ひなたに触れる


「名字名前です。東京の学校から来ましたが、中学まではこの辺に住んでました。よろしくお願いしまーす」

3年4組。ドアの上にプレートが掲げられた教室の黒板の前で、先生に促されるままそう口を開く。教室をぐるりと見渡せば、見知った瞳と目が合う。

「んじゃあ、名字は窓際の一番後ろな。教科書届くまで、隣の席の奴に見せてもらってくれ」

「はーい」

指定された席は、驚きからか目を見開き口をパクパクと開けている人物の隣だった。少し離れた前の方の席でも同じ表情をした人物がいて、それぞれに満面の笑みを向ける。

こうなることを予期していた訳ではなかったけど、こういう顔を見れるのなら自分のことを語らなくて正解だったと思う。

「そんなに口開けてると虫入りますよ。澤村センパイ」

席に座りわざとらしく語尾に力を入れてそう笑えば、少しばかり怒気を孕んだ瞳で睨まれる。あ、そういえばこの人怒るととんでもなく怖いって聞いたな。

「新入生じゃなかったのね」

にこにこという擬音がぴったりの笑みでそう言い放つ彼の瞳は微塵も笑ってない。見つめ続けていると魂を吸い取られそうで目を逸らした。

「誰も一年生だなんて言ってませんし」

私が拗ねたように呟くのと同時に、ホームルームの終了を告げるチャイムが鳴る。澤村さんが口を開く前に私は勢いよく立ち上がった。澤村さんも、こちらに向かって来ようとしていた菅原さんも面食らったように一瞬動きを止める。

「お話しはまた後で!」

その隙に、私は全力で教室を駆け出した。向かう先は隣の教室、3年3組。

窓際から二列目の一番後ろ。私の目当ての人物はそこに腰掛けて、ぼうっと黒板を眺めていた。

「ちょっと面貸せよ」

前から回り込むようにして机に両手を叩きつければ、状況を飲み込めていない瞳が揺れる。え、と微かに漏れた声を無視して、半ば無理矢理手首を掴む。そのまま屋上へと続く階段へその手を引いた。

屋上の鍵は施錠されていて、仕方なくドアに凭れかかるようにして腰を下ろす。

「座ったら?」

右隣をトントンと叩いて促せば、おずおずといった感じでゆっくりとぬくもりが降りてくる。微かに揺れた空気と共に、懐かしい匂いがふんわりと漂ってきた。

二年振りに見た彼は、私が知る彼よりもずっと大きくてそれでいてちょっぴり頼りなくて。未だに信じられないという顔で動揺しまくっている肩を思い切り叩いた。

「痛っ!?」

「いつまでそんな情けない顔してんの!」

「……来るなら言ってくれればよかったのに」

驚いた、と続いた言葉に、ドッキリ大成功ー!と返す。少しの間の後、呆れたような笑みと一緒に軽いデコピンが飛んできた。

仕返し、と笑う彼を見て何だか鼻の奥がツンと痛くなる。本当に久し振りに手を伸ばせば届く距離に旭さんが居るのだと思うと何故だかとても安心した。

「え、ごめん、痛かった?」

曇った視界でも彼が慌てているのが分かる。昔は私が泣くと彼もつられて泣いていたな、なんて考えながら、首を横に振った。

「会いたかった」

するりと口から出た言葉に、大きな肩が揺れる。東京にいた時、言ってしまったらきっと無理してでも来てくれるって分かっていたからこそ、言えなかった言葉。会っても泣かないという小さな決意は簡単に掬い上げられてしまって、頬を伝う雫は暫く止まりそうもなかった。

「……うん」

心地よい低音が響いて、ぎこちなく抱き寄せられる。薄手のセーター越しにも彼の心音が伝わってきて、ああ夢じゃないんだなってガラにもないことを思う。

「さっきの、東京行って、グレたのかと思った」

溢れ出る涙が収まった頃、旭さんが唐突に口を開く。何のことを言っているのか分からなくて、暫し思考を巡らせる。

「あー、面貸せよってやつ?」

見つかった答えをそのまま口にすれば、頷きが返ってきた。

「あれね、人生で一度言ってみたかったの」

ただ、言っても引かれないくらい仲の良い友人が彼しかいなかっただけで。大体、つい最近電話で近況を語り合ったばかりだし、この短期間でグレるほど荒れた生活は送っていない。

「でも、あの時自棄にならなかったのは、旭さんが居てくれたからだと思うよ」

約1年前の、大舞台。私が全てを失ったあの日、泣きじゃくりながら掛けた電話越しのこの声に、私は確かに救われた。

──だから、今度は私の番。

エースとしてコートに立てなくなってしまった背中を支えるために、電波に隠されてしまう強がりを見逃してしまわないために、私はここに戻ってきたのだ。

私は、旭さんみたいに電話越しでも涙を拭ってあげられる程器用じゃないから。

まあ、旭さんに本音を吐露させる前に情けなくも泣いてしまったのだけれど。

「今日、お昼一緒に食べれたりするの?」

一時間目開始のチャイムが鳴り、慌てて立ち上がる彼に問えば肯定の笑みが返ってくる。結局短い休み時間は私が泣いて終わってしまったし。話したいこと、聞きたいこと、積もる話がたくさんある。

行きとは逆に私が手を引かれて階段を下りながら、何を話そうかと考えを巡らせた。



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