ミレーヌが暗殺されてから7年になる。ゼロスの絶望、陰、そして賢しい彼の笑顔を見続けてきたセバスチャンにとって、しいなは救いのひとつであった。と同時に、新たな火種となる可能性を持つ存在でもある。
 今現在、セバスチャンの知る限り、ゼロスが最も好意を持ち、また自然に接することの出来る相手がしいなである。性別を超えた友情と、危うい愛情の天秤。
 セバスチャンはゼロスに仕える執事である。あくまでも主に従おう。どちらの情に流されても。
 自らの白い息の向こうに赤い影を映し、セバスチャンは歩き出した。



 春。
 しいなは陸橋の手摺りに手をかけ、木々を彩る花を見つめていた。盛りも過ぎ、花びらが風に舞っている。わずかに汗ばむほどの陽気、ふう、と息を吐いた。
 つん、と髪を引っ張られる。
「!?」
 素早く後ずさったが遅かった。
「…ゼロス…」
 やられた。髪を結わえていた桃色のリボンはにやけた男の手中にある。花びらのように、ほどけた髪が風にもてあそばれていた。
 そして、頭の上に何かを乗せられる。また昔を思い出した。薔薇の花冠だった。
「よっ、久し振り」
「あんたね…、暇なのかい?」
 何度この男に呆れなければならないのか。しいなは盛大な溜息をつく。ゼロスは愉快そうに笑った。
「暇じゃねーよ。おまえに会いたかったから探してたんだっつうの」
「…バカ」
 昔とほぼ同じやり取り。からかっているだけで他意はないはずだ、としいなは考えることにした。
「…やっぱり、髪下ろしてても可愛いな」
 他意は、ないはずだ。
「……どうせ忙しいったって、遊んでたツケがまわったってだけじゃないのかい」
「そういや、俺に会いに来てくれたんだって?」
「は? 誰が!」
「おまえが。セバスチャンから聞いた」
「セバスチャンとはたまたま会っただけだよ! た・ま・た・ま!!」
「照れんなよ」
「照れてない!!」
 真っ赤な顔。ゼロスは手摺りに額と両腕をかけ、くつくつ笑っていた。
「ったく…」
「…サンキュー」
「え?」
 聞き返したが応えはない。代わりに質問を返された。
「このあと、暇?」
「暇じゃなきゃあんたに捕まらなかっただろうね」
 しいなの皮肉なんて通用するはずもなく、ゼロスはにやりと笑う。
「…7年振りにデートするか」
「え…」
「湖…覚えてるか?」
「…言われて思い出した」
 ゼロスが吹き出す。
「まったくおまえらしいな」
「…褒めてないでしょ」
「褒めてんだよ。行く? 行かない?」
「…行く」
 ゼロスはしいなの手を取った。
「よっしゃ、行くぞ」
「あ、ちょっと!」
 互いに、昔と変わらぬ関係のようだと錯覚した。それが錯覚と解っていながら。

「…ってかさ、リボン返してよ」
「また抱きしめられたいのか?」
 しいなは閉口した。確かに、昔、無理に取り返そうとして抱きしめられたことを思い出す。
 水面がきらきら光って美しい。ここは何ひとつ変わらなかった。
「…そういえば…、あのとき、結局リボン返してくれなかったよね」
「はあ? 返しただろうが」
「嘘。返してもらってないよ」
「記憶違いじゃねーの。俺、おまえにぶん殴られたの忘れてないぜ?」
「…あれはあんたが悪い」
「…んだよ。あんときは殊勝な顔して、綺麗な顔腫れちゃった殴ってごめん許してなんでも言うこと聞くからゼロス様〜って言ってたのに」「言ってない!!」
「いってえ! だから顔はやめろ顔は!!」
「うるさい!!」
 静かなはずの湖畔に響き渡る喧嘩の声。どこか楽しそうなそれは、やがて本当の笑い声になって辺りに響いた。



 つづく

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