宇宙を考えることは、わたしの日課になっている。宇宙を考えるわたしは、宇宙とは何たるかを少しばかり知っている。宇宙とはわかるものでなく、皆、わかっているもの、知っているものなのだ。


「あんたね、いつまでもぼんやりしてないでよ。もう中学二年生でしょう」
「宇宙を考えてるのよ」
「もう、しっかりして!」


べしっと叩かれたその頭には、宇宙があるというのに。わたしを叩いた母は、何と愚か者だろう。いや、仕方ないことだ。わたしの知りうる宇宙と比べたなら、小さな小さな出来事なのだ。わたしが在るという宇宙、わたしが有るという宇宙、この部屋が、この引き出しが、この胸が、この頭が、わたしという宇宙。開け放った窓の外だって、小さな小さな、そうして無限なる宇宙。手を伸ばしたなら、掴めそうだ。


「宿題やりなさいよー!」


階下で愚か者の声がした。うるさい、今わたしは、宇宙を掴めそうなのに。宇宙を、宇宙をこの手に。わたしの知りうる宇宙を確固たるものに。掴みたくて、欲をかいて、思いきり手を伸ばした。あ、もう少しで──

ドスン!


「やあね、誰か落ちたのかしら」


愚か者の笑い声が、からからと宇宙に響いた。





_20100827

宇宙となる死



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© 楽観的木曜日の女