バンパイヤ | ナノ
バンパイヤ 1.シュテルンビルトへ来た獣(2)



 狼は走っていた。
しつこい、なんでこんなにしつこいんだ。 うっとおしい。
余りのしつこさに、元々それほど忍耐力の強い方ではない狼は、つい追いかけてくる茶色いのを噛み殺してしまった。
するとそれはその群れのナンバーツー、つまりリーダーの嫁に相当する犬だったらしく、群れ全体に追いかけられることになってしまったのだ。
 さすがに多勢に無勢、これは堪らぬと逃げ出して、走っていった先に鏡のような湖と、その上に浮かぶ童話の城にも似た白亜の都市を見た。
長く桟橋が架かっており、狼の目にはこちらにおいでと手招きしているように見えた。
 そしてそこはその狼が目指した終着点でもあり、夢にまでみた自由の国シュテルンビルトだった。
中に入ってしまえばこっちのものだと思っていたが、中に入ってみたら中のほうがもっと犬が多かった。
野犬のみならず、番犬であるだろう犬までもが、鎖を引きちぎって狼の追跡に加わってきたのだ。
こうなるともうどうしようもなく、狼は反撃に出た。
 ああ、むかつく、全部噛み殺してやる。
そうして長く戦ったが、やはり無理があったようだ。
息が上がる、一体全体どれだけの犬が自分を憎悪しているのか。
 冗談じゃない、何故こうなったんだ?
気づくと行き止まりだった。
多少の壁なら飛び越えてきたが、そこは完全に行き止まりで、最悪な事に天井があった。
廃棄処理設備かなにか?
 いつの間にかゴミ処理場に紛れ込んでいたらしい。
血走った目であたりを伺うが、出口が見つからない。
こんもりと盛られたゴミが悪臭を放っていて、狼の嗅覚を麻痺させているのも仇になった。
 あっという間に、狂気を帯びた犬の群れに飛び掛られ、狼は悲鳴を上げた。
なんてこった、俺はここで死ぬのか? 犬に食い殺されて? 間抜けな話だ。
本調子だったらこんなのに絶対負けなかったのに、悔しい。
折角、折角逃げ出して来たのに、なあ・・・。



 キャウウン!
犬が尻尾を巻いて横へと転げる。
バーナビーはゴミ処理場のゴミ山の上に集っている犬の群れを発見し、手近な一頭に蹴りを入れた。
バーナビーの存在を認めた犬たちは、それぞれが悲鳴をあげててんでんばらばらに逃げ去っていく。
なんだろう、何を噛んでいたのだろうと、バーナビーはぽつんとゴミ山の上に残った物体の方へ確認しに歩を進める。
以前、同じように犬が集っていたのを散らしたところ、犬が噛んでいた生き物がハクトウワシだったことがあって、バーナビーは酷く後悔したことがあった。
またレッドリストの筆頭にある希少な野生種だったらどうしようと覗き込むと、そこに横たわっていたのは非常識に大きな犬だった。
 犬、犬だよなあ?
浅い呼吸を繰り返し、舌をだらりとだらしなく垂らしているそれは、黒いのに銀色にキラキラと輝く不思議な毛皮をしていて、そして右前足に大きな怪我をしていた。
良く見ると犬の噛み痕とはまた違う傷が、全身に及んでいる。
特に首の周りに白いラインが入っているとよくよく見てみれば、毛がそこだけ擦り切れて月明かりを反射していたらしい。これは首輪の痕ではないだろうか?
飼い犬? なのかなあ・・・、それにしてはなんだか見かけない犬種だよなあと思う。
 どうしよう、もし、飼い犬なのだとしたら一旦保護すべきだろう。
にしても、時間はもう深夜。
「やれやれ」
 バーナビーは嘆息して、その大きな犬を抱き上げる。
シベリアンハスキーよりでかいぞ、この犬。
どんな大型犬なんだ、重い、と悪態をつきながらも、バーナビーはその犬を自宅に持ち帰る気だった。
怪我も酷いし、このまま警察署に持ち込んで放置されて死なれでもしたら寝覚めが悪い。
まあ、適当に手当てして、朝までは保護しておいてやろう。
ああ、勿論、首輪を忘れずに。



 結論として、その犬を家に持ち帰ったバーナビーは、程なくしてかつてないほど後悔する事になった。
ぐったりと浅い息を繰り返すそれを、バーナビーは自宅のリビング床に横たえて、野生動物保護に時たま使用している鋼鉄製の首輪を嵌める。
起きて暴れられでもしたら面倒なので、一応の保険として。
それからざっと傷口を確認し、噛み傷は大したことがないと判断した。
どうやら元からこの犬は大きな怪我を負っていたらしく、どこからやってきたかは知らないが、今回その傷が犬に襲われて開いたということらしい。
 なんにしても、この前足の怪我で走り続けられたというのはある意味驚異だなと思った。
それほど深い傷に見えたのだ。
いや、傷ではなく、これは一回右足が千切れかけてないか? どうにかしてくっつけたとか? いやいやいや、そんな馬鹿な。
 とりあえず、生理食塩水で傷口を洗浄すると、軟膏を塗って包帯を巻いてやった。
その他、肩や腹の部分にも傷があったが、そこは殆ど治りかかっていたので、生理食塩水で拭うとそのままにしておく。
手当てが終わったのでバーナビーは立ち上がり、この犬が目覚めた時の為に、浅い皿に水を入れて傍らにおいてやろうと思ったときにそれは起こった。
 最初は、体毛の変化だった。
ふと見ると、犬の輪郭が青く輝いている。
不思議に思い振り返って凝視していると、黒い毛皮がするすると色を失っていくではないか。
否、色を失っているのではなく、毛が消失していっているのだ。
 それは劇的な変化だった。
バーナビーがイングレース皿を驚きのあまり手から取り落とす。
 黒い毛皮が滑らかな小麦色の肌へ、手足がすらりと長く伸び、明らかに人のそれへ。
硬くナイロン質な光沢を持つ黒髪、しなやかな背中が弧を描き、左手が苦しげに首元へ伸びた。
 少し延びた爪が、自分を戒める首輪を苦しげに引っかき、外せないと解ったのか、忌々しげに舌打ちをする。 振り返る、金色の瞳。
見開かれたそれが、真っ直ぐにバーナビーへ注がれて、やがて伏せられた。
既にそこに居るのは犬ではない。 一人の成人男性だった。 それも飛び切りスタイルのいい、見た感じ黄色人種。
 完全獣化NEXT!
まさか、そんな能力者が存在したとは?
くぐもった声、少しだけ身を起こしていたそれがぐったりと床にまた倒れた。
傷が痛むのか、それともこの変身自体が苦痛を伴うものなのか、バーナビーには判然としない。
ただ、駆け寄った。 熱に浮かされるようになにかを呟いている。
 大丈夫か? 何処か痛いところは?
そう声をかけようとして、その言葉を飲み込んだ。
 その男はこう呟いていた。

クソッ垂れ、変態野郎、くたばっちまえ。

 バーナビーは途方に暮れた。



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