「あたしという邪魔なマナを取っ払って、一時的な器になる。そこにマーテルを降ろす」
「無茶苦茶だろ」
「みっつめは」
 あくまで無視するしいなに、ゼロスは気分を害する。
「…ゼロスがいること」
「あ?」
 間の抜けた声のゼロスに、しいなが微かに笑う。
「神子は…もともとマーテルの器なんだろ? マナが近しい存在に牽かれる可能性は大いにあるよ」
 ユアンは口元に手を当てる。大まじめなしいなの顔を見、頷いた。
「やってみるがいい」
 期待、というよりは試されている。そんなことは百も承知だった。
「…じゃあ、ユアンはあたしの目の前に。ゼロス、あんたは離れてたほうがいいよ」
「なんでだよ」
「コレットほどではないとしても、あんたのマナはマーテルに近すぎる。下手するとあんたの中に入って、最悪同化しちゃうよ」
 げっ、と小さく音を上げたゼロスにしいなは苦笑いした。
「それに、あんた、マーテルになってユアンと見つめ合いたくないだろ?」
 茶化すような口調。嫌そうな顔でユアンを見ると、冷ややかな目で「安心しろ、こちらから願い下げだ」と吐き捨てられてしまった。
 そそくさと瓦礫のほうに退散するゼロスを確認してから、しいなとユアンは向き合った。
 しいなはひとつ頷いてから目を閉じ、一枚の札を出して印を結ぶ。
「…ユアン、強く、マーテルを呼ぶように祈ってもらえるかい?」
 ユアンも目を閉じた。
 瓦礫に背を預け、腕も脚も組みながら、ゼロスは見ていた。しいなの足元に光の陣が拡がる。同時に、華奢な身体から淡い光がたちのぼった。あれは、しいなのマナだ。
 命の危険を伴う秘術。ゼロスは眉をひそめる。いざとなったら、俺のマナを全部くれてやる――そう心に誓った。
 微かに異変を感じ、ユアンはまぶたを開いた。しいなの身体から完全にマナが抜け、代わりに別のマナに包まれていた。ユアンの唇がわなないた。よく知ったマナ。言葉を交わし、触れ合い、溶け合ったマナ。
 しいなの頭上で札が光を帯びる。とともに身体を包んでいた光が消えた。

「…ユアン」

 しいなは微笑んだ。だが、ゼロスは目を見張った。今の声は、しいなの声ではない。
 マーテルだ。
「会いたかったわ、ユアン…」
「…マーテル」
 姿こそはしいなだったが、それはマーテルであった。やわらかに微笑むその表情に、しいなの面影は感じられない。それをゼロスは内心複雑な心境で見ていた。
 秘術は、とりあえず成功したようだった。

 しいな――否、マーテルは自分の胸に手を当てる。
「身体を貸してくれたこの子に感謝しなきゃね」
 そんな彼女を、ユアンは愛おしそうに見つめる。
「あの子たち…ミトスを止めてくれた子たちにも、ありがとうと伝えて」
「…ああ」
 にっこりと笑う。次いで、ゼロスを見た。
「あなたも」
 突然見られて、ゼロスはまぶたをしばたたく。
「あなたも、わたしの器になるために生まれて来たのでしょう…。ごめんなさい。いくら詫びても詫びきれないわ」
 ゼロスはひらひらと手を振った。
「いやあ。…まあ、イロイロあったのは違いねえけど、悪いことばっかりでもなかった。結果オーライってな」
 ふふ、と微笑む。
「ありがとう」
 ゼロスの頬が少し赤らむ。面と向かって礼を言われると照れてしまう。頭を掻いた。
 マーテルはユアンに向き直る。
「あまり長くはこうしていられないわ。この子の身体が持たないもの」
 マーテルはユアンの胸に額を預けた。ユアンはその身体を抱きしめる。
「それでも、今ここにきみがいる。それを、私は幸せに思う。ずっと会いたかった」
「…ええ」
 抱きしめられた女も、愛する男の背中に腕を回した。
「私にはまだすべきことがある。デリス・カーラーンに渡ったクラトスも待たねばならない。同胞たちが幸せに生きる世界を作らぬまま、きみの元へは行けない」
「ええ、そうね」
「もう少し…もう少し、待っていてほしい。必ずきみの元に行く」
 マーテルはユアンの身体を押す。
「…バカね。そんなこと言わなくても、私はあなたを…」
 踵を上げるマーテルを見て、ゼロスは目を閉じる。しいなではないと解っていても、直視することは出来なかった。
「愛してるわ、ユアン」
「私もきみを愛してる、マーテル…」
 くちづけを交わし、微笑み合う。もう一度抱き合った。マーテルの、しいなの身体から光が溢れ出る。光の中、ユアンは確かにマーテルの笑顔を見た。
 目が眩むような光が辺りを包む。
 やがて光が消えると、しいなの頭上にあった札が一気に燃え尽きた。
「…あ……」
 少女の声が聞こえた。
「…ユアン……?」
 朦朧とした意識の中、しいなは自分がユアンに抱きしめられていることに気付く。すぐに覚醒した。
「あ、う、うまくいったみたいだね」
 しいなは頬を染めた。気がある無しに関わらず、男の腕に抱かれていることが恥ずかしい。


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