Novel | ナノ

SPLASH!〜人魚のいる水族館〜(3)


「タイガー、きれーな人魚になったねえ」
ドラゴンキッドがそんな能天気な感想を言うのでバーナビーは顔をしかめた。
 シュテルンビルトの最南端にある埠頭近くの水族館に、虎徹は今収容されている。
ヒーローたち全員に召集がかかり、バーナビーも息せき切ってそこへやってきたが、他のメンバーもまたそうであったのだろう。直ぐにでも虎徹に会いたかったが軍からもったいぶった説明と注意事項を含むレクチャーを受ける羽目になった。
やがて彼が収容されているという水槽に案内されると、まずは巨大な蛸のような気味の悪い物体Xに出迎えられて一同仰け反る。
それが警察や軍の何れか、誰か罪もない人間の成れの果てだと思うと、このような反応は彼らに失礼かとも思うのだが、余りの事にみな誰もが押し黙っていた。
「ワイルドタイガーはまだましなんです」
 まだましとはなんだとバーナビーなぞは思ったが、少なくとも虎徹だと認識しえただけ、虎徹の変身はまともだったと言えなくもない。
この蛸なんかどこで誰だって識別すりゃいいんだと実際のところロックバイソンは内心激しく悩んでいた。
「なんで虎徹だって判ったんだ。こんな変身されちまったら誰だかわかんねえだろうが」と最もな質問をする。
ブルーローズいや、カリーナも――今はみんな一般人のいでたちだった――蛸怪人を見て硬直している。バーナビーには彼女の危惧しているところが良くわかった。
 どうしよう、識別の理由がPDA嵌めてたからだとかだったら・・・・・・。
せめて蛸じゃなくてイカにして。ううん、軟体動物系じゃなくてできれば、甲殻類ぐらいでお願いします。
だが彼女の心配は杞憂だった。
 奥へ奥へ案内されて、ヒーローたち全員は綺麗な南国風の水槽の前で立ち止まった。
巨大な糸巻きエイが優美な身体を惜しげもなく晒し水槽の奥へ。鯛がイソギンチャクの横を団体で通過していった。
白い砂が水槽の底に敷かれていて、極彩色の魚に混ざって、銀色のハモが高速で泳ぎ去っていく。
水槽の奥の奥に蹲っている小さくはない影。
それにバーナビーは目を凝らした。
「引き上げた時、甲板に投げ出されてしまって、その後抵抗したので麻酔銃を使ったのですが痛めてしまって――かなり鱗を剥いでしまったんです。移送中も環境が負担だったみたいでめっきり弱ってしまって・・・・・・軍の連中がそのまま素手で触ってしまったのもまずかったんですが水族館の職員に言わせると自力で回復をはかるしかないと」
 バーナビーは聞いちゃいなかった。
そこに居たのは確かに虎徹だった。見覚えのある黒髪、それは今水中でわかめのように揺れていたが、それを愉快だと思っている場合ではない。
そう確かに虎徹ではあった。やや変形していたが、概ね上半身は。
 バーナビーは分厚い水槽のガラスをばんばんと殴った。果たしてどれぐらい叩いていたか判らないが、ぐったりと身体を丸めて白い砂の上背中を見せていた虎徹がぴくりと動く。
やがてゆるゆると、本当に鈍いスピードで彼は振り返り、なんだか不思議そうにバーナビーの方を見つめているのだ。
 縦に亀裂の入った美しい金色の瞳。
それはバーナビーの知っている金色の瞳より更に深みを増して、人にあるまじき黄金の色彩になっていたが、きゅっと細められたのが判る。
更にそれからどれくらい経ったのか判らないが、するりとそれが水の中を優美な仕草で動いてガラスに右手をそっと触れた。
「虎徹さん!」
 聞こえない、聞こえてる筈がない。
だが、確かに虎徹は微笑んだ。綺麗な笑顔だ。特徴的な髭も微笑み方も変わっていない。だけどその瞳は変質して金と黒とに輝いていた。ルチルクォーツ(金糸水晶) そのものだ。
「・・・・・・戻るんですか・・・・・・」
 声が震える。
バーナビーのその質問に誰も答えない。
「マディソン症候群に治療法はないんです」
 軍から派遣されただろう案内役がそう呟くように言った。
「幻獣使い――マディソンによって幻獣化された人間が元に戻った例はかつてない。そして直す方法も判りません。ただ今回は彼女が保護されました。NEXT研究所に移送して彼女がこの力のコントロールをする術を学べば、或いは」
「・・・・・・」
 バーナビーは知っていた。この世の中には、解除不能のNEXTが存在するということを。
決して元に戻す事ができない効力を持つ者が極稀に居るのだ。解除できない能力を持った者の苦悩はいかほどだろう。そう考えた事もかつてあった。でもそれも所詮他人事だった。
「まずは彼女が目覚めるのを待つのが懸命でしょう」
 判ってはいるのだけれど。


 気の毒そうな顔をして、軍の案内役と水族館の飼育員――水槽担当者が去って行った後に残ったのは、途方にくれたようなヒーローたち。
バーナビーは無言で虎徹を見上げる。
彼の知能は今どのぐらいなのだろうか。人としての意識は殆どなくなるという。姿形に見合った知能しかなくなるという事なら、虎徹のそれはどの程度だろう。
魚類の知能は総じて低い気がするのだけれど、少なくとも虎徹の場合頭部は人のそれと大して変わらなかった、ような気もするし。・・・・・・そんな風に訝しんでいたのが伝わったのか、虎徹が何かに気づいたようにくるりと水槽の中で振り返る。水槽のガラスに添えられた両腕にバーナビーは素早く目を走らせて、PDAとワイルドシュートがそのままきちんと装備されているのが見えてなんとなくほっとした。ワイルドシュートはともかく、PDAだけは外させる訳には行かない。それからふと気づくのだ。左手の薬指、その指輪の嵌っている部分だけが幻獣化していない? という奇妙な事実にだ。
「虎徹さん、その指――」
 言いかけた瞬間、水槽の壁面一杯に水泡が立った。
虎徹がその美しい深碧色に輝く尾を振って、水槽の上部、水面を目指したからだ。そこでバーナビーらヒーローたち一同も上を見上げて気づいた。
この水槽は地下一階のここから四階部分にまで貫いて大変深い構造になっており、四階部分に相当する上辺にはイルカたちが泳いでいたからだ。
鋭いホイッスル音。
バーナビーはこの音が瞬間虎徹が発したものだと想像もつかなかった。どこから発したのか虎徹はイルカたちと同じ音声を体内のどこからか発している。
イルカの方も鋭い反応を寄越した。下降してくる優美な肢体を持つ水棲動物たちが、不思議そうに虎徹の周りを遠巻きに回っている。
次の瞬間、金属のようなかすかな音。
クリック音――イルカたちがこの不可思議な生き物の所在を探っているのだ。同時に虎徹の方もどうやら同じ音を発しているらしい。ここにおいてバーナビーは初めて気づいた。虎徹は今エコロケーションによる外界探査に自分の感覚を全部切り替えてしまっている。本当の意味で人間とは感覚が違っている生き物に変化してしまっているのだということに。
 暫くするとイルカたちは虎徹をどうやら受け入れたらしく、なんだか楽しそうにもつれ合いながら水槽の奥深く、正確には周回できるように巨大なドーナツ状になっているのだが、ぐるりと水槽の向こう側奥に泳いでいってしまった。それはなんだかイルカたちが、この新参者の幻獣に自らのテリトリーを案内してやっているようにも見えた。
 呆然とそれまで虎徹に見入っていたヒーローたちが一様にため息をつく。
さて当面我々は何をしたらいいだろう?
 パオリンがほけーっと水槽を眺めていたが、真っ先に言葉を発した。
単なる感想に過ぎなかったが、それで固まっていた全員の解凍の切欠になったのは確か。
「タイガー、きれーな人魚になったねえ・・・・・・」
 なっちゃったねえ。としみじみ呟くのに、カリーナが「だけどどうしよう・・・・・・」と涙ぐむ。
「今までマディソン症候群(NEXTによる幻獣化を起こした人間の総称)に罹って、元に戻った人っていないんでしょう?」
 どうしよう、どうするの。一生このままだったらどうするの。
どうしよう・・・・・・とおろおろと繰り返すのでバーナビーはまたため息。パオリンに悪気がないのは判っているが、能天気ないい様にどうしても苛々を隠せない。顰め面のまま。
「暫くはこの水族館で預かってもらえるみたいなんだけど、元に戻る目処が立たなければ、考えなきゃならないって言ってたわね」
「何を?」
 と聞いたのはキース。
ワイルド君は実に美しい、良かった、私は実は海洋ホラーものが苦手でね、半漁人だったら多分正視できなかったと思う。あっ、勿論ワイルド君が気持ち悪いっていう意味じゃないからね! 海洋ホラー映画に出てくる人魚っていうのが実にまた恐ろしいものばかりだったから、ワイルド君が綺麗な方の人魚で安心したよ! 等とこれまたバーナビーがむっとするようなことをいい連ねていた訳だがここにおいても天然っぷりを発揮してネイサンにそう無邪気に聞いた。
「イルカだって飼育するのに一頭年間五千万シュテルンドルぐらいかかるのよ。実際このマディソン症候群――被害者たちだけど、保護のされ方に国によっても違いがあるし・・・・・・まだ陸上生物だったらなんとかなったかも知れないけど」
「どういうことですか」
 イワンが恐る恐るといったように聞く。ネイサンはうーんと顎を杓った。
「だから、今回犠牲者はタイガーを入れて280名ぐらいいるでしょ? うち270名ぐらいはまだ行方不明よね。PDAやらトレーサーで衛星から補足したデータが来てるけどみんな外海に向かってるって。以前からあるんだけど、もう保護というか飼育は諦めて、治療法がわかるまで外海に放つっていうのが今回多分理想的な方法なんでしょう」
「なっ・・・・・・!」
「280名の海洋幻獣全部を飼育保護できる施設はシュテルンビルトどころか、この国にはないわよ。タイガー一人ぐらいならなんとかなるにしてもやっぱり維持費や飼育費の問題があるわけで。そうなると他のマディソン症候群で動物園に保護されてる例があるんだけど――勿論、親族の了解はとってあるわけなんだけど、一般に公開されてるのよ。幻獣として」
「虎徹さんを一般公開するつもりなんですか?! こんな、犠牲者なのに!」
「だけど実質それしか方法ないわよ? 貴方楓ちゃんに――タイガーの実家がタイガーの保護費用払えると思ってるの? それがイヤならトレーサーを・・・・・・タイガーはPDAがあるからこのままでいいのかな、・・・・・・つけるなりして、治療法が見つかるまで放してやった方がいいでしょう」
「イヤイヤ! 絶対反対! いやよ、タイガーを海に放つなんて! もう二度と会えなくなるかも知れないじゃない!」
「駄目です、そんな! 費用ぐらい、僕が出します!」
 バーナビーと私も協力するから! とカリーナが絶叫する横で、アントニオがはーっと深いため息をついた。
「・・・・・・あー、俺にはなんともだけどよ」
 それから額を右手で押えて左右に振った。
「虎徹がな、いなくなるとよ、楓ちゃんもそうだが虎徹んちの実家は困窮するんだ。唯一の稼ぎ頭だからな。こういっちゃ酷かも知れんがシュテルンビルトで虎徹はヒーローとして認知されてる。このままシュテルンビルトの水族館のどれかに移送して貰って、一般公開しちまったほうがいいと思う。幸い 見られるモンに変化してんだから多分シュテルンビルト市民なら喜んでコイツを鑑賞しにくるぞ。下手すりゃヒーローよりも稼げるぐらいなんじゃないのか。その収入を自分自身の保護費用に当てて、楓ちゃんへの仕送りもこれなら・・・・・・」
「自分の父親を見世物にされて、それで楓ちゃんが納得すると本気で思ってるんですか?!」
「勿論これは最悪の場合だよ! シュテルンビルト財政がタイガーをこれ以上面倒見切れないとなるまでは、シュテルンビルトだってそこまで鬼じゃないだろ・・・・・・ただこのままだといつか限界がくるだろうって俺は言ってるんだよ。その時のことを考えておいた方がいい。その、なんだ、マディソンちゃんだっけ? 目覚めない可能性もあるんじゃないのか。命には別状がないって言うけど、本当かどうか。それに目覚めても彼女がこの力をコントロール出来ないのなら意味がない。解除の方法がないんだったらもう」
「言わないで下さい!」
 バーナビーが床に向かって絶叫する。
「虎徹さんが居ないんだったら、僕だってヒーローできません! 僕にとっては自分自身の問題でもあるんだ、彼を一人見世物にして、僕がこの街で一人ヒーローを続けるなんて、耐えられない!」
「まあまあ」
 そう悲観しなさんな、とネイサンは笑った。
「大丈夫よ、大丈夫」
 その言葉にはなんの保証もなかったけれど、それでも十分説得力を持ってみんなの胸に響いた。
絶望したり悲観したりするのはまだ早い。少なくともタイガーはここにいるのだからと。
「それにほら」
 ネイサンが顎を杓った。
気づくといつの間にか、虎徹とイルカがヒーローたちの傍に戻ってきていた。
イルカも十分美しい生き物だが、虎徹も今はなんて綺麗な生き物だと思う。少なくとも直視出来ない生き物に変化しなかっただけは良しとすべきなんだろう。
 いや、綺麗だな。本当に充分どころか、こんなに綺麗な生き物が存在できるのかというぐらい見事に複雑で現実離れした造形をしている。
現実にはありえない、空想上の獣――それが現実にここに在るのだ。
「良かった・・・・・・、イカとかタコとかじゃなくて・・・・・・本当に良かった・・・・・・」
 カリーナがしみじみ口の中で震えながら呟いているのに、バーナビーも心中力いっぱい同意した。
良かった本当に、なんだか良く判らない珊瑚とか甲殻類とか、長いものじゃなくて。
 本当に良かった。
ちなみにイワンだけは、良かったボクがこのNEXTにかからなくて。と涙目で感謝していた。
戻ってきたイルカや虎徹はどうやら水槽を一周する間に飼育員から餌を与えられていたらしく、虎徹はにこにことイルカが分けてくれた青魚を丸齧りしていたからだ。
近頃きちんとした日本の職人の手による寿司や刺身はなんとか食べられるようになっていたものの、そこはそれ、基本的にイワンは生魚が大の苦手なのだ。やめてください、タイガーさん、それ頭です。魚の頭は食べるものじゃないでしょうと呼吸困難の発作を起こしそうになっていた。
 パオリンは「タイガー美味しい? 骨喉に詰まらせないでね?」とガラス越しに話しかけていたが、多分虎徹には聞こえていなかった。
「ドラゴンキッドやめてあげてください、お願い・・・・・・」とイワンは嫌がっていたが、パオリンは「なんで?」ときょとんとしている。







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