Novel | ナノ

琥珀を捕む夢(20)



 そっと友恵の病室から退出し、突然無口になってしまった本を促して二人は出口へと向かう。
病院の廊下からずっと、シュテルンビルトの街並みが見えた。 うっすらと雪化粧されて、灰色の空の下に横たわっている。
「友恵ちゃん・・・、多分知ってるんだね」
 自分が不治の病であることを。 そして自分の寿命が残り少ないという事も。
全てを飲み込んであんな目が出来るのか。 まだ若い上に4歳にもならない幼子を遺して逝かなければならないというのに。
「・・・堪らないね、堪らないよ」
 代われるものなら代わってやりたいよ。 誰も何も言わないが、安寿は特にそう思っているだろう。
不憫なわが子がやっとの思いで手に入れた幸せなのだ。 それほど虎坊の幼少期は辛かった。 母子家庭というだけで充分苦労してきただろうに、虎坊がN.E.X.T.に目覚めた時、余りにも日本人の同胞は彼らにとって辛かった。
 京は口を噤んで過去に心を馳せた。 本当に絵に描いたような幸せな理想の夫婦だったのに。
そう物思いに沈みそうになっていた京へと、不意に本が口を開いた。
「俺らな、サイコ系N.E.X.T.ってのには色々禁忌があるんだ。 多分な、人の心を旅する能力だからだと思う。 誰から教わらなくてもな、力を貰う、いや目覚める時に約束すんだよ、世界に」
 本の言葉に京が思わず横顔を見る。 本は真っ直ぐ前をだけ向いて病院の廊下を歩いていた。
「どうしたい、本さん」
 その横顔にこれまた何故苦渋を見つけたろうかと京は思う。 だがそんな京の当惑には気づかず本は話し続けるのだ。
「――自分を惜しまない、境界を超えない、人の記憶っつーものがどんだけ大切か心して力を使うって。 そして今ひとつ 時を――超えないこと」
「時を、超える?」
「サイコ系N.E.X.T.でも深層意識により近い能力者ってのがあってな、すこんと心の奥底をのぞき見る時に見えるんだよ、広大な青い海が。 俺にはそう知覚されるんだが、そこへ到達できる力を持つ者は高次の存在からそう警告される。 其処へ到達できんのはSleeping Beauty(修復者)と呼ばれるとても稀なN.E.X.T.だけだって言われてる。 そして今尚そこで眠り続けるとても綺麗なイメージがあってな・・・、手に触れる事も出来ない何かが。 俺らサイコ系N.E.X.T.は多かれ少なかれ全員それを感知できる力を持ってる。 そして俺のN.E.X.T.は多分それに、一度だけ近づける能力なのだろうと思う」
「時を超えるってアンタ、タイムトラベラーとか」
「違う、京さん、人の意識は元々時間に左右されない。 純粋な意識は時を超えることが出来るんだ。 京さん、人はね夢の中で皆時を超えてるんだ。 だからこそ予知夢なんていうものが存在する。 N.E.X.T.なんかでなくとも人は全員そうなんだよ。 奥底で意識は繋がっていて、俺らが死ぬ時その中に還元されてまたいつかこの世に形を変えて戻ってくるんだと思う。 そしてその一番奥底には時間が存在しないんだ。 いや全ての時間が同時に存在しているということなんだろう。 でもなそこはな、「人」のいけるところじゃないんだよ」
 やっと判ってしまった。
本は口を抑えて身体を二つ折りにして廊下でぽろぽろと涙を零した。

海の向こうに待っている人がいる。
青い海の彼方、いつか人は誰もがそこを超えて、懐かしい、愛した人のもとへ辿りつくのだろう。
人は誰しもそれを知り、この世に生まれ、そして一人で死んでいくのだ。 そう何故なら死ぬ時は一人でもちゃんと両手を広げて待ってくれている人がいるから。
何時でも何処でも解っているよ一人で立って歩き出すのを、世界はちゃんと待っていてくれている。
 そしてそれを古来から日本人は彼岸と呼ぶのだ。 彼寄る岸辺と、友恵はそれを知っていたのだ。

「俺が――友恵ちゃんに――夢を――売った――」
「本さん、あんた・・・」
思い出してしまった。
本は崩れるように廊下の壁にしがみ付き、ううと声を上げて泣いた。
そうだ、俺が友恵ちゃんに夢を・・・、あの琥珀の夢を売ってしまったのだ。 取り上げたつもりで魅入られていた。 ドリームマスター失格だ。 あの夢は危険で美しくて破滅を内在させている。 この世界から排除しなければならないとあれだけ気をつけて皆扱っていたのに。
何故あの時一つだけ取りこぼしたろう。 何故それを友恵に拾わせてしまったのだろう。 そして何故彼女が選ばれたのだろう。 N.E.X.T.でもないのに。
代償になるN.E.X.T.も無く、彼女は夢の贄となった。 世界に消費される糧となってしまったのだ。
自ら了承したにしろ覚悟の上にしろ。 何故そんな思いを自分は押し付けられただろう。
 どれだけ、どれだけ生きたかったんだろう、どれだけ切望したんだろう。
あんなささやかな夢だけを頼りに、彼女はこの残酷な一生を当たり前のように享受してきたのだ。 俺はどんなに残酷な事をしたことか。
「友恵ちゃん、ごめんな――本当にごめん、俺、何も判らず酷いことをしてしまった。 もう取り返しがつかねぇ・・・・・・」
 すまない、虎坊、俺のせいだった。 俺が悪かった。 どうか、どうか許してくれ――。

 夢になって夜毎訪れる。 優しい思いだけが金色銀色夢となって、人々の中に訪れる。

 なんて優しい夢を紡いだのだろうか、彼女は。 自分のためでなく全て誰かの為に。 ただ、思いあれとその夢を買ったのだ。
琥珀細工のように美しい薄飴色のその奥に、彼女は自分の思いを化石のように石化させて封じ込め、ただみんなの幸せだけを祈ったのだ。
優しい夢が訪れるのを待つ。 友恵という名の優しい夢が、人々の悲しみをいつしか癒す。

 私は虎徹君を愛せて良かった。 楓を産めて良かった。 夢の続きを彼方の岸辺で見る事が出来る。

 本さん、ありがとう。

――――友恵ちゃん・・・。

 友恵にとってこの世界は琥珀を捕む夢だったのだ。
一瞬の間目を瞑り、記憶に留められない程小さく、温かく、そう彼女は未来を夢に託したのだ。
その夢は夢見る相手を切望していた。 余りにも綺麗で美しく残酷すぎる夢であるが故に。 皆がたどり着きたいと願い叶わなかったその未来、せめてもの断片だけでも手に入れようと彼女は夢を願った。
自分のためではなく、すべて虎徹の為に。 楓の為に自分の夢を全て注いで精一杯を生きて生きてそして逝くのだと。

ありがとう、幸せな夢でした。 生まれてきて良かった。 生きて生きて虎徹君に出会えて良かった。 ありがとう本さん、私の願いを最後まで叶えてくれて。
ありがとう。 本当にありがとう。



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