Novel | ナノ

SPLASH! 2 人魚のいる水族館 《北の星座》 (3)


 一つ聞いてもいいかしら?
彼女が底砂に寝そべりながら自分を見上げている。
今日は諦め? それとも逆に何か希望を持った?
虎徹はすうっと彼女の元へと下降する。そして虎徹も彼女の近くの岩に手を預けてそこで横になった。
真っ暗な水族館(パシフィカルグラフィック)――仄かに底砂を照らす水中夜間照明。
そのうっとりとするような光を目の端に捕らえながら、自分を見上げる彼女の綺麗な青緑の瞳を見る。
蛸様の幻獣へと変化してしまってもこの色は変わらないのだなあと虎徹はなんとなく思った。
いや人であった時よりも若干濃くなっていると思う。人と違う獣の虹彩。自分の瞳も人であったときよりももっとずっと深く濃い黄茶になった。光にあててみればきっと金色に輝いているんだろう。虹彩がルチルクォーツ(金糸水晶)のようだとバニーが言っていたっけと思い出す。
 何?
と聞く。
それからごめんと謝る。
 結構ハードでさ・・・・・・。覚えることもえらい多くて。水中でヒーロー活動なんかしたことないし、考えた事もなかったから今苦労してるよ。俺もあんま若くないからなんかもう言われた事を頭に入れるだけでかなり疲れちゃって。斉藤さんなんかもー容赦ねーし。あ、斉藤さんってアポロンメディアのメカニックさんね。そんなわけで、横になっててごめんな。
――ううん。
 彼女がゆっくりと首を左右に振る仕草をしたのが判った。
――貴方が一番大変なのに、先日は無茶を言ってごめんなさい。でも出来るなら連れて行って欲しいわ。
 ノーマン大尉にはそれとなく伝えてみたよ。意思の疎通が――何か方法があるのなら考えてみてくれないかって。俺が居なくなったら誰もあんたの言葉を拾ってくれないだろう? でも俺聞いたんだけど、俺が浚われた時あんたさ――飼育員に話しかけたんだって? イメージが強かったって聞いたけど、あんたの声を聞いてたよ。
 そうね、一方通行なら話しかける術もあるのかも知れない。ただあの時は必死だったから二度出来るかどうかって言われると自信ないわ。
切羽詰ったら出来るのかも? という彼女の言葉に虎徹は頷いて。
――そうじゃなくて、聞きたいことは別にあるの。・・・・・・怖くない?
 怖い? 海洋探査が?
――ううん、そうじゃなくて。
 彼女は言った。
――BBJ・・・・・・バーナビーを置いていくことよ。
どうして耐えられるの? ワイルドタイガー。行かないっていう選択肢もあるんじゃないのかなって。わた、・・・・・・私で良ければずっと傍にいるわ。私も何処にも行けないし・・・・・・。だって好きなんでしょう? 傍に居たいんでしょう・・・・・・? 貴方は私と違う。バーナビーはタイガーの事きっと本当に好きよ。大切に思ってるって判るもの。それに貴方は綺麗だわ。私とそこも違う。彼と話せる。上半身だけでも元の貴方に近くて、その・・・・・・愛し合うこととか諦めなきゃいけないことは沢山あると思うけれど、――でも命を失うよりはマシだと思うの。娘さんも置いていくの? 私が貴方なら出来ないわ。だってヒーローであるということも、貴方、シュテルンビルトを離れて生きていけるの? 貴方の大切なものを全て――失うのよ。
 怖くないの?
・・・・・・。
 怖いよ。
虎徹はぽつんと言った。
――だったら・・・・・・!
 でもさ。
虎徹は金色の瞳を瞬いてそのまま彼女に続ける。
 怖いよ、いっぱい悩んだよ。今だってホントは行きたくねーよ・・・・・・。楓だって置いていきたくない。かーちゃんとか兄ちゃんとかも居るしさ・・・・・・迷惑かけっぱなしで俺が海で死んじゃったら、多分骨も残んないだろーなーって思うしさ、バニーなんかさあ、アイツ結構っつーかすげー泣き虫なんだよ。めっちゃ泣くんだよ。話すだろ、泣かれるだろ、俺も結構釣られて泣けちゃうんだけどさ、水ン中だと涙わかんねえのよ。涙流した感触もないしさ、笑っちゃうけどそれで俺なんか逆に開き直っちゃって近頃大分泣かなくなった。でもその分バニーがなんか余計泣いてる気がしてさあ。泣かせてるの俺だよなーって思うとなんかもーどうしていいのか今でも結構頭の中ぐちゃぐちゃだよ。でもさ・・・・・・駄目なんだよ、ここで逃げちゃ・・・・・・。
――逃げる?
 うん、と虎徹は頷く。
 なんていうかさ、この世の中ってさ結構思い通りにならない事っていっぱいあるだろ? その度に諦めなきゃいけない事、頑張んなきゃいけない事って選択しなきゃならない。絶対両立しないこと、これは無理だってこと何かを捨てて何かを拾ってそうやって人間って選択して生きてきてるだろ? 人にとってそれの優先順位が違うんだけどさ、俺馬鹿にされるかも知れないけど、ヒーローでいること、ヒーローで在り続けることっていうのを唯一無二の選択としてずっと他のものを切り捨ててきちゃったんだ。
俺奥さんが居る時にはさ、まだもうちょっとその選択の幅が広かったと思うんだ。人並みに結婚したし、娘も授かったし。俺、父親は知らないけどさ、ばーちゃんとじーちゃんは当時生きてていたし、母ちゃんも兄ちゃんもいたから子供の頃結構普通だったんだよな。10歳ン時にNEXTになったんでそれから俺の人生ちょっと他人と変わってたけど、それ以外は何も――失わないで寧ろ全部俺のモンで当然だって生きてた。でもかみさんが死んだときさ、諦めなきゃならないものもあるんだって、本当の意味で理解したんだ。俺がどう頑張ったって戻ってこないし手に入らないものはあるんだと。残酷だけどそれが現実だって思った。ヒーローであることってさあ、俺だけの夢じゃなかったんだよ。俺のかみさん、死ぬまで俺がヒーローである事を望んでた。あいつヒーロー大好きでさ。二人三脚で俺やってきてたんだよ。アイツがいなかったら俺絶対ヒーローになれてなかったと思うんだ。馬鹿だし。そしたら更に馬鹿なもんで、アイツが死んでから余計に、俺ヒーローだけは絶対捨てられない、何に代えてもって思っちゃったんだよ。それが一番上に来ちゃった。ずっとその間違いに気づかないできちまった。――――それをさ、正してくれたのがバニーなんだよ。アイツには言った事無いけどさ、俺アイツに出会ってああ、本当に馬鹿なことしてたなって思った。俺さ諦めなきゃいけない事があるって理解してそれを更にひねくれさせてさ、諦めなきゃいけないって言い訳しながら逃げてたんだよ。かみさんの死っていう現実から、楓って娘を育てなきゃいけない義務から。都合がいい、ヒーローっていう、そうあり続けたいっていう俺の夢に。ヒーローであるということも、楓の親であることも、両立できない訳が無かったのに。事実バニーはそれをやってた。いや、アイツもちょっと頑なで馬鹿なとこあるんだけどさ、――なんつーか少なくともバニーは諦めなかった。逃げてなかった。全部立ち向かう必要もないと俺は思うけど、アイツ全部立ち向かっててさ、俺を好きとかかなり変だと思うんだけど兎に角ガチンコなのよ。正面突破なんだよなアイツ。でもってクソがつく程真面目なの。逃げないわ真面目だわでもって泣き虫だわでさあ・・・・・・。
――逃げてる・・・・・・。
 うん。
虎徹が目を遠く彷徨わせる。
水槽の中、幾つものあぶくがガラスを這うように上へ上へと上がっていくのが見えた。
・・・・・・逃げちゃ駄目なんだよ。諦めるしかないんだって誤魔化しながら逃げちゃ駄目なんだ。現実を見るってそういうことなんだと思う。ちゃんとあたりを見回して、今俺がやんなきゃいけないことってなんだって。俺馬鹿だから間違ってるかも知れないけど、本気で考えたんだ。そしたら海で今も幻獣化して彷徨ってる人々を守れるのは俺だけっていう現実から目を逸らしちゃいけないって思ったのさ。マディソンだってきっと目覚める。ずっと眠ったままなんてことはない。目が覚めたら彼女が能力を解除してくれるかも知れない。今は駄目でも訓練したら出来るかも、だろ? 他に解除方法が判るかも知れないしさ。だったら俺がやらなきゃいけない事はこの水族館で保護されてずっとバニーの傍でぬくぬくしてることじゃなくて、戦うことなんだと。今俺がしなきゃいけないことは人魚で水槽で飼われてるしかない、海に海洋調査に行ったら死ぬしかないって諦めることじゃなくて、少しでも生き延びる確率を上げる努力をすることなんだ。この場合の諦めるは、逃げるってことと同義だから。バニーは判ってくれるよ。アイツなら解ってくれる。アイツ自身にとってもこれは必要な事なんだって。
 辛いけどさ。
彼女は無言で俯く。
銀色のハモがするりと近くの海草を通り抜け、やがてつかの間の静寂があった。
虎徹はうとうとし始めたかも知れない。
連日の厳しい訓練から耐え難い睡魔が襲ってきて、そのまま虎徹はまぶたを閉じて規則正しい呼吸音がえらから響いてきた。
彼女は微動だにせずその場で虎徹を見守り続け、それから随分と暫く経ってから、小さく小さく「そうね、その通りだわ」と呟いた。




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