症状、悪しからず
※「症状、良からず」の続きです。



夜中に物音を聞き、カイトは目を覚ました。ナンバーズハントをしていた頃は眠りが浅かったから、きっと習性というべきその習慣が治っていないのだろう。
それならそれで再び眠ってしまえばよかったのだが、如何せん、ナナシが熱を出している。彼女はカイトと同じく何かと人を頼りたがらないから、もしかしたら起きて何かしようとしているのかもしれない。
そう思うとだらだらと眠りに戻るわけにもいかず、カイトは自室を出た。キッチンの方が明るい。念のためナナシの部屋を見やれば、最小限に落とされた照明の下で彼女の部屋のドアが開いているのが見えた。やはりか、と溜息を吐いてキッチンに向かう。

「……っは…」

果たしてナナシは確かにそこにいた。シンクに寄りかかるようにして立っていて、ぐったりと項垂れている。カウンターの上に置いた手には3分の2ほど水の入ったコップが握られている。傍らには空になった薬の容器と、タオルに巻かれたアイス枕もあった。

「…ナナシ」
「……?」

顔を顰めたナナシが緩やかに振り返る。その拍子に微かにバランスを崩したのを、カイトは見逃さなかった。コンマ数秒、視線を合わせたナナシはゆっくりと吐息しながらコップの中の水をシンクに捨てた。

「辛いのか」
「…ん」

頷いたナナシの額には貼っていた冷却シートはない。カイトは順繰りにナナシの額から首に触れた。熱い。

「…カイト」
「ん」
「起こした…?」
「俺の眠りが浅いのは知っているだろう」

気にするな、と言外に告げる。ナナシは微かに唇の端を引きつらせて笑うような仕草を見せた後、カイトに体重を預けた。ぐったりと脱力しきった身体は常よりいくらか重く感じられ、カイトは眉根を寄せてナナシを支えた。

「…一時間起きに、目、覚めるの、辛いね」
「…俺を起こせばよかったんだ」
「ちゃんと、寝て…ほしかったから…」
「………」

カイトは思わず溜息を零した。高熱が出ているのだから素直に頼れば良いのに、この姉は。とはいえ、誰をも拒絶していた過去のある彼に強く指摘する事はできない。
片手でナナシを支え直し、冷蔵庫から冷却シートを取り出したカイトはそれを予告もなく勢い良くナナシの額に貼り付ける事で説教の代わりとした。びくりと跳ねたナナシをシンクに寄りかからせる。

「…つめたい」
「そのための冷却シートだ。…ほら、これを持て」

カウンターに置かれていた温いアイス枕を冷凍庫の奥に押し込み、新しいものを取り出す。それをタオルで包んで押し付けられたナナシが素直に受け取ったのを確認し、カイトはナナシを横抱きにした。

「…歩ける」
「信用できんな。水を飲むのもやっとだろう」

水滴の残るコップを一瞥して吐き捨てる。ナナシが顔を伏せてカイトの肩口に押し付けた。否定されないのは肯定の印だと勝手に解釈し、鼻で笑ったカイトはナナシを刺激しないように常より緩慢な足取りでナナシの部屋に向かった。
夏用の肌かけと、冬用の羽毛布団が重ねられた、何とも季節感のない事になっている部屋のベッド。その上にナナシを寝かせ、彼女が持ったままのアイス枕を受け取って頭の下に差し入れてやって、カイトはナナシの頭をそっと撫でた。

「…次は起こせ」
「…覚えてたら、ね」
「…あまり困らせるな。素直に頼られた方がまだいくらか楽だ」
「…説得力ない」

ぴし、と軽く額を弾くようにして諌め、ナナシが不満そうに目を細めたのを尻目にカイトは踵を返した。

「…戻る?」
「あぁ」
「そ…おやすみ」

あからさまに落胆した声に平坦な声で「おやすみ」と返し、自室に戻る。そしてベッドからブランケットと連絡用の端末を掻っ攫い、クローゼットからは冬用の羽毛布団を引っ張り出してナナシの部屋にとんぼ返りする。ベッド生活に慣れているし客が来るような家でもないが、敷布団の一枚でも買っておくべきかもしれないとカイトは思った。
もたくさと再び扉を開けるとナナシはしぱしぱと驚きの表情を見せた。その目が潤んでいるのは、決して熱のせいではあるまい。

「…戻る、って」
「俺の部屋に戻る、とは言っていないだろう。…今日はここで寝る」
「うつったら、どうする、の」
「その時はその時だ」

ばふ、と羽毛布団を敷布団代わりに、その上に横たわってブランケットを羽織る。少々暑いが、ナナシの傍を離れたために彼女の不調にすぐさま対応できないよりは良い。
もそもそと音がして、ナナシがベッドの淵からカイトを覗き込んだ。じんわりと目に浮かんだ瞳が今にも零れ落ちそうで、カイトはその目尻を緩やかに擦る。

「…泣くな、ナナシ」
「で、でも、さびしくて…何か、こわく、て……、…ね、カイト、いてくれる?」
「当たり前だ…何のために冬用の布団まで引っ張り出したと思っている」
「…う、うぅ…うー」

ナナシがひょいと引っ込んだ。ぐずぐずとみっともない嗚咽の声を聞くに、どうやらよほど心細かったらしい。元はといえば自分の眠りが浅いのを良い事に彼女が一人で無理をしないか見張る目的で布団を持ち込んだが、別の意味でこれは正解だったようだ。
溜息を吐いて腕を持ち上げ、ぽんぽん、とベッドの端を叩く。数拍の後、ぱし、と熱いものに握られた。昼間に飲ませた解熱剤は、もうとっくに効果を失ってしまったのだろう。だとしたら真紅のカウンターに置かれていたあれは、ナナシが自発的に服用した名残だったのだろうか。
とにかく彼女が泣き止むまでは眠れはしないだろうから、それまでは手を握らせておこう。末端から完全に血の気が引いてしまう前に、泣き止んでくれたら良いのだが。
姉の泣き声を心苦しく聞きながら、カイトは欠伸を一つ零して握られた指先に少しだけ力を込めた。
幸いにしてこの夜カイトもナナシも起きる事はなく、翌朝にはナナシの熱はすっかり引くのだが、それを知るまであと数時間は要するのだ。



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