『...着いてこないで』


「ちゃんと1m離れてるよ?」


『見ればわかるわよ...』





そう言ってグッと眉を寄せたある日の夜、近頃私が仕事を終えて帰宅しようとすると、必ずと言って良いほど私の後ろには仙道さんの姿があった。夜遅いから、なんて理由で私に付き纏ってくるこの男に、私は心底うんざりしてる。仙道さんが近くにいると、バーに行っても声をかけられなくなったし、家まで着いてくるしで、私は落ち着かなかった。あんたなんか、嫌いなんだから。と、思うのに、どうしても私の口からは仙道さんへ向けて『嫌い』と言う言葉は出てこない。私は諦めた様に仙道さんの方へ体を向けて『何が目的なの?』なんて口を尖らせた。仙道さんは少し困った様に笑って「花子ちゃんの側に居たいだけ」と、意味深なことを言ってから、続け様に「それに、1人にしたら他の男に抱かれちゃいそうだし」なんてどんどん私との距離を詰めていく。私は図星を刺されたみたいに仙道さんから視線を逸らして『なんで、そんな事気にするのよ』と、期待しているみたいな自分を誤魔化すみたいに下唇を噛み締めた。





「花子ちゃんさ、本当はもうわかってるでしょ?」


『何をよ...』


「俺が花子ちゃんをどう思ってるのか」


『そんなの...わかんないわよ』





わかりたくも、無いし。なんて私が口にする前に、仙道さんが私の腕を掴んだ。腕を掴まれた瞬間に、仙道さんに視線を移すと、いつもよりも熱い様な瞳で私を見つめていて、私の顔と頭が、何故だが一気に熱くなる。何よ、わかってるって...わかる訳、ないじゃない。なんて、ぎゅっと目を瞑っていくと、私の唇に仙道さんの唇が軽く当たった。小さくリップ音が鳴ったと同時に私が瞼を開けると「本当に、わかんないの?」と、眉を寄せながら仙道さんが私を見つめていって、私は困った様に眉を寄せて仙道さんを見つめる。わかんないなんて口にしている癖に、私は仙道さんの言葉の意味を本当はわかってた。仙道さんが、私に好意を寄せてることを。だけど、そんな自惚れる様な考えをかき消すみたいに、私は牧さんがまだ好きなんだ。って、呪文みたいに唱えていって、仙道さんから思わず視線を逸らした。だって、この前まで私は牧さんの彼女を見て、牧さんが彼女に囁く愛の言葉と、彼女を愛しそうに抱きしめて優しく笑う牧さんの顔を見て、沈んだ様に泣いていたから。そんなに、次の恋愛だなんて、私はすぐに気持ちを切り替えられる訳じゃない。困った様に更に眉を寄せる私に、仙道さんが「別に良いよ」なんて言って、私の腕を掴む手に力を込めていく。





『何が、良いのよ...』


「花子ちゃんがまだ牧さんを好きでも、良いよ」


『だから何が...ッ...』






言い終わる前に再び仙道さんが私の唇を奪っていって、私の口内に舌を滑り込ませていくと、私は応えるみたいに舌を絡めていった。自分でもなんで仙道さんの口づけに応えてるのかわからない。だって、私が好きなのは牧さんで、牧さんのはずなのに、どうして仙道さんにキスされただけで、こんな気持ちになるの...なんて、何故だが私の胸がちくりと痛んだ。好きじゃない、私は、あんたなんて、好きと言うより嫌いなのよ。と、頭に出てくる言葉が、仙道さんの舌に絡めとられていくみたいに消えていく。唇が離れて「抱かれるなら、俺にしてよ」なんて言った仙道さんの言葉を、何故だか私は拒めなかった。このまま、流されてしまったら、私は牧さんを忘れて、次の恋愛に進めるの?なんて仙道さんに質問したって、きっと答えは返ってこない。それとも、私はもう、牧さんを好きだという気持ちなんて忘れてしまった?この前、仙道さんに抱かれた時に目を瞑ったって、牧さんの顔は何故だか出てこなかった。そして何よりこの前、仙道さんに抱かれている時に目を瞑って出てきた顔は、目の前で私を抱いている、仙道さんの顔だった。そんな事も私は何故だか悲しくて、自分がこんなにも軽薄で、仙道さんが抱いてきた事で牧さんを忘れる様な、浅はかな女だと思わなかった。なんて考えていた私の頭の中が、見えてるみたいに仙道さんが「前から言ってたよね?俺が、忘れさせてあげるって」と、眉を寄せて小さく笑った。私が何か口にする前に、仙道さんが私の唇を奪っていって、私の腕を掴んでいた手を離すと、仙道さんはスルリと降りていった手で私の手に指を絡めていく。ギュッと痛いくらいに握り締められた私の手が、じんじん痛くなっていく様な気がして、同時に仙道さんの熱い気持ちが絡んだ指から伝うみたいに、私の胸が熱くなっていった。





『い、1m...っ...!』


「嫌なら、ちゃんと突き放してよ。俺の事」


『本当に...』


「出来ないなら、やめない」


『仙道さ...ッ...』


「花子ちゃん。ちゃんと俺を拒んでよ...」





「じゃないと、俺...止まれない」なんて言いながら仙道さんが私の唇にまた吸い付いた後に、私の手を引いて、どこかへ向かって歩いてく。仙道さんの名前を呼ぶ私の声なんか聞こえないみたいに、仙道さんが足を早めて、私は何故だか仙道さんが絡めた指を振り払うことができなかった。









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