化なのか悪い変化なのか、バーナビーには判別がつかないことにもだが、自分はどんなに自分勝手だろうと自分自身に戦慄したのだ。 バーナビーはずっと時間を巻き戻したかった。 虎徹に手を伸ばし、彼の承諾を得ることもなく無理強いしてしまったあの時、いやそのずっとずっと前。 虎徹が空から落ちてきて、抱き留めたあの瞬間、出会いのあの瞬間からやり直せたらどんなにか。 ああでもない、こうでもない、なんでこの人がこんなに好きで、全部願いが叶って傍にいて、彼も僕の事が好きだというのにこんなにいつも僕は不安なのだろう。なんでだろう? 彼はいつも僕の望むように変化してくれて、僕はそれが当然だと思っていたけれどこれって奇怪しなことじゃないのか。 僕の事を好きじゃなかったら、虎徹さんはこんな風に変化できない、自分を変えたりなんか普通出来ない。 それぐらい僕の事を好きでいてくれて、大切に思ってくれていて、――でもそれって本当なのか? 強引に彼から毟り取っただけなんじゃないだろうか、だなんて。 「えっ、何?」 虎徹がきょとんとした顔でそう聞いてくる。 「ごめん、ちょっと聞こえなかった。あれ、砂糖必要?」 ちょっと待って、と右隣から立ち上がる虎徹の右手を左手で取る。 突然手を掴まれて虎徹が「へ?」という顔で立ち止まった。 仕方がないのでまた腰を下ろし、マグカップをテーブルに置く。 「何?」 虎徹は自分を観ずに俯いているバーナビーの顔を覗き込むようにして再びそう聞いた。 「ごめんなさい」 「え? 何に?」 何の謝罪だ? と虎徹が耳を寄せる。 突然がばっと抱きつかれて虎徹が悲鳴を上げた。 「な、ななななななな、何事?!」 「ごめんなさい、貴方に酷い事をしてしまった……!」 「え……?」 バーナビーの腕の中で虎徹が身を固くした。 バーナビーはずっと虎徹を抱きしめていたけれど、まるで人形のように体を強張らせているその感触に違和感を感じて恐る恐る身体を離した。 そして虎徹の表情に途轍もないショックを受けるのだ。 彼は平素からは信じられないような冷たい瞳をして、全く感情のこもっていない声色でこういった。 「で?」 「で――、って……」 瞬間バーナビーは言葉に詰まるが、ここで怯んではいけないと意を決してそれを言った。 果たして虎徹はバーナビーが「貴方に関係を強いた時」と言った瞬間突然立ちあがり、「聞きたくねぇ!」と絶叫した。 「それ以上口を開くな。何も言うなよバニー」 「ちょ、え……あの、でもどうして」 「どうしたもこうしたもねえよ。その話なら俺はしない。大体お前言ったじゃないか。俺の事が好きだって。その話はあの時終わった筈だろ? なんで今更それまた穿り返すの? 全然楽しくねえよ」 「あのでも、僕は虎徹さんのことが好きだっていうのは本当です。貴方が僕の事をなんとも思ってなくても! 僕は好きで、その傍にずっと――居たくて、それで」 「だったらそれでいいじゃねえか。その話はしたくない」 「でも……! あれはとても酷い事だった! 僕は貴方に好きだと伝えはしたけれど、まだ一度だって謝ってない。謝らせてください、ずっと僕は貴方に謝りたくて――」 「謝罪なんか必要ない。それよりその話を持ち出される方が不愉快」 「それじゃ駄目です。駄目なんです! 貴方はあれが許される行為だと思ってますか? 実際貴方許してなんてくれてないん、でしょう? 許せとは言いません、そんなこと言う資格は僕にないになんて判ってます! でもどうか謝らせてください。でないと僕の気持ちが収まらないんです。こんな呵責背負ったまま貴方と――」 「じゃあお前ずっとそのまま呵責に思ってろよ! 兎に角謝んな! 必要ねえって言ってんだろ!」 「だって、そんなそっちの方がよっぽど酷いじゃないですか! 謝らせて――」 「スッキリしたいのはお前だけだろ! スッキリすんなよ、謝ってお前だけスッキリして、俺の方は余計もやもやだよ! 兎に角考えたくないし思い出したくもないんだ!」 バーナビーはぐっと詰まった。 「た、確かにスッキリしたいというか、謝って自分の中で少し気持ちに整理をつけたいっていうのはありますけど――」 「必要ねえっていってんだろ! 俺はお前に謝られたらスッキリしない。むしろお前がすっきりした分ヤな気分になる。だから嫌だ。その話は聞かない。謝罪も受け取らない」 「なんで……!」 「その謝罪はなんでするんだよ、誰のためにするもんなんだよ!」 最期の方は悲鳴のようだったと後で思い返してみて思う。 「俺の為だなんていうなよ! 俺は嫌だって言った。嫌だ嫌だ嫌だ! はっきりさせたくない! 考えたくない! ヒーロー活動と違ってそれは俺のプライベートで! お前に命令されて考えなきゃいけないことの一つじゃ絶対ない! 俺は俺の嫌だって気持ち一つも! お前の前ではっきり言っちゃいけないのか?! 譲らないからな、俺は絶対にお前の謝罪なんか受け取らないし、思い出したりもしない、考えない! 二度と口に出すな!」 虎徹はそのまま後退るようにソファから、いやバーナビーから離れると、本当に耳を両手で塞いだ。 本当に嫌なのだと思ったら、バーナビーは胸を突かれた心地になった。 やっぱり虎徹さんはずっとずっと僕を憎んで――あの日の事を憎んで厭って来たのだろうかとその恐ろしい可能性に突き当たってしまったから。 「だってでもそれじゃ――」 「じゃあはっきり言ってやるよ。俺はあの日の事はっきり思い出したらお前の事なんか完璧嫌いになるからな! 全部台無しにしたいのか! お前はホントに俺の事好きなのかよ!」 ほっとけよ! 虎徹は身を翻して脱兎のごとく外に飛び出す。 ばんと蝶番が外れるような勢いで玄関ドアを閉めるとそのまま駆け出して行ってしまった。 何処に行ったのか判らないが、これ以上バーナビーの傍に居たくなかったに違いない。 それだけは間違いないと悟ってバーナビーは虎徹を追いかける姿勢のまま、その場で縫い留められたように固まった。 たっぷり五分はその場で硬直していたと思う。 それからゆっくりと顔を両手で覆い、「ああ」と呻いた。 パンドラの箱を開けてしまった。 あれはもしかしたら虎徹さんの……、最大の地雷だったのかも知れないだなんて、でももう限界だったんです、僕も……。 「ごめんなさい、ごめんなさい……」 バーナビーは蹲るようにソファに座り込むと、今はもう届かない謝罪の言葉を何度も繰り返した。 [mokuji] [しおりを挟む] |