言葉が出なかった。ミエスは、何も言わずに黙っている。二人の間に、沈黙が続いた。
「彼女は隠された王女だからね、仕方ないよ」
 ふいに、ミエスが口を開く。
 エルヴィンは、ミエスを見た。ミエスは薄く笑っている。
「まあでも、今日はここまでというところかな」
 ミエスが立ち上がる。何が面白いのかわからないが、彼は愉快気だった。
「じゃあね、兄さん。近いうちにまた会おう」
 そう言い残し、ミエスは去って行く。エルヴィンは彼を追う気にならず、呆然と座り込んでいた。
 クリスが、王女だということ。なんとなく、彼女は裕福な家の出の者だと思っていた。しかし、実際はそれ以上だった。
 この国の最高と言えるほどの身分の持ち主だ。王の落胤、つまり庶子であり王位継承権はない。それでも、彼女はエルヴィンにとって高嶺の花の存在であった。
 今は、本当の住まいであるこの王宮にいるという。ここが彼女の家なのだ。たとえミエスが連れ去ったのだとしても、彼女の帰る場所はここなのだ。
 もしかしたら、王宮内を探せばクリスは見つかるだろう。しかし、会ってどうしたいのか。それがわからず、エルヴィンはどうしようもなく戸惑っていた。
 空を見る。青空が広がっているが、どこか寂し気だ。
 この後どうしようか決めようと、エルヴィンはそっと目を閉じた。

 一人しかいない広い部屋で、少女――クリスはため息をつく。部屋の外からは、賑やかな音が聞こえてきた。
 本来なら、自分もあの場所へ行くべきだろう。しかし、彼の姿を見てしまうと、どうしてもその場にいられなかった。
 逃げたつもりだった。自分を取り巻く環境から、離れるつもりだった。
 本当なら、ミエスに見つかった時点であそこから離れるべきだったのだろう。だが、できなかった。彼と離れたくないと、思ってしまった。
 この感情は、持っていてはいけないものだ。自分は、彼とは遠い世界の人間だ。王族だからではない。王族となる以前の過去が、彼女を苛んでいる。それを彼が知ってしまったら、恐らく彼は自分を軽蔑するだろう。
 知られたくなかった。彼に、これまでの過去を。しかし、ミエスは恐らく彼に自分のことを言うだろう。ミエスは、そういう男だ。
 だからこそ、クリスはミエスに連れられて一緒にここへ戻ってきた。ここなら、自分の身は安全だからだ。
 それでも。クリスは思ってしまう。彼がここに来た理由が、自分を探しに来たというもうのであったのなら。それは、嬉しいものだった。
 これから、自分はどうするべきか。悩み、ため息をつく。答えは、出ない。
 ふと、自分の部屋の扉をノックする音が聞こえた。声をかけて、中に入ることを促す。
 間を置かずに入ってきたのは、ミエスだった。彼と同じ顔をしたミエスは、正直心臓に悪い。なるべく今の心境を悟られないよう、クリスはミエスを見た。
 ミエスは、何を考えているのかわからない顔をしている。何かを尋ねたいと思ったが、墓穴を掘るような気がして、何も言えない。簡単なことでも聞こうかとも思ったが、結局何も言えなかった。
「行かないの?」
 ミエスが、突然言う。しかし、クリスはその問いに答えることができなかった。
 じっと、顔を覗き込まれる。彼と同じ顔、だがどこか違う。それは、どちらとも共に過ごしたからこそわかったことだ。
 黙っているクリスに何も言わず、ミエスは近くにあった椅子に座る。それを、クリスはただぼんやりと見るだけだった。
 五年前に王宮へ来たが、今だ慣れることはない。どこかきらびやかなこの部屋が、自分はここの主にはふさわしくないと主張しているようだ。
 母が生きていたころは、貧しくもそれなりに楽しく過ごしていた。母が死んでから王宮へ来るまでは、生きるのに必死だった。今は、どうだろうか。
 たまに、ふと考えてしまう。自分は今まで、ただ流されているだけではないだろうかと。当たり前だが、答えてくれる人などいない。それは、自分が決めることなのだろう。
 ミエスを見る。彼は、今何を思ってここにいるのだろう。なぜ自分を連れ戻したのだろう。
 色々聞きたいことはあるのだが、結局クリスは何も言えない。ミエスとは長い付き合いだが、それでもクリスは何も言えなかった。
「会わなくていいの?」
 ミエスが、また聞いてくる。彼の問いは、クリスにとって答えるのが難しいもの。それに対し、クリスはやはり答えることができなかった。
 彼に会いたい。ほんの数日一緒に過ごしただけなのに、クリスは彼に会いたかった。過ごした日々は短かったが、それでも彼との日々はクリスにとって心安らぐ日々だったのだ。
 だからこそ、お礼が言いたい。自分を拾ってくれたことを、面倒に思ってても共に過ごしてくれたことを。
 けれども、クリスは彼に会うのが怖い。今まで自分が行ってきたこと、これからもするであろうことを知られることが、クリスは恐ろしかった。
 もしかしたら、もうすでにミエスの口から知らされてるのかもしれない。次に会うときは、彼は自分と会うのが嫌になってるのかもしれない。
 それは、会ってみないとわからない。考えすぎかもしれないが、それでもクリスは彼に軽蔑されるのが、嫌われるのが怖かった。嫌だった。
 クリスは、何も答えない。それをミエスはどう判断したのか。彼はくすりと笑っていた。
 どうしたのかと問おうとした。しかし、こういう顔をするミエスはだいたいろくでもないことを考えている。なんとなくだが、今も変なことでも考えているのだろう。
「ねえ、お願いがあるんだ」
 ミエスがクリスをじっと見て言う。彼は、たまにじっと見て『お願い事』をしてくるのだ。それは、だいたいがクリスにとっては嫌なことである。
 嫌な予感を覚え、クリスはミエスの言う『お願い事』を聞く。そして、クリスはそれを聞いたことを後悔した。

 あれからどれくらいの時間が経っただろうか。
 色々考えてみたが、答えは自分の中から出なかった。
 クリスとまた一緒にいたい。その気持ちはあるのだが、彼女はエルヴィンとは違う世界の人間だ。
 エルヴィンは、元帥の義理ではあるが子供である。しかし、社会階級でいえば庶民と何ら変わりない。クリスのような王族でさえ、一目見ることが難しいのだ。
 もう一度、空を見た。空は先程と変わらず青いが、少し雲が増えてきている。もしかしたら、明日は雨が降るかもしれない。
 なぜ明日の天気のことを考えてしまったのだろうか。それはクリスの影響だと気づき、エルヴィンは苦笑する。クリスとは、よく天気の話をした。雨の日の匂いが好きだとか、晴れてる日はなんとなく元気になるだとか。
 最初はエルヴィンはただ黙って聞いていたが、いつしかエルヴィンも天気を気にするようになっていった。そして今、まさかここまで自分は彼女に影響されているのだと実感してしまった。
 もう、彼女がいない日が考えられなかった。それほどまで、エルヴィンの生活に影響を与えすぎたのだ。
 しかし、このままではいけない。彼女とは離れなければならない。せめて、自分の中で区切りをつけたい。それが、たとえ独りよがりの望みだったとしても、彼女にとって迷惑以外の何物でもなかったとしても、エルヴィンはそうしたかった。
 クリスを探そう。最後に、せめて彼女に別れの挨拶をしたい。例え彼女が何も言わなくても、自分から別れの言葉を言いたかった。
 座っていたベンチから立とうと思った時だった。かなり強く、後頭部を叩かれる。振り返ろうにも、うまく頭が働かない。意識が、途切れそうだった。
 ふと、意識を失う直前に声を聞く。
 ――ごめんなさい、エル。
 それは、ずっと聞きたかった少女の声だった。



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