好きなひとの好きなひと2

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今日も帰りが生徒会の仕事で遅くなってしまった。
(紫苑は無事に帰れたかしら……)
お昼にイヌカシの話を聞いてから、先に帰宅しているはずの紫苑のことが気がかりであった。紫苑はどこかボーッとしているから不安だ。
(でも紫苑の登下校中はイヌカシの犬がボディガードしているし、大丈夫よね……)
以前、柄の悪い輩たちに目をつけられた紫苑は、それ以来イヌカシの犬にボディガードをしてもらっていた。イヌカシが心配して犬をつけたらしいということは知っている。
あの子は口は悪いけれど、根は素直でとてもいい子だと思う。
思わず口元に笑みを浮かべた時、声をかけられた。
「ねえ君、なにか落としましたよ」
「えっ?」
振り返ると若い男性が何かを拾う仕草をしていた。
「これ君のじゃない?」
男性が手の中のものを見つめ、首をかしげる。そして私に、手の中のものを渡そうとする。
「ありがとう、私何か落としたかしら」
私が落し物を受け取ろうとした瞬間、男性はものすごい力で私の腕を掴んだ。
「なに……っ」
男の手の中には何も無かった。
私は落し物なんてしていなかったのだ。彼は演技をして、嘘をついて、私を油断させたのだと気づいた。
「お前、クロノスクラスのエリートだろう。こりゃあいい、上玉だ。制服も高く売れる」
薄ら笑いを浮かべながら、男は私をいとも簡単に拘束した。
昼間のイヌカシの言葉がよぎる。こいつが制服をマニアに売るという、業者なのだ。
「やめて、離して!」
「でかい声出すんじゃねえよ! おい、車回せ!」
ハンカチのような布で口を塞がれた。暗い路地から数人、男の仲間らしき連中が姿を現した。
道路の脇には怪しげなワゴンが止まっている。
まずい。
車の中に、連れ込まれたら、終わりよ。

誰か、紫苑。助けて、紫苑。

心の中で紫苑の名を何度も叫んだ。
そんな都合よく―――……奇跡なんて起こる訳がないのに。


「うわっ! なんだお前!!!!」
ふいに近くから何かがぶつかる鈍い音。
悲痛な叫び声。
(なんなの、この音は?)
目線だけを動かす。

ああ、これは人が人を殴る音なのだと理解した。

私は背中を強く押され、地面に両手をついた。
「きゃ……」
「走れ!」
強い声を確認する間もなく、腕を引っ張られる。慌てて私も走り出す。
一瞬だけ、チラリと後ろを振り返る。
私を連れ去ろうとした数人の男たちが、うめき声をあげながら地面に伏していた。しかし、何かを叫びながらこちらへ追ってこようとしている。
今度こそ私は前だけを見て、全力疾走する。
目の前で私の手を引く男の姿には見覚えがあった。彼は私服だが、見間違える訳がない。
「ネズミ」
「おしゃべりは後だ」
ネズミは前を向いたまま、短く強く言い放った。
私も返事はせずに無言で、ただただ走る。彼の速さに着いて行くことで精一杯だった。



「あんたは利口だな」
人通りの多い路地へと出て、ようやく目の前の彼は止まった。私は息を整えることに必死だった。
ネズミは慣れているのか、あまり息を乱していない。男の人だから、私とは身体のつくりが根本的に違うせいだろうか。
「どういう……意味……?」
「ちゃんと黙って着いてきた。紫苑だったらこうはいかない。うるさいと言っても矢継ぎ早に質問をぶつけてくる」
呆れたように顔を歪ませてネズミは言ったが、その声音はなんだか嬉しそうだった。
「惚気? 嫌味な人ね」
私の呼吸もようやく落ち着いてきた。
「怪我は?」
「ちょっと手を擦りむいたくらいよ。どうってことないわ」
「これはこれは……レディに怪我をさせてしまうとは」
ネズミは大げさなリアクションで私の手を取り、擦りむいた箇所を見る。
「助けてくれてありがとう」
「たまたま通りがかっただけさ」
「でも、あなたに助けてもらわなかったら……って考えるだけでもぞっとするわ」
純粋な感謝の気持ちだった。
ネズミは口元に笑みを浮かべて、私の手をそっと放した。
「あんたも嫌いなやつに借りを作ったようで、気分悪いだろう」
ネズミが珍しく自重気味に笑った。
「……あなた今日変ね。紫苑と喧嘩でもしたの」
「あっちが一方的に怒ってるだけさ」
ネズミはばつが悪そうに視線を泳がせた。ネズミにこんな表情をさせることができるのは、おそらくこの世で紫苑ただ一人だろう。
「紫苑も喧嘩するのね」
喧嘩の原因は今日のネズミの制服の件だろうか。
私の知らない紫苑を見せつけられたようで、少しだけイライラする。これは嫉妬だ。
「……ここからはずっと駅まで人通りが多い。帰れるか?」
「もちろん」
ネズミは少しだけ笑って、私に背を向けた。彼と私の家は正反対のはずだ。
「……ネズミ! 私、あなたのこと嫌いじゃないわよ! ……むかつくけれど!」
私の声にネズミは驚いた顔を見せ、次いでぷっと噴き出した。
―――紫苑を悲しませたりしたら……承知しないわ。

あなたは紫苑に選ばれて、隣に立っているのだもの。


でも私の嫉妬と、あなた自身の好感度については全くの別問題なのよ。



******

翌日なんの因果か、ふと見上げた図書室の窓辺で、ネズミが紫苑にキスをした瞬間を目撃してしまった。ご丁寧にカーテンで隠して触れるだけのキスだったようだが、私がいる裏庭からは丸見えであった。
「……あんな人目につくところで……」
ふつふつと怒りが湧いてくる。
(何よ、付き合ってるわけ? あの二人は! とっくに友達の境界線越えてるじゃない!)
睨みつけてやったが、紫苑が幸せそうに笑ったのを見てなんとも複雑な気持ちになった。
あの様子を見ると、どうやら仲直りしたようだ。
なんだかみじめな気持ちになって、うつむき加減で焼却炉へと向かう。
生徒会で出た不要な資料を捨てる為とはいえ、裏庭なんて通らなければ良かった。こんなみじめな気持ちになるくらいなら。

「なあ、どうするこれ」
「いいじゃん、捨てようぜ」
「昨日、イヴのやつ見たかよ? 平然としやがって」
「俺たちのこと、どうせ格下だって裏で笑ってるんだろ」
ゴミ捨て場へ近づくに連れ、男子生徒数人の話声が聞こえてくる。おそらく上級生だろう。
校舎の陰からそっと様子を伺ってみると、3人の男子生徒が焼却炉の前で所在なげに佇んでいた。
彼らの手には男子用制服が、乱暴に握られていた。
色からしてあれは普通科の制服。
(あの人たち……確か演劇部じゃなかったかしら)
記憶力には自信がある。
去年の文化祭、紫苑に連れられてネズミが所属する演劇部の公演を見たのだから間違いない。
今の会話から察するに、あの制服は……おそらくネズミのものだ。では彼の制服を隠した卑怯な男たちはこの人たちなのだ。
「なあ、誰かが来る前にこの制服処分しようぜ」
「ライター持ってる?」
「なんで俺に聞くんだよ」
「おまえいつも煙草吸ってるだろ」
「まあ……持っているけどさ」
男子生徒の一人がポケットからライターを取り出した。
(未成年の喫煙は禁止よ! 仮にもあなたたち、演劇部でしょう! そんなことしているから、ネズミに主役取られちゃうんだわ!)

「ねえ、あなたたち。その制服、持ち主に返してくれない?」
気が付けば私は隠れることを止めて、男子生徒たちの前に躍り出ていた。
「なんだ……お前」
「確かこいつ生徒会だぜ」
男子生徒たちがわずかに身じろぎする。突然の乱入者に動揺しているのが見て取れる。
「聞こえました? その制服、本人に返してくれませんか」
今度は敬語で丁寧にはっきりと言った。
「な、なにが? この制服俺のだし? 俺の持ち物なんだから、捨てようが何しようが勝手だろ」
しらを切るつもりらしい。
「嘘。それはネズミの制服でしょう」
「! お前、聞いていたのか」
3人の上級生に一斉に睨まれ、少しだけ身が竦む。
「……っその制服返してください」
「返してくださぁい……だってよ?」
馬鹿にしたような猫なで声を出して、中央の男子生徒が笑う。次いで両隣の男子生徒たちも笑う。
「……返してくれないなら、力ずくで返してもらいます」
私は相手に気圧されないように睨んで、構える。好きな男の子に「格闘技の方が向いてる」なんて言わしめたのは伊達じゃない。

相手が誰であろうと、女の子だって引けない戦いがあるんだからね。
それに私、ライバルに借りを作ったままなんて嫌だから!


******

「なあ、あれやばくない!?」
「どうしたの?」
「今さ、裏庭で男子生徒3人と女の子が取っ組み合いの喧嘩してる!」

そんな声が瞬く間に校内に広まっているとは、私は知らなかった。
とにかく私は手の中のものを守るようにして走ることで精いっぱいだった。
絶対離すもんか。絶対、絶対、これだけは。
髪を引っ張られようと、顔を叩かれようと、これだけは離さなかった。
「おい、待てコラァ!」
先ほどの男子生徒たちの、がなり声が響く。
(そんなに騒いでいたら、形勢が不利になるのはあなたたちの方よ)
(それにしても、なんだか昨日から全速力で走ってばかりいる気がする)
どこか他人事のように考えて、思わず笑う。
(とにかく校舎の中に入れば……!)

角を曲がろうとした時、飛び出してきた人物とぶつかりそうになる。ぶつからなかったのは飛び出してきた相手が反応良く、身を反らしたおかげだ。
「沙布!?」
「ネズミ!」
飛び出してきた相手はネズミだった。珍しくどこか慌てた様子だ。
「あんた、何? 裏庭で男子生徒と取っ組み合いの喧嘩したって?」
私はネズミの声を遮るように、右手の拳を突き出した。今まで大事に守っていたものを彼に押し付けるように渡す。
「これ……あんたまさか」
「ほかの制服は駄目だった。でもネクタイだけは取り返してきたわ」
ネズミの瞳が驚愕に揺れる。こんな表情、初めて見た。
あの3人に立ち向かった時、何が何でもネクタイだけは取り返そうと決めていた。
「……そのネクタイ、紫苑のものでしょう」
「えっ」
「それで、あなたのネクタイは今紫苑が身に着けている」
「あんた知っていたのか」
「私の恋心、甘く見ないでよね」
普通クラスとクロノスクラスでは、制服の色が違う。ただひとつ、同じ色なのはネクタイ。
ネズミがネクタイを裏返して、裏地を見やる。そこには小さく『sion』と薄紫色の糸で刺繍されていた。
彼は愛おし気にその文字を美しい指先でなぞった。
「あなた、そのネクタイ大事にしていたんでしょう。紫苑もネクタイを大事そうにしていたわ」
「……ありがとう、沙布。……でもあんた1人で男3人に立ち向かうなんて、信じられない」
「これくらい、どうってことないわよ」
そこへ慌ただし気にばたばたと走る音がやって来る。
「沙布!!!!」
現れたのは紫苑だ。紫苑もどうやら私の噂を聞きつけ、やってきた様子だ。
「沙布……きみ、その顔……!」
紫苑は私の姿を見て、顔面蒼白だった。
きっと私は今、酷い身なりをしているのだろう。引っ張れた髪は乱れてばさばさだろうし、先ほど叩かれた左頬は赤くなっているかもしれない。
そして、運悪くか良くか先ほどの男子生徒3人にちょうど見つかってしまった。

「いたぞ! さっきの生徒会の女!!!!」
「おい、イヴもいるぞ……」
激昂している者もいれば、ネズミの姿を見て後ずさる者、とにかく乱れた息を整えている者が三者三様の反応を示した。
激昂した男がこちらに一歩踏み出した時、私の横を素早く通る白い影が見えた。
「え?」

バキッ!!!!

「ぐあ!」
昨日も似た音を聞いた。これは人が人を殴る音。そして殴られた男が悲鳴をあげた。
脳の処理が追いつかない。

「沙布の顔を殴った奴は誰だ!!!!!!」
初めて聞く、紫苑の激昂した声。
紫苑が人を殴ったのだ。倒れた男に馬乗りになり襟首を掴みあげ、荒々しく揺さぶっている。
「よくも手を上げたな、恥を知れ、恥を!」
私はあまりの出来事にぽかんとしてしまった。しかし、ハッとして隣に立つ男に懇願する。
「ネズミ、紫苑を止めて! お願い!」
「どうして?殴られて当然の奴らだ」
「紫苑の手が傷ついてしまうわ!」
「あーそういうこと……はいはい」

「止めて」とお願いしたのに、結局はネズミも参戦して大乱闘になってしまった。


おかげで向こうに非があるとはいえ、あまりの騒ぎに先生たちが私たち3人に反省文を書くよう言われてしまった。
でも私は嬉しかった。紫苑が私のためにあんなに怒ってくれたことが、とても嬉しかった。


「紫苑と殴り合いの喧嘩するの?」
私がこっそりネズミに尋ねると、
「……たまにな」
とペン回しをしながら彼は答えた。



その日以来『沙布に手を出したり、彼女を怒らせると、イヴと紫苑に報復を受ける。イヴと紫苑はまさに沙布を守る騎士』という噂がまことしやかに学園内を駆け巡った。




END



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