The end of escape
ジャージを敷いた上に腰を降ろし、お気に入りの曲が8回程リピートされた頃、目の前に白い軽トラックが停まった。側面に坂ノ下商店と店名の書かれたそれはよく見慣れたものだ。
「悪い!待たせた!」
「大丈夫、急に呼び出してごめんね」
凭れ掛かっていた石壁に手を付いて立ち上がる。ジャージに付着した砂を叩き落としていれば、繋ちゃんに荷台から取り出した松葉杖を差し出された。
「え、うち寄ってきてくれたの?」
「電話してくるくらいだから、相当やべーんだろうなって思ってな。助っ席乗れるか?」
この松葉杖には、名字整形外科貸出用と印字がしてある。両親がやっている町医者のものだ。それを受け取れば、肩に掛けてあったスクールバッグを掬い取られる。開けられた助手席に杖を支えにして乗り込んだ。
迎えに来てくれた繋ちゃん──烏養繋心とは、幼い頃から町内会の関係で家族ぐるみで仲良くしている。彼に会うのは宮城に帰ってきた日以来だが、ちょくちょく連絡を取り合っているからかあまり久し振りという感じはしなかった。
「そういや、こっちに来る前にバレー部の連中が店に来たぞ」
煙草に火をつけ、深く煙を吐いてから繋ちゃんが口を開く。私がバレー部のマネージャーになったことは報告しているから、話題に出したのだと思う。そして、恐らく私がこうなった訳も何となく察している。
「宮城(こっち)に帰ってきて早々、あんまお袋さんに心配かけんじゃねえぞ」
「なんかさあ、こんなに我慢の出来ない人間だったんだなあって、情けないよね」
真っ直ぐと前を見据えながら、紫煙を燻らせる繋ちゃんはどこかバツの悪そうな顔をしていた。
「お前が刺激されるくらいの奴らなのか」
「うん、見ててすごい面白いよ。
指導者がいないのがもったいないくらい」
私の言葉にぐっと息を詰まらせる彼に、先程の表情に何となく合点がいく。武田先生の言っていた"アテ"が繋ちゃんなのだろうなと。
そして彼が首を横に振り続けるのは、私が大地の申し出を断ったのと多分同じ理由だ。繋ちゃんもまだまだプレイヤーとしてボールを追う一人だから。
どちらともなく口を開きかけたところで、私の携帯が着信を知らせる。表示されている名前は及川徹だ。そういえば連絡先交換させられたなと考えながら運転席へ視線を投げる。一瞥と共に顎を上げた繋ちゃんのそれを、了承だと受け取って通話ボタンを押す。
「もしもし?」
『あ、名前ちゃん?急に電話してごめんね!足の具合どうかなって思ってさ』
及川のサーブを受けた結果がこれだから、責任を感じているのかもしれない。完全に自業自得なのにな、と少しだけ申し訳ない気持ちになった。
「大丈夫だよ。すぐ治ると思うから」
『そっか、よかったー!』
心配掛けてごめんね、と続ければ存外優しい声色が返ってくる。それから二、三言、言葉を交わしたところで、彼の声が真剣味を帯びたものに変わった。
『次は、勝つからね』
及川の一言にどくんと心臓が跳ねる。"次"という言葉が深く突き刺さったような心地だ。あの日から、またの機会があるということを忘れていた。
「うん、次も負けない」
きっと、怪我をした時、もうバレーは出来ないと言われた時、一番に諦めていたのは私だ。
もうあの頃のように動けないことを突きつけられるのが嫌で、コートの中でひたすらにボールを追い掛けていた頃の記憶が眩しすぎて、歩けるようになっても、走れるようになっても、頑なにバレーを避けてきたのだと思う。
殻に閉じ篭っていた私の手を引いてくれたのは、烏野のみんなであり、及川である。純粋に、貪欲に、バレーに打ち込む彼らに感化されてコートに立った。
「及川、ありがとう」
彼は『うん、またね』と柔らかく笑む。この足の感覚が戻ったら、またコートに立てるだろうか。いつか一試合通して戦い抜くことが出来るだろうか。
瞼を閉じても、思い浮かぶのは昔のことばかり。明日に、未来にコートに立つ自分を思い描ける日が来るように、ただひたすらに前を向いて進んでいこうと、強く、強く思った。