バンパイヤ 4.人狼風景(2) 最初のうちは靴擦れが出来た。 ひょこひょこと足を引きずって歩く様が痛々しく、もっとラフな運動靴にしてやれば良かったのだけれどと思ったが、数日で慣れて歩けるようになった。 虎徹は身体変化系NEXTのせいか、強化系と近しくとても外傷に強い。 特に獣化という力は、細胞を活性化させて、二種類の違う肉体へと細胞そのものを変化させる力の為、どうかすると変身する要領である程度の肉体的損失を修復する事も可能らしいのだ。 そのため、多少の怪我は自力で治せるというのを本人から聞いた。 ただし、その分当然エネルギーを食うわけで、怪我を無理に治すと体力がごっそり奪われてしまうらしい。 千切れた腕をくっつけるのが精一杯だったと、虎徹は少し悔しそうに語った。 「腕見せてください」 バーナビーはふと気づくと、彼の右腕の具合を確かめるようになっていた。 専門の医療機関に行くべきなんじゃないのか。 手の神経はちゃんと繋がっているのか。 虎徹は右が利き腕らしくヒトであるとその損傷は生活に響く。 狼であったときと違って、ヒトはどうしても手を多種多様に使う生き物であったから、テーブルマナーを教えている時に何度もナイフを取り落とす姿を見て、本人の不器用さ以外に、右手の機能に障害が残ったのではないのかと案じていたのだ。 しかし、虎徹はヒトの病院なんか行きたくないというし、バーナビー自身もこれをレントゲンやらMRIにかけて、大丈夫なのかと躊躇してしまった。 その結果、斉藤のメカニックルームにある設備だけで、傷の経過を見ることになった。 神経接続は問題なく、多分このまま治癒するだろうと斉藤は請け負っていたが、バーナビーが気にしているのはそれだけではなかった。 傷が残る。 癒えて、例え機能に異常が出なかったとしても、綺麗なこの腕に無残な傷跡が残る。 それは酷く残念な事に思えた。 ヒトのふりをして、今自分の横を共に歩いている虎徹を見ると、近頃なにやら幸福めいた気持ちになる。 買い物途中を散歩がてら楽しもうと決めたバーナビーは、少しルートを外れて、自宅近くにあるゴールドステージ唯一の自然遊歩道の方へと向かった。 この先には大きな広場があり、良く犬が放されているのを知っていたからだ。 夜ならどうだろう? 満月だけしか駄目だったっけ。 完全獣化したら、夜の広場だけでも開放してやれないだろうか。 半獣化してる虎徹なら、これはNEXTなんだと誤魔化し、完全獣化しているならこれはうちの犬なんだと、誤魔化せないだろうか。 シュテルンビルトでは狩りをするな、走るな、吼えるな、騒ぐな、ヒトで居ろ。 そう命じるバーナビーに虎徹は従順で、多少の衝動に流されて無意識に変なことをしでかす事はあったものの、概ねヒトであろうと努力しているのは見受けられた。 ただ夜寝苦しそうに魘されていることや、無意識に半獣化する頻度が高くなっていることからも、自由に獣になれない事が、虎徹にどれほどの負担を強いているか、バーナビーにも多少は理解出来ているつもりだった。 あれから一度満月の夜が巡ってきて、部屋の中で完全獣化した虎徹は、一晩中リビングから見える大きな赤い月を見上げながら、悲しそうに鼻を鳴らしていた。 吼えるなといわれて吼えず、騒ぐなといわれて騒がず、走ることも許されず。 煌々とした月明かりの下、何故か胸が打たれる程寂しく、かつ凛々しく月をただ見上げる後姿を見てバーナビーは胸の痛みの意味を理解した。 僕はこの美しい生き物を苦しませる以外、なにもしていない。 リーダー等と認められ、いい気になっていただけではないか。 これでは、鎖に繋いでいるのと一緒ではないか。 隷属させているのと同じではないか。 この後姿は、鎖につながれて惨く飼われていたというその話とどこが違うというのだろう。 それどころか、物理的な鎖よりも、むしろ自分の心理的な鎖の方がよりいっそう惨くはないか。 だけど、どうしよう。 「バニーちゃん?」 いつの間にか思案顔になっていたのか、心配そうに金色の瞳がバーナビーを覗き込んでいた。 「どったの? 何か心配事でもあるのか? 俺の腕ならもう大丈夫だよ。 お前が気にすることないのに」 ええ、そうですね。 微笑みながらそう答え、バーナビーは虎徹の右手を握り締めながら、広場へ向かって歩いた。 ボール遊びなんかどうだろうか? しかし、誇り高そうな狼に、「とってこい」をやらせていいのだろうか。 まあ見ている限り、虎徹自身のイメージは誇り高いからは微妙にずれているわけだが、等と思っていたそこへ、声がかかった。 「バーナビー君!」 「キース」 久しぶり、そして久しぶり!と向こうで手を振っている。 バーナビーは目が悪いので咄嗟に誰だか解らなかったが、声でそれが同じヒーローであり友人のキースだということを知った。 ヒーロースーツ姿でも、パーティー会場での正装でもなく、ジーンズとTシャツという酷くラフな姿をしていて、その彼にはジョンがつき従っていた。 一人と一匹は、小走りでバーナビーと虎徹らに近づき、キースは虎徹にもやあと言った。 「えーと、鏑木虎徹君だったかな? 一度アポロンのパーティーでお会いしてるね。 改めて宜しく、キース・グッドマンだ」 「鏑木・T・虎徹です。 宜しく」 虎徹はキースの差し伸べられた手を握り返す。 バーナビーは噂をすればなんとやら、と言い、キースが「私の噂でもしてたのかい?」と笑顔になる。 いいえ、とバーナビーは首を振った。 「お、じゃなくて・・・えーと今度犬を飼おうと思ってて、それでその、どんな遊具がいいのかとか、キースに教えて貰おうと思ってたんです」 「犬? 君が犬を飼うのかい?」 キースが肩を竦めた。 「君が誰かと同居するのだけでも驚きなのに、次は犬! どうしたんだい、君たち恋人同士でもないだろうに」 「どうして恋人って言う話になるんですか」 「だって順当じゃないかい?」 キースが逆になんでというようにバーナビーに言った。 「家を買って、愛しい人を迎え、次にペットを飼う。 愛しい人にはあなた、あなたに居て欲しいだ」 「それ、映画の話ですよね?!」 バーナビーがキースをどつき、キースは「ばれた、ばれてしまった、勿論ジョークだ」とげらげら笑った。 「ふーん、まあでも君が同居って聞いたときはちょっとびっくりしたよ。 本気でいいヒトが出来たのかってね。 後から斉藤君のご親戚と知ってなーんだとも思った。 残念、実に残念」 「なんでキースが残念がるんです?」 キースは少し意味深な笑みをして、「だって君はいつも一人で寂しそうだったからね」と言う。 「私みたいに好きで一人でいるのとはちょっと違う気がしてたんだ」 「そんなことはないですよ」 バーナビーは穏やかに微笑み、それよりキースはジョンにどんな遊具を渡してるんですかと聞き、キースは手に持っていたボールと、尻ポケットに突っ込んでいたビニール製のフリスビーを出して見せた。 バーナビーは興味深げにそのブルーのフリスビーを手に持ち、「これはどうやって遊ぶものなんですか?」とキースに聞く。 他にどんな遊具があり、うちのジョンはこれが好きだけど、隣のフローレンはガムのようなものが好きで、遊び終わったら食べられるものに執着してる等など。 横に虎徹は手持ちぶたさで控えめに立っていたが、その時、少し面白そうな険のある顔つきで、実は同じようにキースの少し後ろに控えめに佇んでいたジョンを眺めていた。 ジョンも茶色の瞳に険を走らせ、虎徹を凝視している。 二人のヒトは全く気づいていなかったが、ジョンは最初から虎徹を敵視していたのだ。 ここにいるこの男は『ヒトではない』。 なにかとてもヒトにとって有害で、気を許すべからざるモノだ。 虎徹は虎徹の方で、ジョンに酷く警戒されている自分を感じていた。 昔から、虎徹は犬に良く『憎まれた』。 何故かは知らないが、夜啼き一族は昔から犬に敵意をもたれることが多く、その中でも虎徹が酷かった。 村正の見解では、犬は異質なモノに非常に敏感だということ、それは狼もそうなのだが、恐らく犬は狼以上にリーダーに忠誠心が厚い。 それも、同族以上にヒトにこそ従うように、古来から慣らされてきたいわばヒトの手が作り出した生き物なのであるから、そのヒトに自ら以上に愛される可能性のあるナハトヴァはよりいっそう憎いのであろうということだった。 つまり嫉妬されてるってことなのかね。 虎徹は鼻で笑った。 自分の主人がヒトであることが最初から決まってるなんてそんな愚かな、と虎徹なぞは思うのだが。 ペット、従者以上にはなりようがない己と比べて、虎徹はやろうと思えば、ヒトとしてバーナビーの横へ、キースの横へ立てるからだろうか? ばかな。 俺はヒトになんか本当はなりたくない。 バーナビーにだってヒトだからつき従っているわけではない。 お前らのようにヒトであるのなら無条件に服従するような節操なしじゃないんだ俺は。 ヒトではなく、バーナビーだったから俺は従ってるんだぞ。 知ってるか、この男はヒトでありながら、俺よりも強い。 お前はお前の主人に挑んだ事があるか。 お前は、そこのキースに牙を剥けるか。 戦えるか。 忠義以上の矜持を持っているか。 野生というのはそういうことだ。 フーッ。 そんなくぐもった声が聞こえ、バーナビーとキースは話に夢中になっていたが、二人ほぼ同時に振り返った。 バーナビーは最初、虎徹が節操なく半獣化したのではと、驚愕を顕わにして虎徹に向き直ったが、虎徹は飄々と、面白そうにジョンを見下ろしているばかりだった。 はっとなって更にキースへと振り返り、ジョンを見る。 血統書付きのゴールデンレトリバーで、きちんとしたトレーナーに躾けられた、普段とても穏やかで大人しいジョンが牙を剥いている。 身体をぐっと沈めながら、虎徹を見上げ、喉から不吉な音を放っていた。 いけない! そう思ったのは、バーナビーとキース両方同時だったのだろう。 キースはジョンへ、バーナビーは虎徹に殆ど同じようにむしゃぶりついた。 バーナビーは虎徹を正面から、キースはジョンを抱き潰して地面に転がる。 「ジョン! どうしたんだ、ジョン! バーナビーだぞ? 私の友人だ! そして鏑木君はバーナビーの・・・!」 バーナビーは虎徹を庇うように抱きついていたが、その時虎徹の瞳が獣のそれに変化していることを知る。 虎徹の方も自分のまだ辛うじて変化していない右手で目を隠すようにしていたが、その瞳にはジョンの姿が映し出されていた。 やがて伏せられる瞳。 自分の身体に回される虎徹の左腕。 キースは必死にジョンを押さえつけ、暴れまわるその身体を抱きとめながら、行ってくれ!と叫んだ。 「駄目だ、興奮して手がつけられない! 申し訳ないんだが、行ってくれ! 頼む!」 バーナビーは虎徹の腕を掴んで諸共後退る。 「行け、早く!」 その声に押し切られるように、バーナビーは虎徹を伴ってほうほうのていでその場を転げるように後にした。 虎徹は無言でそれに付き従う。 バーナビーと虎徹は遊歩道を駆け抜けゴールドステージの住宅街、大通り付近に出たところでやっと立ち止まる。 バーナビーははあはあと息を切らせ、今まで駆けてきた方を見ている虎徹に気づくのだ。 「虎徹、さん・・・」 右手で目を隠していた虎徹だが、バーナビーが呼ぶのに気づいて振り返ってきたその瞳。 亀裂が入った獣の瞳がバーナビーをひたと見つめていた。 そして、くしゃりと顔を歪めて、虎徹はさも面白そうに咳き込みながら笑った。 「アハハハハ!」 「虎徹さん、あなた」 「何もしてねえよ?」 虎徹が先回りしてそういった。 「俺は何もしない。 犬のほうが俺を憎悪するんだ。 何時でもそう。 やつらとは近縁だが、ここまで相性が悪いのもないな! やつらには俺が化け物に見えるんだ」 「だけど、まさか」 「似て非なるものが一番イヤなんだろうよ」 「そんな」 何にしても、犬には注意するよ、と虎徹は言った。 「バレたらまずいんだろ? 俺みたいな生き物」 「NEXT」 バーナビーが訂正すると、そうかなと虎徹は肩を竦めた。 「ヒトは枠を作るのが好きだから。 そしてその埒外のものを理解するのを拒むから」 「どういう意味ですか?」 「いや、独り言だよバニーちゃん」 虎徹は笑う。 そして、バーナビーに擦り寄ると、少し寂しそうな笑顔で彼を抱き締めた。 [mokuji] [しおりを挟む] Site Top ←back |