Novel | ナノ

琥珀を捕む夢(9)


 ピピピピピピ。
軽い電子音に友恵は目を覚ます。
「今何時・・・」
 横で虎徹が右腕だけを伸ばしてサイドテーブルを探っている。
そして時計を探り当てて目覚ましを止めた。 うう、と目頭を擦って虎徹は隣で上半身を起こし、自分の隣で同じように身体を起こしたまま硬直したように前を見つめている友恵を見つけてびっくりした。
「ちょ、どうしたんだ友恵?」
 虎徹に呼びかけられて友恵は今しがた目覚めたように瞬きをした。
「あ、れ。 虎徹君?」
「おいおい、寝ぼけてたのかよ?」
 虎徹が起き上がって友恵の顔を覗き込む。
なんだろう、疲れてたのかな? ぎょっとしちゃっただろ。 友恵ちゃんて夢遊病の気ってあったっけ?
「あの、でもなんで?」
「なんで?」
 虎徹が鸚鵡返しに聞いてきて友恵は虎徹に抱きついた。
「友恵?」
「ねえ、今日何日? 何年の何日?」
「えーと、1968年の4月10日」
「今日はまだ始ってないのね?」
「今日って4月10日が?」
「そう! 虎徹君今日出社だよね?!」
「いや、別に午後からにしてもいいけど・・・・・・」
「なんで?」
「え? だって俺今週始末書ないし」
「そうだったっけ?」
「そうだったっけって・・・・・・ なんだあ?」
 虎徹が友恵を困ったように抱きしめて、なんだ、変な夢でも見ちゃったのかと聞く。
友恵はぶるぶると頭を横に振って、夢だとは思えないんだけど、夢だったんだと思うと言った。
「本当に、現実にあったことなんだって思うぐらいリアルだったのよ」
「で、どんな夢だったの?」
 怖い夢? ホラー? 友恵は怖いの苦手だからなあ。 この前の海洋映画は俺は観たかったんだけどと言うと友恵が虎徹の胸に顔を埋めたまま「絶対観ない」と言った。
そのまま二人は無言でぎゅっと互いに互いを抱きしめあって、それから虎徹が「とう」といってそのまま横向きにベッドに倒れこんだ。
「じゃあ、今日は二人で二度寝しよう」
 くすくす笑いながら友恵が普段の調子を取り戻して「そうね」と答えた。



 それから数日特に何事もなく過ぎた。
余りにリアルな夢で――リアルすぎて友恵にはどうしてもそれが夢の出来事であったとは信じられなかったのだが、思い返してみても夢の出来事としか思えない。
そもそも意味が判らないものでもあったからだ。 だが、友恵はその日を境に気配を感じるようになっていた。
少女のではない。 少女に聴こえない声で訴えかけられていた最後に現れたあの映像のような質感の無い影を。 少女は気がかりだったが彼女の存在には嫌なものを感じてはいなかったので、その後も友恵は普通に彼女の姿をそれとなく探していた。 実の所何時も友恵が見かけている少女と、リアルな夢のようなところで出会った彼女が同一人物ではない可能性も考えていた。 夢の中で何かの投影が、常日頃気にしている日系少女の姿を借りて現れた、ようにも取れる。 夢の中の存在は全て何かの具現であり置き換えられた認識であって、その本質は全く違うものだと聞いたことがある。 誰に聞いたのかをすっかり忘れてしまっていたが、確かにフロイトやユングの夢判断だと実際見ている映像が、全く違う意味のものに置き換わっていることが多く、勿論それが正解だなんて友恵には知りようが無かったのだけれど――何故か真実だという気がした。
 そう、それが本当なのだと教えてくれた――誰かが――居て――選べと言って――――。

 近所のパン屋に買い物に行き、友恵はフランスパンと食パンを購入した。
それと一緒にミニクリームパンを4つ。 これは夜食でもいいし、朝食べてもいいだろうと思った。
ブロンズステージにある小さな商店街。 そこは赤い煉瓦が敷き詰められていてヨーロッパ調の洒落た小道になっていた。
ケーキ屋さん、洒落たミニバー、果物屋さん、ステーキハウスにビデオショップ、パン屋さん、それから虎徹と休日には良く通っているカフェ。
其処を歩いて家に帰ろうと、果物屋の前を通りかかってリンゴが入荷されたのを知ると店頭販売のそれを2つ購入した。 一つを手に持ちかりっと齧る。 季節外れのそれはハウス栽培なのだろうが見事に真っ赤で美味しそうだった。 ジョナサンと呼ばれるアメリカ原産のこぶりのそれは、日本では今は殆ど見かけなくなったものだという。 でも私はこのリンゴが一番好きだな。 そう友恵が思ったとき異常に気づいた。
 時間が静止している。 世界がモノローグになる。
いや、ゆっくりと動いてる。 極端に自分以外の周りの時間の進み方が遅くなったんだわと友恵は思った。 やはりあれは夢ではなく――――。
「コンニチハ」
 友恵はリンゴを取り落とした。
紅玉は元は煉瓦色だった白黒の小道を転がって行き、極ゆっくりと落下してくる白黒の若葉、春風に吹き散らされたそれが空中に散らばる下に佇んでいる白衣の男の足元に止まった。
世界と同じ白黒なのに、その男は友恵と同じ時間に居るのか屈んで赤いリンゴを拾うとそれを友恵に向かって差し出した。
 ジジッと男の姿が一瞬滲む映像のように歪む。
これはあの黒い影と同じものだと知って友恵はごくりと息を飲むが、それでも今度は逃げ出す事が出来なかった。
何故ならその男は友恵が良く知っている人そっくりだったから。 友恵と虎徹が良く知っている人だったから。
「村上、せんせ、い・・・・・・」
 にこりと微笑む優しい、それでもどこか感情を置き忘れたような遠い目をするその初老の医師を友恵は良く知っている。 もう10年ほど前に亡くなった虎徹の主治医だった村上和樹医師だ。 元は真っ黒だったろう白が混ざる灰色の髪。 落ち着いた明るい茶色の瞳。 友恵と同じ鳶色の瞳のそれが静かに友恵に注がれて、「やっとこれでお話できますね」と言った。
「ずっと探していました。 私はこの世界に夢の種を蒔きましたが、その内の多くはリアルに紛れ磨り潰され押し潰されて消滅する運命を辿った。 そして残りのものはこの世界に所属する多くのN.E.X.T.たちの手によってやはり秩序正しくあれと本流に戻されて還元されるに到りました。 それでも私は諦められなかったのです。 いつかこの夢を選び取る者が現れるという夢を」
 捨てる事が出来なかったのですと、村上医師の姿をしたその影は呟くように言った。
「私は夢を見たかった。 限りなく幸福で人々がそう幸福である未来を。 今とは違うもっと自分よりもマシな未来を夢見たいとずっと願ってきた。 そしてこの世界に唯一つ残ったのが今貴女が所持する夢なんです。 どうか返して貰いたい。 それは私の夢だ。 貴女の夢ではない」
 友恵は囁くように聞いた。
「貴方は、N.E.X.T.なんですか?」
「そうかも知れない」
 ジジっと姿がぶれる。 村上医師の姿をしたそれは、自分の手を見つめ今にも崩れそうな映像の自分自身に寂しそうに微笑んだ。
「余りにも長いこと旅をしていたので、そしてその旅には時が無かったので。 私は自分が何処へ行き、何処に還ればいいのすらもう憶えていないのです。 人であったのかN.E.X.T.であったのか、それとも、誰かの夢であったのかすら」
 ただ憶えている事は、ずっとずっとこれから遥か先に私は夢を見たのだと。 そしてその夢を叶える為にその旅を始めたのだという。
喜びも悲しみも、愛も憎しみも。 人の世にある全ての美しいものを醜いものを私は夢に見た。 遥か彼方未来には全て無くなっているそれを再び手に入れる為に。 私だけがその夢を見ることが出来た。 多分だからそれが私が生まれた理由なのでしょう。
「どうかその夢を返してください。 そこにあるものはとても美しい。 けれど美しいだけではない。 醜さも破滅もそれは夢見ているんです。 美しいだけではないんです・・・」
 でももし、貴女が全てを、本当に全てを愛しむことが出来るのなら。 その夢が私と同一のものであるのなら。
だから選びなさい。 私の代わりにその夢を見るのか、それとも私に返すのか。
 美しいだけではないこのリアルを、貴女は真実抱きしめる事が出来るのかと。



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