人間が受ける情報の約8割は視覚だ。続いて聴覚、嗅覚。つまり、ほとんど見た目の情報が全て。大半の女性は化粧をしてる理由、つまり、そう言うことだ。みんな見た目を気にしてる。もちろん声色だって高ければ男性に受けるし、好みが分かれるかもしれないけど、香水をつければ匂いだって補える。男性受けする化粧をして、髪型を整えて、身なりに気を使う。勿論香水だって忘れずに。それから電車に乗って職場へ向かう。私はそうやって生きてきた。なんたって、職場には大好きな彼がいるんだから。






『最近上機嫌ですね』


「普通だと思うが」


『鼻歌、歌ってましたよ』




「そうか?」なんて言って私の隣を歩いているのは私が大好きな彼、牧紳一という男だ。彼は私の理想とする男そのものだった。男らしくて、大人の余裕があって、その上顔もイケメンで、スーツの上からでもわかるくらいのガタイの良さ、彼の全てが完璧だと思ってる。そして会社の社長で、私は彼の秘書という立ち位置から彼のスケージュール、食の好み、体調管理、プライベートまで全てを把握していると言っても過言ではなかった。私以上に彼を把握してる人はいない。公私共に彼を支えていきたい。とさえ思ってる。だけど最近どうも様子が変だった。彼の鼻歌なんか秘書になってから一度も聞いたことがないし、ソワソワしていて落ち着かない。仕事は完璧にこなしてるけど、仕事が終わると飲みにも行かずにサッと帰るようになったのだ。女の勘、と言うよりは、誰だって様子を見ればすぐにわかる。彼女が、出来たんだ。ショックだった。私は1番彼の側に居て、彼の全てを把握していると思っていたから。どうして、私じゃないんだろう。きっと彼が想う相手は、私よりも美人で、私よりも凛としていて、彼の横に立っていても絵になるような、そんな人...なんだろうな。なんて思って、私は仕事中ずっと上の空だった。

















仕事帰りにいつものバーで飲んでいたら、この前寝た男がたまたま来ていたらしくて、また寝よう、なんて声をかけられた。だけど私は一度寝た男と二度寝ない。どうせ、皆、彼の代わりなんだから。誰と寝たって変わらないのに、だけど好きになられたりしたらそれはそれで面倒だし、一回割り切りがちょうど良い。




『一晩限りって、言ったでしょ』


「俺たちめちゃくちゃ相性良かったじゃん」


『あのね...。言っとくけどあんたは全然上手くない。それに相性だって良くないし、自分に都合のいいように解釈しすぎ、どうでも良いし、私はあんたに興味ない。良いから消えて』


「ッ...!なんだと、この!」




言いながら男が拳を振り上げてきて、殴られる、って思った瞬間に私は自分の頭を腕で防御して目を瞑った。だけど一向に降ってこない拳に、私は目を少し開いて腕の力を少し緩める。途端に目の前に見えてきた光景は、バーテンの格好をした男性が、男の手首を捻り上げていて「お客様、女性に暴力はカッコ悪いんじゃないですか?」と、ニコニコしながらそう言っているのが見えた。「それに警察沙汰はあなたも困るでしょ」と、続けて言うと、男は舌打ちしながら「このクソビッチが!」なんて台詞を吐き捨てて、勢いよく店を出ていく。他のお客の視線が私に刺さって、酷く恥ずかしかったけど、助けてくれたバーテンの人にお礼を言わなくちゃ、と思って頭を上げた。ありがとうございました。と、声をかける前に驚いたのは、彼くらいの身長の高さだと思ったから、いや、それ以上かもしれない。そのまま声を出せない私に「大丈夫?」と、声をかけてくれたバーテンの人の言葉にハッとして『ありがとうございました』なんて言って私は深々とお辞儀をした。





「いや、怪我がないなら良いんだけど。君も煽るような発言はやめといた方が良いんじゃない?えーっと...田中...さん?」


『え...?なんで、名前を...』


「あはは、ごめんごめん。社員証、まだつけたままだから勝手に見ちゃったんだ」





そう言って自分の首元を指差しながら、バーテンの人が笑って私は確認するみたいに自分の首元に視線を落とす。あ、本当だ...。何やらかしてんだろう、色々。なんてはぁっとため息を吐きながら社員証を首から外して、バックの中に押し込んだ。それと同時に『すみません。お店に迷惑かけちゃって...帰りますね、お会計いくらですか?』と、淡々と続けた私にバーテンの人が「今日の会計は大丈夫」なんて言うもんだから、私は眉を寄せながらその人を見つめた。何、言ってんの?もう出禁って事?なんて思ってる私に「お礼と言ってはなんですが、俺と今晩いかがですか?」と、目を細めて笑ったその人に、私は更に眉を寄せて、この人下心ありありで助けたの?まぁいいか。別にこれと言って予定はないし、なんなら明日休みだし。誰と寝たって、結局彼の代わりなんだから。誰だっていい。だなんて思って『いいですよ。ただし、一晩限りですから』と、ため息まじりに呟いた。その人はニコッと笑いながら「じゃ、俺が仕事上がるまでちょっと待っててください」なんて言って、バーカウンターに戻っていく。私は椅子に座り直して、残ってるお酒を一気に飲み干した。








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