A secret novel place | ナノ
雨の日と月曜日は(3)


 月曜日も雨だった。
虎徹はまだ出社しない。
泥酔した訳でもない、昨日の様子を見ていても特に変わったことはなく。
ただ自分の告白について悩んでいるのだろうというのは見て取れた。多分そういう事なのだろう。その気もないのにフった女性の傍に何時までも友人としているような、そんな尻の座りの悪さを感じているのではないかとバーナビーは推測した。もし自分が逆の立場だったらやはり悩んだろうから。自分に全く非は無くても、相手を大切に思うのなら相手の気持ちに応えてやりたいと思うのではないだろうかと。しかしそれは優しさかも知れないが、同時に酷く残酷な事だ。
 期待しちゃうもんなあとバーナビーはまた窓の外に降りしきる雨を眺めながら思った。
今日は特に取材も無く一軍復帰まで嵐前の静けさが続く。始末書も無く事件もないので報告書を書く義務もない。特に出社しなくてもいい日だとも言うので恐らく虎徹は今の内にサボっておこうとでも思っているのだろう。
バーナビーは虎徹を待つのをやめてトレーニングにジャスティスタワーへと向かった。
そこでまたアントニオとかち合ったので状況確認すると、果たして彼は「思い出した」と言った。
「だが、オフレコで頼む」
 何故か周りを見回して声を潜めて言うのだ。
「俺はチケットを予約してたんだ」
「ネイサンに?」
 違う! 大声を上げてしまって自らの口を手で塞ぐ。それから咳払いして小声で言った。
「昨日収録中にじわじわ思い出してったんだ。アニエスさんだよ。か、彼女をその、映画に誘おうと思って」
 クロノスフーズのCM収録中にアニエスを直に見て、脳裏に何かちくちくと突き刺さるようなものを感じたらしい。なんだろうこれはと思っていると突然映画館の映像が脳内に展開したんだそうだ。その後収録されたCMがカメラにプレビューされた時、下方に表示された試写会プレゼントの一文を見て一気に思い出したという。
「いやあすっきりしたぜ」
 そうですかとバーナビーは少し寂しく思った。これで思い出していないのは自分だけだ。
「何かキーワードになるようなものが判れば一気にくる。ほらキッドもそうだっただろ。アイツは肉まんだったけど」
「僕には今のところそういうものは……」と言うとアントニオは今しがた気づいたようにそう言えばと顎を杓った。
「虎徹とお前どっか行く約束して無かったか?」
「僕と虎徹さんが?」
 お前じゃなくて娘さんの話だったのかなあと首を傾げながら言う。
「なんか今度公園に行きたいって言ってたんだよ。雨ばっかなのに物好きだなって言ったらさ、雨が降ってないと意味がないって言うんだ。それでぴんと来た。ほら虎徹は日系人だろ。向こうでは態々雨ン日で観賞するんだと」

  雨に咲く花があるんだよ。




 虎徹はセントラルパークで雨に打たれながらその花を眺めていた。
土砂降りではなく、細い柔らかな蜘蛛の糸のような銀の雨。ほとほとと降り注ぐそれは余りにも優しくて涙の温度をしていて濡れていても余り気にならなかった。
このぐらいの雨はいい。このぐらいの雨ならいい。傘じゃなくても雨合羽でいいかも知れないと考えて、もうそんな機会はないんだなと思った。
 バーナビーに告白されたあの夜、虎徹は本当は心臓が口から飛び出るんじゃないかと思う位嬉しかったのだ。
自分だけじゃなかった。バーナビーもまた自分と同じように思っていてくれたのだと思わずイエスと応えそうになってから血の気が引いた。
 俺もう直ぐ四十歳だぞ? 一軍に復帰出来たからといっても今後下り坂必至だ。何処かの時点でバディを解消しバーナビーを一人立ちさせてやらなきゃならないとつい最近ロイズやベンと話し合ったばかりなのだ。死ぬまでヒーローやってやると粋がって見せたものの、それは自分自身だけの話であって誰かを道連れにしていいものではないのだ。近い将来タイガー&バーナビーは解散しなければならないだろう。自分は二軍に降りても続けられるだけ続けて行く覚悟だが、バーナビーはその後の身の振り方を自分で考えなければならない。気づいてしまったのだ。帰ってきてくれて嬉しくてずっと気づかぬふりをしてきた。でももういい加減認めなければ。バーナビーを依存させているのは俺自身だ。
 必死の思いで俺もお前が好きだと叫び出しそうになるのを抑えて「俺はお前の事を相棒としてしか見れない」と言った。
その言葉を言った瞬間、バーナビーの顔に浮かんだ表情に虎徹は衝撃を受けた。こんな顔をさせてしまったと。
案の定バーナビーは「そうですか」と気丈に言った後、震える手でグラスを掴んで酒を煽れるだけ煽った。せめて今まで通りの関係で居て下さい、離れていかないでと嘆願するその真っ白な横顔に虎徹自身涙が零れそうになった。
「この狂った世界で、貴方だけが僕を待っていてくれたんです」
 いいえ待っていたのは貴方じゃない、僕だ。これまでに僕がやった一番困難な事ってなんだと思いますか? それは他人を信じるって事だったんです。
信じさせて下さい。僕を独りにしないで置いていかないで。
身切れるような叫びだと思った。慟哭だと虎徹は思った。こんな風にすがり付いてくる者を振り払う思いやりってなんだ。いっその事一緒に堕ちる処まで堕ちて行く方が彼の為なのではないか。そう思ったのを見透かされたのか、事が終わった後で罪悪感で押し潰されそうになった。やり直せない一線を踏み越えてしまった。あの時の絶望はもう言葉では言い表せない。
だからバーナビーが丁度その間違いの記憶を失ったと知った時、卑怯にも虎徹は本気で安堵してしまったのだ。

 その癖日を追う毎にそれを惜しみ始めるだなんて。折角神様がやり直しのチャンスをくれたっていうのに、自分自身でそれを台無しにしようとしてる。
バカみたいだ。他にやることが思いつかない。こうして失ってしまった約束を独りで果たそうと無駄な抵抗をする以外に。

 あの後ベッドに酔い潰れたバーナビーを抱かかえて運んで耳元で囁き続けた。
大丈夫、置いていかない。約束しただろ? 約束と言えば郊外の紫陽花公園に行こう。セントラルパークのも綺麗だけれど、そういうんじゃない、雨に咲く花をお前に見せたいよ。約束する。何時でもお前が望む時に傍に居てやるからそんなに悲しい顔をしないでくれ。
――愛してる。

「虎徹さん!」
 一瞬びくっとなって虎徹は振り返った。
それから後退る。 え? なんでどうして。
目の前でバーナビーが膝を両手で掴みながら荒い息を整えている。それから咳き込むように虎徹に言った。
「――すみませんでした」
「バニー」
「すみませんでした。あんな酷い事を――無理強いしてしまった。でも僕は後悔してません! だって貴方言いましたよね? 僕の事を愛してるって」
 そこんとこは忘れとくべきだろうと虎徹が言った。
でも語尾は震えていて虎徹が笑いながら泣いていると思った。涙は雨に紛れて見えないけれど、だからそういうことにしておいてあげます。
「今からでも遅くない、無かった事に――」
「出来ません!」
「だってお前後悔してただろう?」
 虎徹は決まり悪そうに言う。
あの後俺気を失ってたみたいで暫くは記憶にないんだけど、目が覚めたらお前ずっと泣いてんだもん。時計見たら明け方四時だった。俺はお前が聞いてないと思って言った。その時点でも救いようのないぐらい卑怯だけど泣いてるお前を慰めも言い訳すらせず更に逃げ出したんだぞ? 俺と一緒でお前も忘れたいんだと思ったんだよ、まだ引き返せるってだから――。
「悪いのは僕で、貴方じゃない」
「違う、踏み込ませてしまったと思ったんだ。俺ってバカだから」
 バーナビーは膝から手を放すと身体を起こし虎徹に歩み寄る。逃げるかと思った虎徹は逃げなかった。
だからバーナビーは雨の中羽のように優しく抱きしめる。この誰よりも愛しい自分のバディを。
それから告白した。泣いてたのは自分自身が許せなかったからだと。
「無理強いして思いを遂げたけれど、貴方はきっと手に入らない、もう許してもらえない、こんなの虚しいだけだって。――現に貴方は出て行った」
 違う! と虎徹が声を張り上げ、バーナビーは静かにその口に自分の人差し指をあてた。
「お互い様です。ああでも貴方は僕に偽った、それだけは許しません。貴方は約束を破ろうとしたんですよ」
 未遂でしたけどねとバーナビーは笑う。
そうだなと虎徹も笑った。


 ごめんよバニー。
お詫びに傘と長靴を買いに行こうか。




Fin.





TIGER&BUNNY
【雨の日と月曜日は】
I Need To Be In Love

表紙

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