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SPLASH!〜人魚のいる水族館〜(8)


 お誂えの快晴。
パシフィカルグラフィックは最上階であるドームカバーを久しぶりに全開にした。
染みとおるような青が水に反射し、光が天空から差し込んでくる。
ザ・オーシャンシー・パシフィックの水面、巨大な水槽の最上部はマリンショーを行う事が出来るように5重の隔壁が設けられている。
今その全ての隔壁が取り払われ、一階下の大陸棚に相当する部分まで吹き抜けとなった。
照明ではない太陽の光がまっすぐにザ・オーシャンシー・パシフィック内部まで差し込んでいく。
 ふと虎徹が最深部からその光を振り仰ぐ。
水中でくんくんと匂いを嗅ぐような仕草をした後、きょろきょろとあたりを見やった。それからそっと自分の部屋にもなっている小さなスペースから抜け出すと、ルチルクォーツの瞳を瞬かせる。
 かすかなクリック音。
虎徹がエコロケーションを発信し、暫く後に首を傾げた。
水の中、遠くに人影。
アクアラングを背負い、ウエットスーツやフィンを纏った清掃員が数名下降してくる。今殆どの訪問者はマリンショー会場に移動しているため、その隙にザ・オーシャンシー・パシフィックの中下層の清掃を行おうという事だろう。
「・・・・・・」
 虎徹は無言で身を翻した。
基本的に知らない人は余り好きではない。清掃員は特に苦手だった。余り近づきたくないというのもあり虎徹は尾を一振りしてするりと一階層上昇する。
それをこの水族館の所員たちも薄々感づいているようで、虎徹に自分から近づかないように気を使ってくれている。しかし今日の清掃員は少しおかしかった。
躊躇いもせずに虎徹の個室に当たるスペースへ近づいてくるとどうやら自分を探しているらしい。
 嫌な気分。
ふうーっと深いため息をついて虎徹は見つからないように更に移動を開始した。
今日は中間層から上層に何時も居るイルカたちの姿が全てない。イルカショーの為に最上階のスペースに集められているのだろう。
虎徹はほっとした。実は虎徹はイルカたちが苦手だったのだ。特に若い雄のイルカが。
 でも今日はその心配はなさそうだ。



 久しぶりのマリンショーは大歓声の中迎えられるように始まった。
色とりどりの風船が空に放たれていく。
イルカたちも久しぶりのショーに喜びを隠せないようだ。意外な事に水族館などに飼われているイルカやアシカ等にとってはマリンショーが一種のストレス発散の場になっているのである。多くの芸を覚えるのも実際はそれが彼らにとって必要な事だからだ。
水の上に上がる、人の指示に従う、腹を見せる等など、イルカのような巨大な水棲生物の健康を維持するのにとても重要な動作なのだ。
例えば手術などをする時に普段から人の手に慣れ、自ら水から出て横たわり腹を見せる――そこまで自力で行えないと死ぬ事になってしまう。
それでも尚、こういった巨大な水棲生物の手術はとても難しいものであったから、もっぱら予防の方に力を入れることになるわけだ。健康診断一つとっても、人の指示に従えるよう、人の指示を理解するよう彼らに教え込む事は必要悪だったのである。
 さてそんなわけでイルカたちは絶好調で弾丸のように水面から飛び上がっていった。
トレーナーの指示に従い次々と華麗な技を披露する。非公開になっていた間もイルカたちは毎日弛まず訓練を行ってきていた。
全員ではなく選ばれた特に優秀なイルカだけがショーに出演する。ハンドウイルカが6頭と、カマイルカ8頭で構成されているプログラムが今回選ばれた。
軽快な音楽のリズムに乗って、次々とジャンプを繰り返していく様はまさに圧巻。
 バーナビーは巨大なスクリーン真正面の来賓席の最前部、プラチナ席と呼ばれるパーティーションで仕切られた特別席に一人で鑑賞していたが、統率だった美しいイルカたちの演技に惜しみない拍手を送った。
 バーナビーはこういった場所にあまりなじみが無い。
遊園地に行ったのも、水族館にいったものも、遥か昔、4歳以前のことだ。特に水族館の記憶は殆どなかった。行った覚えはあるのだが、どうにも内容を覚えていない。恐らく3歳かそこらか、下手をすると2歳後半の時代だったのではないかと思う。後に虎徹と言うパートナーを得てからは、虎徹と一緒に出かけるようになったのだがその記憶の方は逆に近しすぎて辛かった。
 ここに、虎徹さんが居ればいいのに。
まだ水族館には行った事が無かった。ヒーロー業務はいつ呼び出しがあるか判らないので意外に遠出できずに不自由する。何処かに遊びに行くにしても、虎徹とバーナビーという二人で行く機会を設けるのが至難の業だったのだ。
 何故なら虎徹とバーナビーはバディヒーローだったから。
一人居なくても、もう一人がフォローできる。そういうコンセプトもあったし判っていた。
だから二人は実際のところ普段は別々に休暇を取るようにしていたし、それに不平不満を言ったこともない。バーナビーだって飲み込んでいたつもりだった。
近場しかいけなくても、普段呼び出しがない時にセントラルパークを二人でぶらぶらするだけで幸せだった。
でも、バーナビーは時折思っていたのだ。
虎徹ともっと自由に一緒に何処へでも出かけることができたなら。
きっととても楽しいだろう、いつか――二人とも、ヒーローを引退したら。
 ヒーローをやめるなんて、今は考える事も出来なかったし、やめた虎徹なんて自分のこと以上に想像できなかったけれど、バーナビーはそのいつかをとても大切に思っていた。
いつかでいい。でもいつか。――なのに。
 もうそのいつかは二度と来ないかも知れない、だなんて。
「・・・・・・」
 切ない思考にバーナビーは笑顔を翳らせた。
いけない、集中しなきゃ。
 バーナビーは自分の思考を振り払うように頭を振るうと、ブルーローズの位置を探した。
賓客席にはいない。
まあ当たり前か。自分のように彼女は顔出しヒーローではないから、今回は「カリーナ」で来ている筈だ。だとすると一般の一等席あたりにいるのだろう。
暫く探していてそれらしき後姿を見つけた。
どうやら一人ではなく、家族と来ているらしい。
父親と母親と? 大丈夫なのかと考える。しかし家族は当然カリーナがブルーローズである事を知っている筈だと気づいてそうかと納得した。
ご両親ならブルーローズにチェンジして現場に向かうという事態に遭遇しても問題ない。むしろ彼女を一番サポートしてくれるだろう。それに今日のブルーローズの役目は連絡係でしかない。内部から情報を送れるようにと配置されているだけだから、もしもの事態が起こったらバーナビーは自分だけで対処する心積もりだった。
 しかしそれも杞憂のようだ。
今のところ問題があるようには思えない。
 イルカたちの綺麗な肢体が次々と躍り上がって着水していく様に視線を戻した。
マリンショーはクライマックスに達しようとしていた。



「おはようございます」
 今日からマリンショーが再開ということで、一部の水槽への食事配給時間がずらされた。
深海ゾーンを含む小水槽がそうだ。各々綿密なスケジュールが組まれているが、パシフィカルグラフィックではペンギンによるショーはまだ再開されていない為臨時の隔離部屋にあたる部分での配給のローテーションが後回しにされたのだ。
 いつもより数時間早くイルカたち、ショーに出る動物たちへ食事が振舞われた。ショーの最中にもちょくちょく褒美として餌を与えられるので食事内容もそれらが最も効果を発揮するように別メニューになる。
 飼育員たちは自分の係りの生き物の下へと向かい、各自声をかけあいながら作業をこなす。
ふと、ザ・オーシャンシー・パシフィックの最下層担当の飼育員がすれ違った職員を振返った。担当者バッジが三階担当のものだったから。
「何か問題でもありましたか?」
 そう聞くとその職員はぴたりとその場で立ち止まった。
飼育員はザ・オーシャンシー・パシフィックを高く見上げる。今日は太陽光が見える。きらきらと輝く本物の太陽光の差し込む様が空中に浮かぶ金冠のように見えた。
「こちらの階層の問題なら私がやっておきますよ」
 そういいながら、パシフィカルグラフィックの認識票を胸から引っ張り出して彼はその職員に提示した。
それは極薄いカード状のもので、職員同士の確認にも使われた。本部からの指示もこれを通して伝達されるので各々に届いた指示もこれを互いに表示させて認識することによって共有する事が出来る。勿論記録も残る。
誰と誰が何時何処でその情報のやりとりをしたのか判る優れものだった。ヒーローに与えられるPDAと同じようなものだと思えばいい。
だがその職員は認識票をすぐには出さなかった。
「?」
 飼育員がどうしたのだと一歩前に出てその職員の俯き加減の顔、帽子の鍔の中を覗き込もうとしたとき。
「・・・・・・がっ――」
 彼は認識票を出すような仕草をしたので飼育員も当然認証だと待っていたわけだが、問題の職員が懐から素早く出してきたのはなんとスタンガンだったのだ。
首筋にそれを押し当てられて飼育員は一瞬で昏倒した。なにがなんだかわからなかっただろう。
職員は小型無線機らしきものを更に尻ポケットから取り出すと、連絡した。
「こちらB1、一部職員に発見された。作業を急がれたし」
「了解」
 くぐもった聞き取りにくい音声が返ってきた。




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