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摂氏42℃とラムネと金魚(2)



 ジャパニーズエリアに、トラと呼ばれる若いN.E.X.Tがいるとアントニオが聞いたのは、ジュニアハイに入ってすぐのことだった。
アントニオ・ロペスは、ジャパニーズエリアに近接している、ヒスパニック系アメリカンの居住エリアに住む、やはり10代で目覚めたN.E.X.Tだった。
トラと呼ばれた男は、アントニオとほぼ同じ年齢で、ジャパニーズエリアのジュニアハイスクール通っており、時折アントニオの居る町で騒ぎを起こした。
最初は衝突して、喧嘩になったものだが、どこかの時点で二人は意気投合し高校生になる頃には、二人は概ね親友と言える間柄にまで急速に親しくなっていた。
いまだにトラとアントニオの所属するグループ同士は仲が良くないものの、N.E.X.Tであるトラと、同じN.E.X.Tであるアントニオが本気を出して制した場合、普通人がこれに抗うのは不可能に近いということもあって、完全に衝突することはもはやなく、ある程度の小康状態を保っている。
 トラと呼ばれたアントニオの親友の本当の名前を、鏑木虎徹という。
トラというのは、その虎徹という漢字の「虎」から取ったあだ名で、日本語でタイガーの意味を持っていた。
その虎徹に近頃彼女が出来たらしい。
正確には、彼女ではなく、彼女にしたい女が出来た、というところらしいが。

 アントニオの能力は、早いうちに正体が知れた。
それは硬化という能力らしく、アントニオは能力を発動すると、身体が全体的に強靭になる。
外傷に極めて強い身体になるため、喧嘩などでは非常に重宝した。
基本的に、アントニオはこの力で日常生活に困ったことはない。
一応肉体強化(パワー)系N.E.X.Tに分類されるようだが、虎徹がカウンセリングに通っている、N.E.X.Tの専門家でもある村上医師の見立てによると、本来パワー系ではなく、肉体変化(ミューティーション)系に分類される能力らしい。
ただこれも、非常に珍しいタイプの力だと言われた。

 一方、純粋にパワー系N.E.X.Tの虎徹は、現時点でも能力の詳細が謎のままで、非常にコントロールに苦労していた。
それでも能力を発現させてから8年ほど経った現在では、大体能力の出し方を覚え、ある程度の安定を維持できるようになっていた。
村上医師にアドバイスを受けながら、それこそ身をすり減らすようにして、能力と折り合いをつけてきたわけだが、時折まだ暴走することがあり、周りからつけられたあだ名がもうひとつ。
 壊し屋(クラッシャー)虎である。
字面だけ見ればかっこいいが、ジャパニーズエリアのクラッシャートラというと、大抵みんなが敬遠した。
それほど類を見ない、徹底的な破壊魔だったからだ。
いまでかつてこれほど危険なN.E.X.Tが存在したか?
 いや、いはしまい。
触れるものを全て自らの意思に関係なく破壊しまくる、このなんだか良く解らない能力を持つN.E.X.Tを、相当みんな恐れて敬遠したので、虎徹は長いこと孤独だった。
とにかく日常生活にも影響がありすぎたのだ。
アントニオと仲良くなった後、虎徹が良く漏らすことに、まずそれがあった。
 コントロールが難しすぎる。 パワーの出方が良く解らない。 日によって違う。 勝手に発動する。 これじゃまともに生きていくのも難しい。
それでも、アントニオという同じN.E.X.Tの友人が出来たことは、虎徹の精神にとってはプラスに働いたようで、少しずつ事態は好転の兆しを見せ始めていたのだ。
 しかしここにきて、再び虎徹は能力に振り回されるようになってきていた。
何が原因なのか、暫くアントニオも虎徹自身も気づかなかったが、村上医師は的確に見抜いた。
 虎徹は恋をしたのである。






 相変わらず、この診療所はがたがたで隙間だらけで汚いなと虎徹は思った。
久しぶりにまた来てしまった。
カウンセリングなど、もうあってもなくてもいいような気がするが、10歳のN.E.X.T発現当時から受け続けてきたのと、淡々としつつも村上医師が意外なほどの情熱をもって、虎徹に接し続けてくれているなど、色々思うこともあって、なにか自分ひとりで対処に困ることがあると、虎徹はこの診療所を訪れることにしていた。
N.E.X.Tのことなど、誰にも相談できない。
よしんば出来たとしても、当惑させるだけで、結局なんの解決にもならないのだ。
だから、虎徹はもう、能力の悩みは普通人には極力話さないことにしていた。
「半年振りですか?」
 村上医師が感情の見えない表情で静かに聞いてきた。
「あー、まあ」
 今にも壊れそうな椅子。
黒くて丸くて、音が五月蝿い。
それは虎徹が初めてこの診療所に訪れたときからあるものだった。
そこに適当に腰を下ろしながら、虎徹は村上医師を見た。
「なにかありましたか」
 淡々と言われて、虎徹は肩を竦める。
それからしょんぼりとした風に肩を落として、ぽつりと言った。
「コントロールが駄目んなった。 また暴走気味、俺」
「そうですか」
 村上医師はカルテになにやら書き込みながら、全く気にしてない様子でそう答えた。
彼は、どこかに感情を置き忘れてきたかのような受け答えをする。
最初はとてもそれが嫌だったが、虎徹は今になってみると村上医師のその淡々とした受け答えが嫌いではなくなっていた。
「どうすればいいと思う?」
 ひそやかに聞くと、村上医師はカルテに顔の影を落としたまま、やはり淡々と答えた。
「どんな人間にも等しく、N.E.X.Tになる可能性がありますが、若いうちに発現する者ほど、強くなる傾向がありますね。 最初のうち不安定なのは、N.E.X.Tが、己が宿る人間の精神と肉体の両方に影響を受けるからです。 つまり、N.E.X.Tはその人の精神状態に非常に影響を受けるものであると言えます。 発現した年齢が低い者、第一世代のN.E.X.Tたちがおおよそ短命だったのには、そういったところも関係していたのです」
「俺は短命だっていいたいわけ?」
「違います。 N.E.X.Tは精神に左右されると言うことを言っているのです。 あなたは第二次性徴を迎えてるんですよ。 心も身体も不安定になったのです」
「第二次性徴?」
 はあ?というように虎徹が言うと、村上医師はカルテから目をあげて、虎徹を見た。
「思春期に入ったということです」
「・・・・・・・」
 エー?というような顔をした虎徹に、村上医師は淡々と続けた。
「高校でなにがありましたか」
「え? いや別になにも」
「誰か気になる人が現れませんでしたか」
 虎徹は一気に耳まで赤くなった。
そういうところは非常に初心なのだ。
あまりに解りやすかったせいか、村上医師が少し笑った気がした。
「女性を意識しますか? それは当たり前の成長です。 そしてそれが原因です」
「いや、だっ、でもあの・・・」
「あなたは恋をした。 そうでなくても好きな人が出来て、不安定になった。 だからN.E.X.Tが暴走しているのです。 感情をコントロールしなければなりませんね」
「あー、いやまあ、その・・・」
 狼狽する虎徹に、村上医師は真剣な眼を向けた。
「出来ますか? まず心を安定させなければなりません。 方法はなんでもいいです。 その感情に折り合いをつけなさい。 それがコントロールする術です」
 そんなこと言われても、と虎徹は思った。
「こういうのって、コントロールできるもんなん?」
 村上医師は静かな眼で言った。
「出来ようと出来まいと、やらなければなりません。 でなければ、あなたはまた壊し屋に戻るだけですよ」
 虎徹は深いため息をついた。


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