グロリアス・デイズ(前編)1


ある日突然、とても可愛くて綺麗な家族が増えました。




朝から紫苑は、ばたばたと慌ただしく階段を駆け下りてきた。
まだ淡いピンク色のパジャマのままで、髪の毛もふわふわと寝癖がついていた。
「ね、ネズミ……! どうして起こしてくれなかったの!?」
ネズミと呼ばれた小さな少年は、呑気に朝食のトーストを齧っている。
まるで少女のように可憐な顔つきをしていた。
「起こしたさ、三回も。起きなかった紫苑が悪い」
ずずっとココアをすする。


「だって、一緒のベッドに寝ているんだからさ……!」
そこで洗面所から水音が響いてくる。ぱしゃぱしゃと、紫苑は洗顔中らしい。
「それなんだけどさ、紫苑。いい加減、ベッド……っていうか、部屋は分けるべきだと思う」
「え? どうして?」
紫苑が顔を拭いながら、キッチンにやって来る。
「わっ! ぼくの分の朝食も、ネズミが用意してくれたの? ありがとう!」
紫苑より早く起きたネズミは、自分の分と紫苑の分の目玉焼き、トースト、ココアを用意してくれたらしい。
ネズミはまだ小学生にも関わらず、とてもしっかりした子だった。

「どういたしまして……じゃなくてさ」
「ん?」
「普通、小学生と高校生とは言え、同じベッドで寝ないよ」
「そうなの? ネズミ、目玉焼き美味しいよ」
「ありがとう……だから、仮にも男女なんだから部屋は分けるべきだ。空いてる部屋あるんだし」
「またその話? 母さんが、ネズミとぼくの部屋を分けるのはネズミが中学生になってから、ってこの前話がついたじゃないか」


朝、母である火藍の姿はない。
パン屋を営んでいる母の朝は早かった。仕込みとかで、朝六時にはもう店でパン作りに勤しんでいる。
なので、朝食はいつもネズミと紫苑の二人っきりで取る。



紫苑は有名な進学校に通う(そうは見えないほどの天然だが)、女子高生だった。
彼女は全くと言っていい程、男女の色恋だとか性についてだとか、疎かった。
知識としてはあるかもしれないが、持ち前の頭脳の良さがこの方面に全く生かされていない。
おかげであまりに自身の危機管理能力が低かった。

そのくせ、身体だけは豊かな発育をしてしまったようで、同年代の子と比較して栄養が全て胸に行ってしまったらしい。
腰は細く括れており、顔はよく見ると整った顔立ちをしている。珍しい白銀の頭髪と、身体をぐるりと囲む紅い蛇の痣が妖艶さを醸し出していた。
妖艶な肉体とは反対に、少々あどけなさを残す顔つきが、より彼女の魅力を引き立てていた。
ゆったりとしたパジャマを着ていても、胸の膨らみは隠せない。



「あっもうこんな時間! 着替えなきゃ!」
紫苑はせっかくネズミが作ってくれた朝食を残すまいと、胃袋に流し込んだ。ネズミは呆れ顔でダイニングキッチンに立ち、洗い物をしている。
「そんな食べ方、身体に悪い……」
そこでネズミは不自然に言葉を止めた。顔からぼっと音がするように、瞬時に真っ赤になった。
「し、紫苑! そこで着替えるな!」
紫苑はネズミがいる目の前で着替え始めた。
しかも苦しいからと言って、紫苑は寝ている間はブラジャーをしていない。
あらわになってしまった乳房と、ささやかなフリルが付いた白のパンツを見ないように、ネズミは視線を逸らした。
「だって、早くしないと……」
「だからあんたは、もっと危機感を持てって!」
「そうだ、ネズミ。今日は一緒にお風呂入ろうね」
「言ってるそばから! 駄目だ!」
「けち」
言い合いながら、紫苑は少しプリーツスカートが長めなセーラー服に身を包んだ。足の痣が見えてしまうことを疎い、80デニールの黒タイツを着用している。


一緒に並んで歯を磨いた後は、一緒に家を出て、それぞれの学校へ向かう。紫苑は高校まで電車通学で、ネズミは小学校まで徒歩だ。
ネズミはもっと遅くてもいいのだが、のんびりとした紫苑を心配して一緒に家を出る。そうして紫苑を駅まで見送って、小学校に向かうのだ。

並んで歩くと、紫苑の方が10cmほど背が高い。それをからかうと、ネズミは唇を尖らせて「あと四年もしたら追い越すさ」と言う。



本当にネズミは感情豊かになったと思う。
一年前、紫苑の家にやって来た頃、ネズミは小さな狼のようだった。



出逢いは紫苑が十六歳、ネズミが十一歳の時だった。
母の知り合いだった老という人の頼みで、雨の中小さなネズミがやって来た。
「知人の息子なんだ……迷惑を承知で頼みたい……この子を預かってくれ」
と、車椅子に座る老は言った。彼の両足はふくらはぎより下を切断しており、余ったズボンの布がぶらりと下がっていた。
詳しいやり取りの経緯を、紫苑は知らない。
火藍と老が深刻そうに話していた。


ネズミという男の子は、睨むように紫苑を見上げていた。老が言うには十一歳だと言う。その割には身体が小さく、細かった。
幼いが、整った鼻梁と透き通るような美しい肌、流れる黒髪が印象的な子だった。
「女」と言われたら、確実に信じてしまうほど中性的な美童だった。

彼の片目には眼帯がされており、袖から覗く細い腕には包帯が巻かれていた。
交通事故で負ってしまった傷だと言う。その事故で両親、そして母のお腹の中にいた妹を亡くした。
彼の幼い身体に残ってしまった疵痕もひどかったが、家族を一気に亡くしてしまった心の傷は計り知れない。

警戒しているネズミと目線を合わせるために、紫苑は膝を折って屈む。
「初めまして、ネズミ」
「……あんた、だれ」
「ぼくは紫苑」
紫苑はにっこり微笑んだ。
「……しおん。花の名前か」
「そう。知ってる?」
ネズミはこくりと頷いた。喋り方が少々ぎこちない。
「ネズミ、おいで。包帯取り替えよう」
「…………」
ネズミはその場から動かず、棒立ちだった。じっとこちらの様子を伺っている。
「嫌?」
「…………」
彼は幼い瞳で、紫苑が信じるに値する人間かどうか見定めているのだろうか。
「触られるの嫌?」
紫苑はそっと右手を差し出した。
「なに?」
「握手だよ。よろしくね、っていう挨拶」
ネズミはおそるおそる右手を上げる。怪我が痛むのだろうか、うまく腕が上がらない。
紫苑はかすかに上がった小さな手を、そっと握りこんだ。びくり、ネズミは動揺したように肩を震わせた。
「恐くないよ、大丈夫」
「…………あったかい」
ほっとしたように、ネズミの愛らしい唇が動いた。


ふいに愛しさが込み上げ、小さな身体を抱きしめた。
「……ちょっと」
「あっごめん、痛かった!? ごめんね」
慌てて体を離す。ネズミは少しだけ頬を染めて、目線を逸らした。
「いや……違くて……当たる」
「? なにが?」
首を傾げると、ネズミは唇を尖らせて何やら怒っている。
「あんた絶対天然だ……」
そう言って、あどけない可愛らしい笑顔を自分に見せてくれた。



あれから一年。ネズミは紫苑と火藍の家に馴染んで、暮らしていた。
ネズミの唯一の不服は「紫苑と同じ部屋な上、ベッドまで一緒」ということらしい。
紫苑自身はネズミと一緒に寝たいし、一緒にお風呂も入りたいのだが彼はどうやら違うらしい。
難しい年頃だ。


そんな何気ない毎日を送っていたある日、事件が起こった。




「ネズミ、ぼくは平気だから」
『……駄目だ。迎えに行く』
「何言っているんだ。そっちの方が危ない」

その日は、学祭の準備で帰りが遅くなってしまった。学校側が提示した下校時刻を守っていたら、帰りはもっと早いはずだったが紫苑のクラスは準備が遅れていた。
先生たちには内緒で作業をして、ようやく帰宅する頃には夜八時を回ってしまっていた。
あたりは真っ暗で、心もとなさ気な街灯が不気味に道を照らしていた。

帰りが遅くなることをネズミには伝えてあった。
母の火藍は旅行に出かけていて、自宅にはネズミが一人ぼっちで紫苑の帰りを待っていた。
しかし、とっぷりと闇に包まれた外を見て、ネズミは「危ないから紫苑を迎えに行く」と言う。
それこそ危ない。紫苑は頑なに断ったが、ネズミも譲る気は無い。
ようやくお互いが譲歩した結果が、家に着くまで通話をしている、ということだった。


「ネズミこそ、一人で大丈夫なのか? 戸締りはちゃんとした?」
『したに決まってるだろう。紫苑じゃないんだから』
さすがネズミ、年不相応にしっかりしている。
「それならいいんだけれど……ネズミは大げさだよ」
『大げさじゃない。あんたはボーっとしてるから、危なっかしいんだ』
「そんなことないよ」
不気味な昏い路地も、ネズミと通話していると安心した。口では何と言っても、真っ暗な夜道に少し尻込みしていたのだ。



通話に気を取られていたが、後ろから足音がした。
「……えっ」
振り返る間もなく、何者かに後ろから勢いよく抱きつかれた。あまりの勢いに、携帯電話が手のひらから弾かれてしまった。
携帯電話は乾いた音を立てて、アスファルトを滑った。
「な、何! 誰!?」
身をよじろうとするが、強く抱きつかれて身動きが取れない。必死に首を後ろに回す。
背が高い。力が強い。男性だ。暗くてよく見えない。
抵抗しているうちに、男の手が紫苑の胸を鷲掴みにした。それはもう痛いほど、大きな両手で掴んだきた。
「は、離して!」
紫苑は持っていた学生鞄を振り回して、背後の人物に攻撃を加える。
――変質者だ。
焦ってしまって、うまく抵抗できない。


紫苑を羽交い絞めにしている男の手を振りほどけない。
男の手は意思を持って、掴んだ紫苑の乳房を揉みあげた。
「……大きいね」
耳元で囁かれた太い声に、ぞっとする。
「やめろ! 離せっ! 離して! 誰か!」
叫ぶと、男は紫苑を思い切り突き飛ばした。紫苑はアスファルトに叩きつけられる。
痛みと衝撃が紫苑を襲うが、それどころではない。逃げなくては。

しかし、逃げる間もなく男に足首を掴まれる。図体の大きい男が、紫苑に伸し掛ってくる。
「騒いでんじゃねえぞ、ガキ」
声を押し殺した、低く嗄れた声に紫苑は怯えた。
「……次声を上げたら……分かるな?」
月夜に反射して、鈍く銀色に光るものが紫苑の首に当てられる。ひやりと冷たいその金属。
ナイフだ。

恐怖で身体が勝手に震える。
「……そうだ、静かにしてろよ。痛いことはしないから、な?」
はあ、はあ、と男の息遣いが荒い。
男の手が紫苑のスカートの中に侵入してくる。


いやだ。いやだ。いやだ。いやだ。いやだ。いやだ。
怖い。帰りたい。助けて。
――ネズミ。

叫びだしたいのを、紫苑は必死に奥歯を噛み締めて耐えた。その代わり、大粒の涙が両目から溢れては落ちた。




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