Novel | ナノ

パシフィック・リム  <10>約束(1)


<10>約束


 環太平洋防衛軍の面々は、皆各々帰還した虎徹とバーナビーの無事を喜んだ。
熱狂しているといってもいい。
カテゴリー4の怪獣がやってきて、「ドラゴン・サイクロン」が敗れ、「ルナティック・ブルー」が沈黙、指令本部の電源までもが落とされた時、人々は皆終末を覚悟した。
今日が地球の、地球人類の命日になるのだと。
誰もが「K-DAY」を思い出した。
あの日から十二年、人々は戦って戦って戦った。どんなに絶望しても何度でも這いあがってきたのに、ああここで終わるのだと。
だが、「ワイルド・タイガー」は勝った。
この試練に打ち勝ったのだ。乗り越えることが不可能だとみな思っていた壁を突き破ってくれた。
もはやイェーガーには強化される一方の怪獣は倒せないとそう絶望した矢先、燦然と輝く沈まぬ太陽のように、憂愁ただ打ちひしがれる人類をまるで叱咤激励するかのように。
 まだ戦える、まだ終っちゃいない。
人々は虎徹とバーナビーを取り囲み、口々に彼らに称賛と感謝とを伝える。
二人は少し照れたように人波を進み、そしてレジェンドの前で立ち止まった。
「私も長い事戦ってきた」
 レジェンドは万感の思いを込めてそういう。
真っすぐに向けられる金鳳花色の懐かしい瞳。
レジェンドの知っているそれは随分と厳しくて、容赦なくて、一時は本当に恐れたものだけれど、そして約束を果たせないと胸を痛めたものだけれど。
 村正、貴様の覚悟とその思い、私が引き受けよう。恐らくこれもまた運命だったのだろう。
そしてこちらも綺麗な翡翠の瞳。
 ああ、本当に立派に成長した。彼もまたもう一つの私の運命だったのだろう。後は。
「長く戦ってきたが、あんな戦いは見たことがない。初めての事だ――よくやった」
 大歓声が上がる。
虎徹も目を輝かせて、「はい!」と言う。
レジェンドの最大の称賛、お前はやったのだ、期待以上に素晴らしかったと言われ、顔を紅潮させる。
胸いっぱいに広がるこの誇らしさ! ああ、やったぞ、兄貴、俺はやった。まだ俺は戦える。
そうして虎徹はバーナビーを見る。バーナビーもまた頬を紅潮させて満面の笑顔で。
 嬉しいんだろうな、嬉しいだろう。こんなに嬉しいことはない、自分が大好きで大切で尊敬していてずっと目標にしていた人に認められる、ましてや自分を超えたとそう認めて貰って、ああ、パイロットとしてこんなに嬉しいことはない。
「この厳しい戦いを今また超えてきた。誇りに思う。みんなの誇りだ」
 レジェンドは皆を見渡す。
環太平洋防衛軍所属者のすべての瞳がみなレジェンドに向けられていた。
 士気は高まった。これ以上は望めず、そしてこれ以上の好機はもうないだろう。
泣いても笑っても、後一週間、いや五日か、そこで「ピットフォール作戦」を何としても遂行するのだ。
「しかし厳しいと思うだろうが今は祝っている時ではない。仲間を二人失ったが悲しむ暇はない」
 レジェンドはまた皆を見回す。
虎徹とバーナビーも顔を引き締めてレジェンドを見れば、彼は一つ頷いてこう言った。
「残ったイェーガーを100%状態に整備しろ! 後最大一週間、作戦決行は五日後に設定!」
 五日後だ! 五日後に設定だ!
整備班たちの力強い伝達が、ドック内に伝播していく。
「怪獣タイマーをリセットしろ!」
 リセット! 怪獣タイマーをリセット!
怪獣襲撃を予告するその無慈悲なカウンターが、再びゼロに戻される。
レジェンドはそれを眺め、指令室へと立ち去って行った。
「リセットするんだ」



 今日の昼食はローストビーフとマッシュポテト&チーズ、ミネストローネとコーヒー付。
昨日は勝利に盛り上がって環太平洋防衛軍の面々は夜遅くまで酒盛りをしてたようだが、虎徹とバーナビーはそれに参加できなかった。
何故なら二人は自分が思う以上に疲弊しており、虎徹は気分的に斉藤さんとは飲みたかったものの、パイロットスーツを脱いだ途端に腰が砕けた。
バーナビーに大丈夫ですか! と抱き上げられて「何すんだ!」と暴れたらバーナビーも倒れた。
「ふざけんなよバカ野郎!」
 抱き上げるならちゃんと抱き上げろよ、そのままこけたら意味ないだろ! つーか離せよてめー! と暴れてるなと整備士達が見ていたら、バーナビーが「ごめんなさい」と言った後落ちていた。ちなみに「謝って済むと思うなよ!」とバーナビーに抱きつぶされた形で転がっていた虎徹もそのまま落ちた。
「・・・・・・」
 二人が帰ってきたと聞いて先に体調チェックと怪我の手当てを受けていたユーリは、礼を一言言いたくて「ワイルド・タイガー」のディスパッチルームへ向かう。オリガの方は思ったよりも重傷で左腕と背骨を傷めてしまっていた。特に左腕は完全に折れてしまっていて、全治二か月とのこと。
「私の分も礼をいっておいてくれ」
そうオリガは言ったが一日看護室に入院することになり、そのままストレッチャーで運ばれて行ってしまった。
 イェーガーでの連続戦闘時間は出来るだけ一時間以内と決められていた。
昔は被爆する危険があってこの時間は厳密に守られていたが、今ではコアシールドが強化されたおかげで「ワイルド・タイガー」なら二四時間乗っていても被爆はしない。ただ、パイロットの体力が持たなかった。
 搭乗者の体力にもよるが、まあ最大五時間が限度だろう。
ついでに言うと単に乗っているだけならという話で、今回なんと虎徹とバーナビーは四時間も戦闘していた。
実はユーリもふらふらで、実際戦闘したのは二時間程度だったのにこの疲労感。
さぞや二人も疲れているだろうと見に来たら案の定だ。
 整備士達と一緒に二人をとりあえず着替えさせて各々の部屋に運搬するのを手伝った。
朝は見かけなかったので多分まだ寝てるのだろうと思っていたが食堂へ行くと、いつもの端っこに見覚えのある黒髪の男が座っていた。
 またマッシュポテトの食べ残しを行儀悪く弄っている。
「どうしたんだ、虎徹」
 行儀が悪いぞ、と突然声が上から降ってきて虎徹は振り返った。
にっと笑う。
「なんかこの会話既視感あるな」
「前も言ったからな」
 ユーリが軽く肩を竦める。
「昨日はありがとう。なんか俺落ちてたみたいで、ユーリが運んでくれたんだって?」
「ああ」
 そんなことか気にするなとユーリは笑い、虎徹の前の席に腰かけた。
「バーナビーは?」
 と聞くと知らない、という。
「多分寝てると思う。イェーガーで戦闘すると結構疲弊するからなー」
 久しぶりだから俺も堪えたよ。まさか四時間の戦闘になるなんて思わないしさ。
地球は丸かったし、成層圏は見ちゃったし。
「イェーガーで見れるなんて得したじゃないか」
「そうだな」
 それから暫く虎徹はユーリが食事を取るのを眺めていた。
やがて自分をじっと見つめてみたり、コーヒーの中を覗いてみたり、また自分の顔をちらりと見やってみたり。
ユーリは苦笑して、「昨日はディスパッチルームに礼を言いに行ったんだ。まだお前たちに礼を言ってない。礼代わりになんでも答えるぞ」と言う。
するとあからさまに虎徹がほっとした顔になって、小さく「ありがとう」と呟くのだ。
「あの・・・・・・どこから聞いていいのかわかんねぇんだけど――指令はその、もう長くない、のか?」
「・・・・・・」
 ユーリはスープを啜っていた口を拭い、更にコーヒーを一口飲んでから虎徹の目を見ずに「ああ」と言った。
「その・・・・・・俺はバーナビーとドリフトして、その、昨日も――。それで見えたんだ。あの東京襲撃の時、バーナビー、・・・・・・バニーは逃げまどっていて、オニババがあいつめがけて襲ってきて、だけど上空にイェーガーが――「レジェンド・タンゴ」が現れて、俺を――バニーを救ってくれた。あの時コックピットから出てきたのは――レジェンドだった。俺・・・・・・じゃなくてバーナビーはそれを見上げて――」
 ユーリは途切れ途切れにそう話す虎徹に、俺が知っているところなど極僅かだがそれでいいならといってこう語りだした。
「オニババを討伐した「レジェンド・タンゴ」は初期型の一体で、所謂最初に建造された三機のうちの一機、マークTの中でもとりわけ初期に作られたものだ。「ワイルド・タイガー」のプロトタイプだな。初代機の中では最も強力なイェーガーだった。だがエネルギーコアの放射線対策が整っていなくて――長期間の搭乗の際には被爆した。そのせいで指令は重度の白血病に侵されてる。もう一度イェーガーに乗った時、それが彼の最期になるだろう」
「兄貴――」
 虎徹はユーリの言葉に思い出す。
どうして村正は活動限界時間に拘っていたのか、搭乗時間が一時間を超えると虎徹の気分がどうであろうと必ず帰還を選んだのか――知っていたのだ。そして恐れていた。兄は本当に自分を守ろうとしてたんだ。
そして兄の本当の望みは、俺がイェーガーパイロットを降りる事――。
「・・・・・・」
 ユーリは続けた。
「彼はこのオニババの襲撃で両親を亡くして一人になったバーナビーを引き取って育てた。実際引き取ったのは彼の相方だったアルバート・マーベリックだったんだが、彼はオニババ討伐時にニューラル・ハンドシェイクによる負荷に耐えられずに失神し指令と同じように重度の被爆をして――。アルバートもまたガンにかかった。指令とはまた別のガンで進行が早くてね・・・・・・」
 指令は三時間、アルバートの助けなくイェーガーを操縦した。
「そうして彼は本当のレジェンドとなった。アルバートが失神しなければひょっとしたら二人ともまだエースパイロットだったのかも知れないな」
「たら、れば、の話をしても始まらない」
 虎徹は言った。
「俺にとっても彼はレジェンドだ。唯一無二の英雄だ。彼がいたから俺は戦えた。俺も兄も。兄はもういないが、彼は俺の中でまだ生きている。そして新しい相方も得た。もう一度、俺は戦える」
「その意気だ、虎徹」
 ユーリを見ると、思いもかけずとても優しい顔をしていた。
穏やかに笑っている。それを見て、虎徹はああ、と思った。
そう、彼は昔こんな風だったのだ。やっと、同じ場所に戻ってこれた。
「もしもまた帰ってこれたら――」
 虎徹はユーリの笑顔に胸を詰まらせながら言う。
そう、ずっと昔、まだイェーガーパイロットになる訓練を受けていたあの懐かしい日々からずっと言いたかったこと。
「皆で遊びに行こう。海岸線をみんなで旅して――ヨーロッパがいい、大西洋、あっちの海は泳げるって、怪獣がこなくなったら安心して遊べる。やりたいことが――」
 沢山沢山あったんだ。本当にやりたいこと。
兄の気持ちが痛いほど判る。俺にパイロットをやめて普通に自分の好きな事やって欲しかったんだ。なのに俺はまたここにいて、兄の願いを叶えてやれない。俺ホントにバカだ。でも、でもな兄貴、俺だってそれ以上に守りたかったんだよ、兄貴も、みんなも。ごめんな兄貴、土壇場で気づいた。最後の願いすら叶えてあげられない。でも兄貴なら判ってくれるよな・・・・・・。
「皆――皆居なくなって――、俺ばっか、生き残って――、逃げて。イェーガーのパイロットになる事なんかじゃなく、みんな別にやりたいこと沢山あったのに、ずっとずっと言えなかった。この土壇場で、なんでこんな」
 お前だって、裁判官目指してたんだろ? そう言って胸に去来するもの。
キースはドッグトレーナーに、カリーナはシンガーソングライターに、アントニオはコックに、ネイサンは自分の店を持ちたがっていた。
みんなみんな居なくなってしまった。どうしてこんなことになってしまったのだろう・・・・・・。
「虎徹」
 涙が止まらなくなってたまらずコーヒーカップを抱え込み、そこで嗚咽を漏らす虎徹にユーリは手を伸ばす。
そしてその背を優しく撫でた。
「お前が優しい事、みんな知ってたよ。訓練生時代から私はお前が眩しくて堪らなかった。あんなに厳しくて大変だった時代、お前が皆を元気にしてたんだ。帰ってきてくれてありがとう虎徹、私はお前が好きだよ」
 虎徹が抱え込んだコーヒーカップの中、涙がぽつんぽつんと水紋を作る。
その様を眺めながらユーリは言った。
「生きて帰ろう、今度こそみんなで」
あの日、訓練所でみんなで約束した通りに。
「そして生き残ったら、お前も自分が一番やりたかったことをやるんだ。みんなもそれを望んでる。勿論私もそうするから、な?」
 虎徹はただ、馬鹿みたいに頷くことしか出来なかった。



[ 245/282 ]

[*prev] [next#]
[mokuji]
[しおりを挟む]
【Novel List TOP】
Site Top
×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -