A secret novel place | ナノ
雨の日と月曜日は(2)



 季節は春を過ぎ、柔らかな緑がシュテルンビルトの公園を彩るようになってきていた。
今年は雨の日が多いらしい。例年に比べて週末が雨天になる事が多くセントラルパークに人もまばらだ。代わりに美術館やシュテルンビルトモールは盛況だという。
 バーナビーはヒーロー事業部のフィックスウィンドウから階下を眺めて溜息を吐く。
窓を伝う銀の糸のような雨の筋。虎徹はあの日以来、バーナビーの家には立ち寄るものの夜は決まって自分のフラットに帰宅するようになっていた。
告白しなければ、今まで通り朝を二人で迎えられたのだろうかと思うが正直もう限界だったというのもある。
虎徹が受け入れられないのなら、むしろ今の距離感の方が自分自身には救いだろう。
 虎徹が事業部に飲み物を買って戻ってきた。
一つはバーナビーのカフェオレでもう一つは自分のコーヒー。
虎徹は雨を見るバーナビーの背中に声をかけた。
「ここに置いとくな」
「虎徹さん」
 何?
振り返りながらバーナビーは週末久しぶりに一緒に過ごしませんかと言う。
「一緒に何処かに出かけたいな。駄目ですか?」
 やっぱりもう二度と元には戻らないのかなと思いながらも聞いてみる。
虎徹は間を空けたが、暫くして「いいよ」と答えてきた。
「何処に行く? モール? セントラル駅?」
 また今週末も雨らしいしと虎徹が言えば、だったらいっその事ブロンズでもいいですよとバーナビーが言った。
「えっ」
「虎徹さん家に泊まらせて下さいなんて言いませんよ。ブロンズならシルバーが天蓋になるし飲みに行くのも楽じゃないですか」
土曜日にうちに来て一泊して、次の日ブロンズで遊んでそのまま虎徹さんは家に帰ればいい。僕も自分の家に帰りますから。大体虎徹さん雨だと傘を差したがるからと言うと、何故か奇妙な顔をしたと思った。
「そ、うだな。うん。そうだ」



 約束通り土曜日に虎徹はバーナビー宅を訪れ久しぶりに楽しい時間を過ごした。
虎徹にしてみたら拒絶した相手の家だ。身の危険を感じるとか緊張するとか余り気分のいいものではないだろうかと心配したが、特に態度が変わったようには見えず安堵した。虎徹は自分を信頼してくれている。ならば自分もそれに応えなければならないだろうと身を引き締めた。
ただ何時ものように一緒にベッドに寝るのかと思ったら、それだけは遠慮されて俺はソファーで寝るからと言われた。
「お客さんなんで僕がソファーで寝ますよ」
「いや、ここで充分だよ」
 にかっと笑われてバーナビーは渋々と笑顔を作る。さすがにここは一線をひかれたなと思った。
日曜日は昼まで惰眠を貪った後、二人でブロンズに下ってフリーマーケットを楽しんだ。
バーナビーが足を止めるのは主に古書ばかりで、虎徹が足を止めるものは日用雑貨が多かった。
「長靴」
 虎徹が派手な水玉模様のそれを手に取ると、ぱんぱんと踵をぶつけて見せた。
「靴底が片方取れてる」
「使い道がありませんね」
「もう片方も削って高さを合わせればいい」
「必要ないでしょ」
 そうだな。虎徹がそう答えてバーナビーは思った。
あ、またあの寂しそうな笑顔。
 虎徹は立ち上がって今度は背丈のあるフリーボックスに刺さっているこれまた派手なピンク色の傘を手に取り広げて見せた。
「傘。ソフトワンタッチだ。ちょっと硬いかな」
「嫌ですよそんな派手なの」
 笑いながら言うと虎徹が再びそうかと言った。
遅い昼食を二人でとってぶらぶらと市を見て回る。結局虎徹は何も買わず、バーナビーが何冊かの専門書を購入して近くのスーパーから自宅に発送した。
夕食を兼ねて飲みに入ったバー、一番奥のテーブル席についた虎徹はカウンターでシェーカーを振るバーテンダーを眺めながらバーナビーに聞いた。
「何か問題はないか? 忘れた事が何か判った?」
 バーナビーは首を振る。
「全く。でも気にはなりますよ。何を忘れたんだろうって日に何度かはやっぱり思い出してむずむずします」
 虎徹はその答えに笑い何故か目を伏せた。
「きっと大したことじゃねぇよ。いっその事思い出さない方がいいと思う」
「え?」
「なんていうかそれ、一番ショックだったって事だろ? 忘れたかった事かも知れないじゃないか。今の生活に支障がないなら無理矢理思い出す必要もないだろう」
「虎徹さん、ひょっとして僕の失われた記憶に心当たりがあります?」
 まあねと虎徹は言いながら頼んだ焼酎のお湯割を口に含んだ。
「多分アレだろ。お前が俺に告白したやつ。俺こっ酷くフったからな」
「残念ながらそれは憶えてるんです」
 じゃなかったら、虎徹さんが僕を避けてる時点でおかしいって追求したでしょう。でも僕何も言わなかったでしょう?
「それもそうか」
 虎徹はまた笑った。またあの寂しそうな笑顔だとバーナビーは思った。



 どうする? 寄ってく?
コーヒーぐらいしか出せないけど。酒はなしなという虎徹の家の前でバーナビーは暫し逡巡した。
「寄ってくって事は泊まってもいいって事ですか?」
一応聞いてみると虎徹はそれは駄目と首を横に振った。
「僕が怖いですか?」
「まさか」
 虎徹がドアに寄りかかって腕組みをしながらバーナビーを繁々と眺めていたが、やがてふっと笑うと視線を自分の足元に落とした。
「そんなこた、ねぇよ」
 ならいいのですが。
そうバーナビーは呟いて背を向ける。その背に視線を感じながら数歩歩き、バーナビーは振り返った。
虎徹に駆け寄りその襟首を捕まえる。虎徹は一瞬動揺したような目をしたが逆らわず、突然自分に口付けしてきたバーナビーの身体に手を回すとその荒々しいキスに応えた。
「憎たらしい、動揺もしないんですね」
「どうしたんだよバニー」
 ぽんぽんと背中を右手で叩いて虎徹がそういう。困ったように目を逸らしがちで嘆息した。それはバーナビーの身勝手な行動を諌めるようでもあったし、諦めている風情にもとれた。
「こういうのはな、――愛する人の為にとっとけ」
 僕ばかり好きで。
バーナビーは虎徹から身体を離すと帰りますと言った。
「すみませんでした」
「襲わないでね」
 虎徹がおどけた様にそう言うのに苦笑して再びすみませんでしたと謝った。

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