夏から秋へ(7) 誰も居なくなったコテージで虎徹は扉を見据える。 もう一つしか開かなくなった扉。 その向こうにはバーナビーがいる。幼い、4歳児の姿をした彼が。 「出てこいよ、バニー。お前の思惑通り、俺たちだけが残った」 そう扉に向かって言うと、果たして扉が開き、4歳児の姿をしたバーナビーが姿を現す。 そして虎徹に向かって歩いていく僅かな数歩で、元のバーナビーの姿へと変貌していった。 「貴方に帰られないように、カモフラージュしてただけ」 「そうなんじゃないかって思ってたよ」 虎徹は淡々と言う。 床に向かって吐き捨てるように、そんな憎憎しげな仕草をされた事は一度だってない。それどころかそんな風な虎徹をバーナビーは観た事が一度もなかった。だがその姿を見てはっきりと判った。虎徹の怒り――憎悪の種類がだ。 これは紛れも無く、自分自身に対してなのだとバーナビーははっきりと悟った。 虎徹は優しい。そして怒りを向ける相手を間違えない。 4歳児の姿をとったのは正解だった。虎徹はどんなに憎くても子供には怒りを向けられない。つまり彼は僕の全てを憎んでいるわけではない。恐らくその怒りは自分がとった何某かの行動なのだろうとこの瞬間察しがついた。 怒り、憎悪――それは正しくない、もっとどろどろとした即物的なもの――これは愛憎だ。 虎徹自身にもコントロールできない深い部分での悲しみなのだと。 「こんなところに来てまでだんまりですか」 「・・・・・・」 「貴方は卑怯だ。誰よりも誠実で誰よりも優しい、そんな公平なふりをして、誰よりもずるい。誰よりも本心を見せない。貴方はずっとその仮面を被り続けたまま生きていくつもりだったんでしょう。でも僕もブルーローズも、いやロックバイソンさんだって、ファイヤーエンブレム、ドラゴンキッド、スカイハイ、折紙サイクロンも皆、皆知っていて黙っていただけなんです。騙せていたと思っていたのは貴方だけ。皆貴方のずるさを知りながら容認してた。貴方が貴方自身のそのずるさで自分自身を痛め続けていても、それでも皆黙ってた。・・・・・・いや、黙ってられなくて口出ししてしまった者も居ない訳じゃなかったけれど・・・・・・。でも概ね僕たちは貴方を容認してきた。だけど貴方がここに来たということは、言いたかったんでしょう? 言いたかった事があったんでしょう? 一生仮面のままでいられないそんな理由があったからでしょう? なのに何故何も言わないんですか。一生このままここで一人、閉じこもっているつもりですか? ここは貴方の心の中じゃない。他の・・・・・・まだうんと幼い罪の無いN.E.X.T.の世界だ。それとも認めますか? 貴方には彼を救う力が無いと」 「ンだとこの野郎!」 瞬間自分を見据える金色の瞳。 バーナビーは思った。 ああ、やっと捕まえた――現世には持っていけないけれど、今こそやっと。虎徹さんの真実にその一片だとしても手が届く。 それがどんなに自分にとって辛い答えだとしても。 「どうか言って下さい。貴方がどう僕を憎んでいるのか。何が許せなかったのか。どうして憎むようになったのか――。いつから、何故、どうして? 何がきっかけだったのか、言ってくれなきゃ判らない――」 言って。虎徹さんどうか。 「お前が俺をレイプしたから」 虎徹はそうあっさりと言い放った。 バーナビーは絶句する。そして確かにそうだと肯定する。あれはレイプだったんだろう。でも貴方は何も感じて居ない風だった、僕は謝る為に会社に行って貴方の態度に寧ろ絶望したんです。謝らせてもくれない――そもそも歯牙にもかけられてない・・・・・・僕はその程度の存在だったんだって。 「それに貴方言ってくれました・・・・・・よね? 僕はずっと虎徹さんが僕のことを――その行為をなんとも思ってないんだと思ってた。だけど貴方はいってくれた。その後があった時点で同意だって・・・・・・。最初の時の酷い事もあの日に許してくれたんだと思った、それは間違いだったんですか?」 「許す?」 虎徹は嘲笑した。 「許すってなんだ? なあ、許すってなんなんだよ。お前は最初の時俺がやめてくれって懇願してたのも全部忘れてるんだな。本当に都合のいいところだけ切り取って覚えていやがる。俺泣き喚いてたんだぞ、やめてくれって。お前は忘れてるかも知れねぇけどさ、俺はずっとずっと忘れられない。あんな酷い夜は無かったよ。辛くて苦しくてたまらなかった――」 泣いているのは判っていた。でもバーナビーの記憶に泣き喚かれた記憶は本当に無かった。 虎徹は何も言わなかった。うめき声だって上げなかった。――と、思う。 ただ、時々見上げてくる金色の瞳から涙が筋のように伝っていったのは覚えている。単なる生理的現象だと思っていた。虎徹が余りになんともない風だから。いいや言い訳だ。本当は僕はその様を見て愉悦していた。――いい気味だとちょっとは思っていた・・・・・・、から。 「虎徹さん・・・・・・」 虎徹はバーナビーを罵った。 酷く汚い言葉でだ。それを聞きながらバーナビーはしみじみと理解していた。 虎徹自身も恐らく今ここで吐き出さなければ自覚していなかったことなのだと。だから自分のしたことの重みに、その結果に胸を詰まらせつつも彼に続きを促した。答えを出さなければならないのは自分ではなく、虎徹自身だったから。 「そんなに屈辱的だったのなら、何故僕が起きる前に姿を消したんです? 起きてから要求を突きつける事だって出来た筈です。僕はその時無防備に貴方の横で寝ていたんですから」 そりゃお前、痛くて兎に角痛くてそれ以上虚勢を張っていられなかったからだよ。 そう虎徹は言う。 ? 泣いた事? 隠したかった? 違うと虎徹は言う。 「勿論それもあっただろうさ。でも今振り返って思い出してみるとさ、覚えてる事ってイテエ、どうにかしなきゃってことなんだ。辛いとか苦しいとか痛いとかそういうの全部なにもかも、お前に見せないようにしなきゃってそう思ってた」 何故? 「お前に同情されるのも嘲笑されるのも、ありとあらゆる感情を向けられたくなかったからだよ。俺自身も自分自身の感情を読まれたく無かった」 どうして? 「屈辱だったよ。いいようにされた。抵抗したのにねじ伏せられた。痛かったし嫌だった。何よりそこにお前の気持ちが無かったのがイヤだった。いや、あったな。侮蔑だよ、欲望のはけ口にしてもいい、それは殺してもいいってことだ。それぐらい俺はお前にとって価値の無い人間で、どうしてもいいんだってお前自身に肯定された気がした。それがどうしても惨めだったんだ。俺は――お前の事、ちょっとは好きになりかけてたんだって――なのにどうしてって」 今でも忘れられない。 あのどす黒い思いが。 俺の身体をいいようにして、好き勝手して痛めて、それで満足そうに寝入っていて、それで当然だっていうように会社に来て俺を一瞥したお前の瞳。 どうしようもなく憎んだよ。なんでこんな目に俺がって思った。こんな目にあったのにお前を嫌いになりきれない自分自身にも嫌気がさした。 俺、こんなに惨めで傷ついてるのに、お前はしれっとしてて、だから思ったんだ。絶対俺だって傷ついてるなんてお前に知らせやしないって。どんな目に遭ってもお前にだけは俺の本心は悟らせない、こんなの大したことがないって――だから俺は――。 ごめんなさい。 「謝ってすら欲しくなかった。だからお前が謝って来たとき、俺の憎しみは憎悪といっていいぐらい強くなった。俺は・・・・・・俺はな」 お前をどこかで殺したかったんだ。一歩間違えたら絶対殺してた。それぐらいお前の事を憎んでたんだよ。いつか殺してやるって。 そう告白した虎徹に、バーナビーは冷静だった。 どうして僕はこの人をこんなに傷つけて、傷つけて、傷つけるばかりだったろう。 こんな自分自身も僕への憎悪でずたずたにしてしまうぐらい。 苦しかったろう、どんなにか苦しくて辛かったろうに――この人は・・・・・・。 事実虎徹はそう告白してすすり泣いていた。身も世も無くその場に崩れ落ちてぐすぐすと啜り上げる虎徹を抱きしめてやりたくなった。 だけどそれはダメなんだとバーナビーは知っていた。 ここに居る虎徹は虚像だから。自分自身から切り離された純粋無垢な願望そのものなのだから。 そうして今ここで彼は自分自身と向き合って、自分の足で歩み去っていくのだ。みんなこの楽園から去っていった。 ファイヤーエンブレム、ブルーローズ、ロックバイソン、スカイハイ、折紙サイクロン、ドラゴンキッド。 そうして虎徹もまた自分の足で立ち上がってこの楽園に背を向けるのだ。 判っていたからこそ、バーナビーは手を貸せなかった。虎徹はきっと一人で立ち上がるから。 「どんなに苦しんでも、傷ついても――――お前とまた遭いたい。遭いたいよ、バニー」 遭いたい。遭いたい。 「バニー、ごめん、好きだ。俺こんなにお前の事嫌いなのに、嫌い以上にお前の事好きでどんなに酷い目に遭ってもまたお前と遭いたい。遭いたいよ、好きだよバニー、愛してる。ごめん、」 どうしよう、嫌い、殺したいほど 好きだ。 「また、遭ってくれるか?」 そういいながら立ち上がり、自分に泣きながら手を差し伸べる虎徹をバーナビーは万感の思いでもってやっと抱きしめた。 抱きしめてもいいんだ。彼はこれから帰還する。 「貴方の答えがあんまり僕に都合が良すぎて眩暈がする程です。貴方は本当に――バカだ」 「・・・・・・待ってる」 「ええ」 こうして前世、彼方の地で僕と虎徹さんは約束したのだろうか。 いつかこの地上と言う残酷な世界で 再び二人精一杯生きて逝こうなどと。 生まれも育ちも人種も性根も価値観も言葉も何もかも違っていても 必ず出会い分かり合えると信じていた。 二人、どんなに憎しみ遭ってもどんなに心が隔たろうともいつか彼方の地で約束したように。それがまるで運命みたいに何時か引き寄せられる。 憎んでも憎みきれず振り返り、手を繋ぎあい、この地上でまた別れがきても何時か彼方の地で出会うのだ。 変わらず彼は呼ぶだろう。どんなに辛い目にあっても、どんなに理不尽な出会いでも。 やっぱり好きだバニーと。 そうして許してしまうのだろう・・・・・・。 [mokuji] [しおりを挟む] |