Novel | ナノ

パシフィック・リム  <5>バニー!バニー!バニー!(2)


『神経同調が乱れました』
不意に「ワイルド・タイガー」のガイドがそう報告する。
「いきなり乱れた」
斉藤が訝し気に声を上げる。
「二人とも?」
補助のオペレーターもそう心配そうな声で報告する。
「二人とも乱れた!」
「なんで乱れた?!」
斉藤はモニターを二度叩いて、自分の席から立ち上がった。
「何が原因だ!」
レジェンドが叫ぶ。
「判りません!」
間髪入れずにもう一人のオペレーターがそう答え、レジェンドはオペレーターからマイクを奪うと「ワイルド・タイガー」に搭乗している二人へと叫んだ。
「タイガー、虎徹君! 同調が乱れたぞ、二人ともだ!」
 虎徹も一瞬引きずられたが直ぐに正気付いた。
なのでレジェンドに叫び返す。
「大丈夫です、これぐらい! 直ぐに立て直す、俺に任せて下さい!」
「お前が良くてもバーナビーがダメだ!」
 レジェンドが絶叫、斉藤がドリフトのシンクロを追いかけていたが、急速にダウンしているのを見てうめき声を上げた。
「タイガー、シンクロ率が60%を切ったぞ、お前にも影響がある! ドリフトを一旦中止して――」
 だが更に隣でオペレーターがそれを止めた。
「ダメです、ウサギを追い始めてます!」
「タイガー!」
 オリガ士官が指令室で「ワイルド・タイガー」を見上げる。
それからレジェンド指令を見たその表情は。
 一方虎徹は必死になってバーナビーを呼んでいた。
「バーナビー、聞いてくれ! そいつを見るな、追いかけるんじゃない! それはただの記憶だ。記憶を深追いするんじゃない! 俺の声を聞いてくれ、バーナビー、バーナビー、バーナビー!」
 バーナビー!
その呼び声をバーナビーは遠くに聞いていた。
目の前で瓦礫が崩れ、あっという間に一緒に逃げていた筈の父と母の姿が無くなった。
否――見てしまったのだ、潰れた母の死体を――じっとりと広がって行った赤い血を。
それはアスファルトを濡らして何処までも何処までも染みていくように見えた。
「お母さん」
 泣いて瓦礫に縋りついた。
だけどそれを許してくれない恐ろしい地響き。それと耳障りな細く長い警報。
 空を三機のジェット機が横切って行った。
バーナビーは涙にぬれた顔を上げて天を仰ぐ。
そうして聳え立つ高層ビルの向こうから、濛々と灰色の煙が上がるのを見るのだ。
 巨大なハサミ、ごつごつとした岩のような体躯。真っ青な口の中――。
それが突如がばっと開き、中から激烈なブルーをした飛沫が飛び散る。
亀裂のような目がじっとバーナビーを見下ろしていた。
こんなに巨大な生き物なのに、確かにバーナビーという小さな人間を視認しあまつさえ抹殺しようとその巨躯を震わせて追いかけてきた!
 何故、どうして? どうしてこんなことが起こるの? お母さんは? お父さんは?
助けて、助けて誰か!
 余りの恐怖に呼吸もままならず、足をもつらせながら逃げた。
地響きをたてながら猛然と追いかけてくる巨大な怪獣、彼は容赦なくバーナビーを追跡する。
身体が巨大すぎてビルの隙間を通れない。だからそれを全部身体でぶち壊しながらそれこそまるで悪魔が具現化したように追いかけてくるのだ。
悪夢だ、悪夢が現実化して僕を追いかけてくる――。
 バーナビーは泣きながら走った。
手に握りしめているのは携帯電話。それは小さいころ母親が手作りしてくれた小さなピンクの兎のストラップがついていた。
携帯で助けを呼ぼうとしたが震えて上手くいかない。泣きながら走り、それでもなんとかプッシュして耳に携帯を押し当てたが、そこから聞こえるのは電波が届きませんという無情な機械音声だけだった。
 転んだ。でも直ぐに立ち上がった。
怪獣はその巨体が邪魔をして思う様に前に進めないようだったが、バーナビーを全く見失っていない。
確実についてきている。
バーナビーは路地の角を曲がり、そこにあった大きなゴミ収集ボックスの裏に隠れた。
これで諦めてくれないだろうか、これで自分のことを忘れてくれないだろうか、見逃してくれないだろうか?
だがそんな奇跡は絶対に起こらないのだ。
 それでも一瞬、怪獣はバーナビーが視界から消失したのに伴って動きを止めたらしい。
やがて走るのをやめたのか、一歩一歩確認するように歩き始め、その度に振動で大地が揺れた。
一定のリズムを刻むその地響きにバーナビーはやめればいいのにそっとゴミ収集ボックスから顔をだし、路地を伺う。
濛々とした砂煙をあげて、岩にひび割れた亀裂のような怪獣の瞳とバーナビーはまともに目をあわせてしまうのだ。
 絶叫をあげて飛び退り、ゴミ箱の裏から飛び出すも、背後は行き止まりだった。
「やめて、近寄るな! やめて!」
 携帯電話を取り落とし、兎のストラップが泥水に塗れる。
だがバーナビーはそんなことにはもう気づかない。ただやめて、助けて、と呟きながらその場で立ちすくみ、右手を前に突き出すのだ。
 やめて、誰か助けて。


『ウェポンシステム起動。プラズマ・キャノン充填中』
「まずいぞ・・・・・・」
 斉藤がそれを見て思わずうめき声を上げた。
「ワイルド・タイガー」の右手がゆっくりと持ち上がり、その強力無比な武器の入り口が開いた。
それは急速に磁力を充填しはじめ、真っ青なプラズマの光が中心に収束していく。
斉藤が叫ぶ。
「キャノンが起動した! 緊急停止!」
「ダメです! できません! 神経接続が強すぎる!」
オペレーターの悲鳴、斉藤はオリガを振り返る。
『チャージ完了』
再び強制解除を試みたオペレーターの悲痛な叫びが指令室に響く。
 退避!
オリガが叫んだ。
「総員退避! ユーリ、電源を引っこ抜け!」
「今やってます!」
 指令室他、収容ドック内にいた作業員が続々と逃げ出していく中、レジェンドとユーリと斉藤だけが逃げずに「ワイルド・タイガー」の電源コードに飛びつく。
「このケーブルだ! パワーケーブルを抜け!」
レジェンドがそう指示し、太くてがっちりと差し込まれているそれを、ユーリは力の限り引っ張った。
「虎徹!」
 ユーリが「ワイルド・タイガー」を振り仰ぎ、絶望的な声で虎徹を呼んだ。


 虎徹の方はウサギ追いをするバーナビーを捕まえようと、必死に呼びかけを続けていた。
余りにもリアルなバーナビーの記憶。
何時しか虎徹の精神もそこへ引きずり込まれ、パイロットスーツを着たままのイメージで幼少時のバーナビーの傍らに佇んでいた。
彼は携帯電話を握りしめ、恐怖に震えていた。
こんな巨大な生き物を相手に、十五歳のバーナビーに何が出来たろう。いや、歳は関係なく誰もがこの脅威の前には抗えず、泣き叫びながら踏みつぶされて死んでいったのだ。
圧倒的な恐怖。
 こんな恐怖、普通に生きていたらそうそう体験できないだろう。
 くっそ、でもだからといってこんな深度の「ウサギ追い」に捕まるとは。
これではバーナビーは勿論、下手をすると「ワイルド・タイガー」もろともシュテルンビルトと無理心中だ。
だが虎徹は予想しえたと内心後悔していた。
 何故、もっと彼と話さなかったのか、もっと真摯に彼の言葉を聞き取るべきだった。(怪獣に復讐する其の為にイェーガーに乗ると)
 何故、自分ばかりが肉親を失ったと思い込んでいられたのか。(バーナビーもそうだ、俺は知ってた、ドリフトする前から彼の両親が東京襲撃で死んだこと)
 何故、彼もまたこの世界で戦いながら生き残った者の一人だということに思い至れなかったのか。(自分が怪獣に痛めつけられたように、イェーガーに乗ろうが乗るまいが、怪獣によって痛めつけられた人はこの世界にはたくさんいる)

自分自身の体験が、記憶が一番辛いと勝手に思い込んでいた。
そうじゃない、彼もまた、怪獣との闘いで大切なものを失っていたのだ。どうして思いやれなかったのだろう!
十五歳での離別なんて、それもあんな悲惨な渦中での出来事だなんて、トラウマにならないほうがどうかしている。
(目の前で死んだ。両親とも)
どうして話してくれなかった!
(目の前で死んだ、俺の兄も。俺は繋がってて、バーナビーは繋がってなかった、ただそれだけだ)
 いや、そうさせなかったのは自分だと虎徹は遅ばせながら自分自身を罵倒した。
誰よりもイェーガーに乗りたかったのは彼だ!(イェーガーに乗る理由があった!)
そしてまたレジェンドもだ。(乗らなければならない必然があった!)

 違うばかな、でもそうだ。
ああ、話せばよかった、もっと自分の兄のことを、どうして死んだのか、どんな風に自分が辛かったのか。
そしてバーナビーのあの体験と余りにも近すぎて、俺たちは体験まで近すぎて、どんなにバーナビーが傷つくかも考えてやしなかったんだ。
呼び覚ましてしまった、俺が辛かったこと、バーナビーは誰よりも理解して体感して、俺みたいに。
自分自身と同じことだと理解してそれでなお、俺を憐れんでくれたんだ――。



「オフラインにしろ! 動力を切るんだ!」
レジェンドがそう叫んだ時、ユーリはついにそれを引き抜くことに成功した。
「切りました!」
 絶叫するのとほぼ同時、「ワイルド・タイガー」の音声ガイドが『ウェポンシステムを停止』と報告、全ての明かりが消えていく。
『神経接続は無効化されました』
 安堵するユーリ他コントロールルームに居たすべての面々。
一方、ドリフトによってバーナビーの精神世界をも共有していた虎徹の視界の中、徐々にそれが薄れ気づくと「ワイルド・タイガー」のコックピット内に戻ってきていたのだった。
 虎徹はヘルメットを自分の頭から引っこ抜いて背後にぶん投げると、呆然としたように立ちすくんでいるバーナビーの下へと駆け寄る。
バーナビーは真っすぐ右手を差し伸べて微動だにしなかったが虎徹が駆け寄ってすぐにぐらりと身体を傾がせると、そのまますうっと倒れ込んで意識を失った。
「バーナビー!」
 其の頃外部では、「ワイルド・タイガー」のプラズマ・キャノンが充填された右腕が、その充填を解除してゆっくりと下降していくのを残った人々が多大な安堵を持って眺めていた。
なんとか収まったのだ。多少問題はあったが。
 斉藤が溜息を、ユーリは安堵の余りその場でしりもちをつき、そのまま自分の膝を抱え込む。
レジェンドが「ワイルド・タイガー」の巨躯を険しい顔で睨みつけ、その横顔をオリガ士官がただ見つめていた。
斉藤が虚脱して椅子にどさりと腰かけるのと同時、「ワイルド・タイガー」の音声ガイドがこう聞いてきた。
『ドリフトシークエンスを終了しました。もう一度実行しますか?』と。



 起動実験の後、バーナビーは医務室へと運ばれた。
虎徹はそれに付き添っている。
これは防げた事態だと、とても反省していたからだ。
だが、同時にこれで大丈夫とも思っていた。
 俺はお前、お前は俺。
深く深く繋がった。もう大丈夫、もう二人の記憶は一つだから。
俺もお前ももう怖れることは何もない。
 誰が何と言おうともう離れない。
「バニー」
「なんですかその呼び方・・・・・・」
 虎徹が目を覚ましたバーナビーの額を梳く。
それからその額に唇を落とした。
「大丈夫、ちょっとショックを受けて痺れただけだから。直ぐに戻るよ。俺のとは違う」
単なるこれは記憶で何一つ現実じゃない。だからお前は大丈夫。
「貴方の――お兄さん・・・・・・」
「兄貴が死んだとき、まだ俺たちはドリフトで神経が繋がってた。痛かったよ、苦しかった。兄の絶望と痛み――」
「それと貴方を深く深く愛してるって――イェーガーに乗せてしまったと後悔してた」
 虎徹は目を見開く。
「繋がってたから判ります。見ました」
「そっか」
 自分の額を撫でている虎徹の右手をとても気持ちがいいなと思いつつ、バーナビーは聞いた。
「何故僕をバニーと?」
「ウサギ追っかけてっちゃったし、お前のおっかさんがお前の事そう呼んでたからさ」
「見ました?」
「見ちゃった」
 バーナビーはくすくすと笑った。
「・・・・・・あなたそのキスして起こす癖、お兄さんにもだったでしょう?」
 うん。
「だって兄貴全然起きないんだもん。すげー寝起きが悪くてさ、いや寝起きはいいんだけど、とにかく目が覚めないのよ。だから最初は嫌がらせでやってたんだけど、なんかそのうちそうしないとダメになった」
「お兄さんもその起こし方、実は好きだったんですね」
「うん。ほら、人間ってさ、言ってる事と思ってる事って結構違ってるのよ。だから俺は兄貴のホントの気持ちの方を優先しただけだ。人間って難儀な生き物だよな」
 人は本当に難しい。でも兄貴相手には俺、それ考えなくて良かったんだ・・・・・・。
「僕は貴方のバディになれますか」
 うん。
「悪くない、お前悪くないよ」
「僕も貴方の中、嫌いじゃないです。優しくてちょっぴり苦い。その後悔も、持ってるものもみんな僕とは違っててみんないい」
 そっか。
そうして二人はひたと見つめあい、それから同時に破顔するのだ。
そっと虎徹が屈み込んで、バーナビーの額と自分の額をくっつける。
「相棒、よろしくな」
「はい、こちらこそ」
 しっかりと手を互いに握って、それから虎徹は言うのだ。
「今までいろいろあったけどさ、ずっと俺過去に生きてた――なのにこんな人生最悪のタイミングで気づいちまったな、互いに」
 ええ。
最期まであきらめない、使命を果たそう。
そして生きて帰ろう、生きたい。
それがどんな絶望的な道行であろうと、生還の可能性が皆無であろうとも、決して。

俺たちはこの世界でまだ生きていたいんだ。




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