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摂氏42℃とラムネと金魚(9)




アントニオは懐かしく思い出す。


 結局あの夏、虎徹は自分の中の化け物と折り合いをつけた。
ついに完璧に制御できると、自信を持って言えるようになったとき、虎徹は少しだけ変わった。

まず、往来でセックスしたいとか大声で言わなくなった。
誰彼構わず喧嘩を吹っかけなくなった。
友恵と手をつないで帰るようになった。
人に対して今まで以上に優しくなった。

それから程なくだった。
虎徹が友恵にプロポーズしたのは。
えらい気が早いなとからかったら、当然結婚はお預けになったと言った。
早く大学にいって、ヒーローライセンスを取って、必ずヒーローになってやると、眩しいぐらいの笑顔で答えた。
子供は3人欲しいという。
村上医師にN.E.X.Tは遺伝するかもしれないと暗に言われたけれど、なんとかなるさとそれも笑い飛ばした。


その後実は、アントニオは友恵と一度だけ二人きりで話した。
それは、あの日、虎徹がコントロールできたから良かったようなものの、一歩間違えば友恵さんを抱き殺していたかもしれないという危惧を話すためでもあったし、そんな虎徹が自分を制御できたのは、友恵さんのおかげだと、あなたはすごいと言いたかったためでもあった。
でも友恵は微笑んで首を左右に振った。
「アントニオ君、本当に気づいてなかったの?」
「え?」
 怪訝そうに聞き返すアントニオに、友恵は言ったのだ。
「虎徹君はね、最初から生き物は傷つけることが出来ない人だったんだよ」
真顔でそう言われ、アントニオは硬直した。
そんなばかな、というアントニオに、友恵はいっそ儚いような笑顔を向けて続けた。
「虎徹君が、生き物を傷つけたことを見た事ある? いつか犬を拾ってきたときも、箱を壊しただけだった。 その前に学校で飼育してた兎の小屋を壊したときも、壊したのは小屋だけだった。 今回掬った金魚だってそう。 ラムネだって、私が欲しいっていったビー球は無事だったでしょう? 彼が壊すのは無機物だけなの。 彼はね、きちんと意識しないとN.E.X.Tで人を傷つけることが出来ない人なの。 大切なものは絶対に傷つけない、傷つけられない、そういう人なんだよ。 自分で気づいてなかったけれど、私は知ってたの。 だからそれだけなんだよ」
 そういわれて、アントニオは気づいた。
確かにそうだった。 どんなに暴走していても、虎徹が蹴りを入れたとき、木ですら折れなかった。
暴走していても、生き物は必ず無事だったのだ。
 だから本当にこのとき、アントニオは、友恵さんには敵わないなあと思ったのだ。

縁日で虎徹と一緒に掬った金魚を、友恵は長く飼っていたが、結婚する前の年についに死んでしまったという。
あの時虎徹が粉砕させてしまったラムネの味が、忘れられないと言って笑う。
そんな話をいつかしてくれた友恵の手の中には、虎徹のラムネの瓶に入っていた、水色のビー玉が宝物のように握られていた。


――――――時は十数年を刻んだ。


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