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喪 失(7)




 告白してから再び数日が経過した。
虎徹はバーナビーに対して特に変わらない。
一度返答を聞こうと手を取ったら、大袈裟に振り払われて逃げられた。
ジャスティスタワーのトレーニングセンターでも、彼は二人きりになるのを極力避けていた。
それでも、答えをもらえないのは卑怯だと、そう詰め寄ったら、ぼそぼそと視線を外されながらやはりお前はバニーではない、バニーとの約束を破るわけにはいかないと、そんな風に謝られた。
 その日にそのことを決めたわけではない。
本当なら、もっとゆっくりことを進めようと思っていた。
しかし、バーナビーは連日悪夢を見るようになっていた。
 恐ろしい夢だ。
虎徹の言うとおり、バーナビーはバニーではなかった。
その証拠に、自分とそっくりな男が毎夜夢に現れてこう言うのだ。


「何時からあなたに、僕のポジションに取って代わられたか解らないんです」
 バニーは翡翠色の瞳でバーナビーを見つめて、なんだか笑い出しそうな表情で言った。
「いつの間にかあなたが現れて、僕のふりをし始めたんです。 でも虎徹さんはさすがだと思います。 そんな虚構直ぐに見破った。 彼には本質が見えるという天賦の才があるんですよ」

 黙れ。

「僕は彼と約束しました。 そして虎徹さんは一度たりともその約束を違えませんでした。 これは凄いことです。 何故ならあなたは簡単に裏切りましたから。 ええ、未だに裏切り続けているんですよ。 そりゃあそうでしょう。 虎徹さんが僕を見つけられないのも当然です。 なのにあなたときたら」

 黙れ、黙れ。

「よく振り返って考えてみてください。 あなたは虎徹さんが全て悪いと思ってるでしょう? 自分には全く非がないと思ってる。 そう一度綺麗サッパリ忘れた癖に、それを棚に上げて、虎徹さんが自分を忘れたと責めているわけです。 一度胸に手を当てて良く考えてみたらいかがです? 本当に狂ってるのは虎徹さんですか? それともあなた? 実はバーナビー・ブルックスJr、あなた自身なのではありませんか?」

 黙れ黙れ黙れ!

そうしてバニーは笑いながら、虎徹の背中に手をかける。
虎徹は振り返り、バニーと囁く。

やっと見つけた。 お前が本物のバニーだ。

「そうですよ、虎徹さん、さあ行きましょう。 僕こそが、あなたが探していたバニーです。 もう大丈夫です。 僕はあなたを裏切りません。 決して」

 そうしてバニーと虎徹は遠ざかっていく。

待て、行くな、行かないで、虎徹さん。

その声は、必死に紡ごうとしているのに言葉にならない。
バーナビーの視界の中、バニーが振り返った。

 思うに、あなたは未だ裏切り続けてるんですよ、バーナビー。

 裏切り者の、偽善者。
お前には絶対虎徹さんは渡さない。

バニーの嘲笑だけが耳に残った。









 そんな悪夢を信じたわけではないけれど。
震える手で、バーナビーはその薬をスプーンで潰す。
病院から処方されている、眠剤だ。
虎徹も別に薬を処方されているが、その中に眠剤は含まれてないことをバーナビーは知っていた。
先日またカウンセリングを受けたとき、悪夢を見る、それが怖くて近頃寝不足で、業務に支障を来たし始めたといい訳し、無理矢理処方してもらったものだ。
カウンセリングを担当してくれている医師の、心配そうな水色の瞳を思い出す。
しかし、バーナビーはその考えを実行せずにはもう居られなかった。
 最後に虎徹と肌を重ねたのは、そう、確かタイガー&バーナビーを再結成して、二ヶ月もしたあたり。
極寒の2月が過ぎ、日差しが温み始め、雪が雨に変わり、木々の芽が綻び始めた頃。
あの日、彼が最後に言った言葉はなんだったのだろう。
所謂ピロートークと言うものを、していたような覚えがあるのだが、その時の会話がどうしても思い出せない。
 何がきっかけだったろう?
いやもうそれ以前に、虎徹はバーナビーを避けていた気がしていた。
もう一度関係を築きなおそうとしたあの瞬間、虎徹はすでに迷っては居なかったか?
でもそれは、自分に対する遠慮だと思っていた。
実際虎徹は、自分と違ってお前には未来がある、まだ若い、これから女を好きになって家族も作りたいと思うようになるかも知れない、等と言っていた。
バーナビーはそれを、一蹴した。
未来なんて誰にも解らない、でも僕はあなたの傍に居たい。 そう思ってはいけないんですか? 我侭ですか、虎徹さんは僕の事をもう愛してはいませんか。
 おずおずと伸ばされた手を握った。
絶対放さないと思った。 あんなに幸せだったのに、虎徹は違っていたのだろうか。
 夢中で虎徹を抱いたあの日、白くなるほど手を握り締めていた。
じっと見つめてきたあの金色の瞳、なにか囁いていた。
バーナビーは回想し、そしてやっと、思い出した。

 バニー、俺の事覚えてるか?

囁くような、小さな小さな声で、まるで独り言のように言った。
それは何時しか虎徹の口癖になっていて、ことあるごとに、バーナビーに囁いた。
その日もだから、いつもの、ほんのいつもの一環だと思っていた。 軽く、そうだ、口に出したのだ。

 覚えてます。 忘れません。 覚えてます。

そしてまたその後も聞いてくるから。
 くすっと笑って、バーナビーは言った。

 本当は覚えてないんです。 ねえ、あなたは誰ですか?

軽く冗談のつもりだった。 
しかし、虎徹はがばっと身を起こし、それこそ目を見開いて・・・。

そうだ、彼は逃げ出そうとしたのだ。
まるで嗚咽を噛み殺すように、彼は本気で震えて怯えていた。
あまりのその様子に、バーナビーこそホントに慌てて、「嘘です、ごめんなさい、冗談でした。 だって虎徹さん、あんまりしつこいから・・・! 僕が忘れるわけないじゃないですか」と、叫んで羽交い絞めにした。
 その後やっと少しばかり落ち着いて、ベッドに戻ったけれど、虎徹は長い事、声を殺して泣いていた。
まさかこんなに悲しむなんて思わなくて、バーナビーは二度と茶化すまいと自分自身に誓った。
その後やっと落ち着いてしゃくりあげて、「バニー、その冗談は本当に止めて欲しい」と真顔で言われた時、約束した。
二度と言わないと。 虎徹も笑って最後は許してくれたと思っていたのに。
 でもあれが原因だったのではないだろうか。
あれが始まりだったのではないか? バーナビーはそう思い当たった。
だから。

 もう一度やり直そう。
あれがきっかけだったのなら、自分の発言を取り消して、上書きしてみたらどうだろうか。
勿論、精神改竄能力なんてものはバーナビーにはなかったので、行動の上書きを。
もう一度、あの状況を再現して、違った結末に導く事が出来たら、変えられるのではないかと。
 ごめんなさい、虎徹さん、ごめんなさい。
でも優しくしますから。 試させてください。 お願いします。

虎徹が自分の家に預けたまま、埃をかぶっていたそれの封を切った。
教えられた通りに、お湯で割って、梅干を落として。
それから、砕いた眠剤を、綺麗に見えなくなるまで溶かし込んだ。
 自分の為に作ったグリューワインと一緒に、虎徹に食べさせるために練習したチャーハンを持って、バーナビーはリビングへ向かう。
そこには、自宅に招いた虎徹がきょろきょろと辺りを伺いながら立っていた。




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