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喪 失(15)




 クリスマスイブを迎える今日、バーナビーは思い出のスケートリンクへ、ライトアップされた樅の木の前に彼を導いた。
「覚えていますか、虎徹さん」
「・・・・・・」
 無言で樅の木を見上げる虎徹の横顔を見つめ、バーナビーは自分の方へ虎徹の身体を向かせる。
金色の瞳が自分の胸の辺りに注がれているのを、バーナビーは知った。
 今日こそは届くかも知れない。
僕のこの言葉が。
今はもう、全く見えなくなったバーナビーを認識させることが出来るかも知れない。
バーナビーは虎徹の右手を取り、自分の両手で包み込む。
それから愛おしそうにその手を開かせると、そっとその手のひらにピンズを乗せた。
「覚えてますか、虎徹さん。 その昔、僕がここで、あなたにこのピンズを貰った事を」
「・・・・・・」
 無感動に見つめる瞳。
でもそれは、確かにピンズに注がれていた。
人は認識できなくても、場所は、物は、まだ認識できるかも知れない。
これは最後の賭けだと思っていた。
 虎徹がかつて、バーナビーに自ら与えて、それを身に着けるように願ってくれたただひとつの証だ。
その期待に応えるように、虎徹の金色の瞳に力が戻る。
焦点が合い、虎徹はそれをまじまじと見つめ、それから久しぶりにバーナビーは虎徹と視線があったと思った。
 やった、少なくとも虎徹さんは、今自分を視認した。
しかし。
 虎徹はバーナビーを突き飛ばすと、ピンズを自分の手のひらにおき、気が狂ったようにあたりを見回した。
ぶるぶると震える手のひらの中、そのピンズを凝視して、虎徹は叫んだ。
「バニーのだ! バニーの、ピンズだ。 バニー、いるんだろ、バニー、 何処に居るんだ!」
「虎徹さん!」
 突き飛ばされたバーナビーは地面に転がっていたが、慌てて立ち上がり、彼の肩を揺さぶった。
「虎徹さん、僕です。 僕がバニーです! ほら、見てください。 バニーはここにいます、虎徹さん」
「放せ!」
 虎徹が絶叫した。
鋭い金色の瞳が、バーナビーを射抜いた。
その瞳の中に、初めて見たものがある。
これは憎しみだ。 瞳がはっきり叫んでいた。
お前を俺は許さないと。 虎徹の中の、はっきりとした憎悪がバーナビーに初めて向けられた瞬間だった。
「お前はなんだ! どうしてお前がこのピンズを持ってるんだ! これはバニーのだ! 俺がバニーに買ってやったんだ。 お前のような見知らぬ人間が持っていていいものじゃない! あっちにいけ、俺に触るな!」
 虎徹さん・・・。
絶望に、目が眩むかと思った。
虎徹はバーナビーを一瞥するとそれきり振り返りもせず、 クリスマスで賑わう広場の方へと駆け出していった。
そこで、不審気な視線を自分に向ける人々の中、必死にあたりを見回しながら、バニーを呼んだ。
 何処に居る、何処に居るんだ? 頼むから出てきてくれ、俺はここにいるんだ。
バニー、バニー。

 バーナビーはそれを見て、顔を覆う。
確かに虎徹は自分を認識した。
でもそれが拒絶だとは思いもしなかった。
拒絶? いやそれよりも酷い。 バーナビーはもう虎徹の中に居なくなってしまっていた。
あの瞬間、それが解った。
バニーの代わりにバーナビーを認めてくればいいと、そう諦めて望んでいたけれど、虎徹はついにバーナビーという存在自体を抹消してしまったのだ。
彼の中にはもう、自分は居ない。 かけらも居ない。 消されたのだ。 彼自身の意思で、いらないと捨てられてしまったのだ。
あの激しい憎悪が。
憎しみが。 許せないと叫んでる声が。 今までバーナビーだから許そうとしてきた。 まだ、必死に繋ぎとめてくれていた何かが、虎徹の中から消失してしまっていた。
これが答えか。
これが答えだったのか。 それほどまでに、無意識に、虎徹は自分を憎んでいたのか。
許せないほどに。
「もぉ、たくさんだ!」
 それから駆け出し、 なあ、バニーを知らないか、俺の大切な人なんだ、このピンズの持ち主を知らないか、と通りすがりの親子に聞いている虎徹の肩を掴む。
なに? といったように驚愕に見開かれる瞳。
バーナビーは虎徹の硬く握っていた左手をこじ開け、虎徹がそれに抵抗して必死に握り込むピンズを取り上げる。
 虎徹の悲痛な怒声。
それを無視して、バーナビーは虎徹の目の前で、ピンズを全力で何処か空に向かって投げつけた。
 虎徹が頭を抱えて、絶望の呻きを漏らすのも構わず、バーナビーは虎徹に背を向けて、その場を駆け去った。
虎徹はピンズを投げられた方に向かって、走り出す。
 あれは失ってはならないバニーへの手がかりそのものなのだと。


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