yellow streak.


駆け足で駆け込んだ教室には幸いまだ先生は来ていなかった。軽く胸を撫で下ろしながら私は席へと向かう。転校初日から遅刻なんてシャレにならない。

それにしても、と着席し周りを見渡して思う。ざわざわと騒がしい教室内ではどういう訳か私の名が飛び交っているようだった。初めは単に転校生だからかとも思ったが、どうにも好奇よりも畏怖の感情が強い瞳ばかりがこちらを向いている。しかも、それは皆私の視線と交わることなく逸らされてしまった。

「お前がヤンキーなんじゃないかって噂流れてるんだよ」

「は!?」

居心地の悪い空間で首を傾げていれば、隣から訝しげな視線と共に衝撃的なセリフが飛んでくる。何だそれ、身に覚えがなさ過ぎて笑えない。

「ちょっかい出したんだろ、……旭に」

「いや、え、あれは、」

確かに呼び出しはしましたけど。でもあれはサプライズであって、ただ言ってみたかっただけで。ちょっかいなどでは断じてない。断じて!

私の反応を伺う澤村さんの表情は読めない。けれど、その瞳には確かな拒絶の色が浮かんでいる。噂を信じているのかどうかは分からないけれど、大切なチームメイトが怪しげな転校生に危害を加えられるようなら容赦はしないようなそんな瞳だった。

「幼馴染みなんです、旭さんとは」

こういう友達が彼の側に居てくれることを、まるで母のように嬉しく思いながら私は口を開く。取り敢えず誤解は解いておかなければ。転校初日から孤立など御免だ。

「そうか」

たくさんの言い訳じみた言葉を頭の中で羅列し澤村さんの次の言葉を待っていれば、返ってきたのはただ一言。それだけだった。

信じてなんてもらえるはずないと構えていた私は何だか拍子抜けしてしまって、思わずえと短い声が漏れる。

「昨日のスパイク、あまりにも旭に似てたから、スガと名字は何者なのかって話してたんだ」

朗らかに笑う彼に先程のような鋭い威圧感は微塵も感じられない。纏う雰囲気も、表情もころころとよく変わる人だと思った。

私が口を開く直前、先生を職員室へと呼びに行っていたらしい学級委員長らしき人がこの時間の自習を告げる。ざわめきを増す教室で、聞き耳を立てていたらしい菅原さんが飛んできた。

「旭、バレーやっぱやりたいとか言ってなかったか!?」

これでもかと食い気味に聞いてくる菅原さんの瞳は期待に満ちていて、眩しすぎて思わず目を細める。

「旭さんとバレーの話まだ出来てないんで、何とも言えないです」

その言葉にみるみる萎んでいく菅原さんに申し訳なく思いながら、私は口を噤んだ。旭さんが今何を考えていて、何を思っていて、バレーから離れているのか理解しているつもりだったから。バレーが嫌いで、どうでもよくなってしまったのなら、あんなに辛そうな顔はしない。でもそれを私が口にしてしまうのは、些かずるい気がした。

「それに、私旭さんにバレーもう一回やってもらうために此処に来たんじゃないんで」

力なく笑う菅原さんが言葉を続ける前にそう言い放つ。揺れる瞳に、私の勘が間違ってなかったことを確信する。

戻って来いってお前からも言ってくれないか。

きっと、彼が続けて紡ぐ台詞は、こうだ。そう思って、先手を打った。

実際、私は口が裂けてもバレーをやれって言わないつもりでいる。今の私がそれを口にしたところで、無駄に彼を掻き乱すだけだから。私の言葉には説得力の欠片も宿らない。

「ポッと出の部外者より、チームメイトの言葉の方が響くものですよ」

ぐっ、と二人が言葉を飲み込んだのが分かった。突き放すみたいで申し訳ない気持ちは確かにあったけれど、私では力になれないし。

何より、旭さんを追い込んでしまったらと思うと間違ってもそんなことは言えない。私はあくまで弱音を吐ける場所でありたかった。

「マネージャーは、やらないの?」

絞り出すような声の主は澤村さんである。凍りついた場の空気を溶かす為に吐き出されたような、そんな言葉だった。

「私、3年ですけど」

マネージャー希望者として歓迎されたのは、未来ある新入生だからだと思っていたので澤村さんの問いは少し意外だった。

3年の4月。鳥野バレー部のマネージャーとして積み上げてきたものなど何一つない。それどころか、部員と顔を合わせたことすら昨日が初めてである。そのほとんどが夏に引退を迎える3年からの入部など絶望的だと思っていた。

だからこそ、新入生かと問われて否定も肯定もしなかったのだ。

「俺たちは弱い。経験も、指導力も何もかもが足りない。例え3年でもなんでも、経験者が入ってくれるっていうのは願ってもないことなんだよ」

澤村さんの言葉は真剣そのものだった。笑って誤魔化せる雰囲気などではない。ここで頷くには、私はたくさんの覚悟をしなければならなかった。

決して、選手としてはボールに触れられない。どうしようもないことだと頭では理解していても抑えきれるか不安だった。昨日思わず飛んでしまっているし。まだまだ未熟な彼らが成長していく過程で、刺激されることは多々あるだろう。それを全て飲み込んで、サポートに徹する。

とても単純なそれが、私にはどうしても出来そうもないのだ。もうブランクは約1年にもになるし、女バレに入れる実力も資格も今の私には皆無だけれど。

バレーをやるのが好きだから。安易には頷けなかった。

「今日、1年に部室案内する予定だからそれまでに考えといて」

余程酷い顔をしていたらしい。そう続けられた澤村さんの声は優しかった。マネージャーやりたいですって見学させてもらっといて、いざとなったら渋るなんて最低だと思うけれど、彼もその隣で微笑む菅原さんもそんなこと微塵も思っていないような、影のない笑みをくれる。

「ありがとうございます」

微かに、でも確実に傾きつつある意思を否定するように、左足がじくりと痛んだ。



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