Chapter 1


 ファウストゥス暦422年、帝国はひとつの危機を迎えた。
 聖俗五選帝侯によって皇帝に選出される権利を有する帝国三大公爵家のひとつ――アクィレイア家当主カトゥルス・アクィレイアを中心とし有力諸侯によって結成されたアウグスト同盟。現帝国皇帝たる女帝ラヴェンナに叛旗を翻した彼らは、女帝の退位を求め、帝都ティエルを包囲した。帝都が膠着状態のまま約半年に亘る籠城を余儀なくされたこの事態を打開する直接的な契機となったのが、帝国二大騎士団との呼称を持つ騎士団の片翼――ヴァルーナ神教カテル・マトロナ派のオルールク騎士団とウォルセヌス・アクィレイア率いる帝国軍による、帝都を包囲する諸侯連合軍の――結果として挟撃となる――東西からの後背への攻撃だった。これにより諸侯連合軍は瓦解し、アクィレイア公爵カトゥルスは戦死。帝都内部にてアウグスト同盟に連なっていた当時の宰相メルキオルレ・マデルノは帝都第一層に聳える監獄――レーム塔に送られ、アウグスト同盟に連なった諸侯の多くは女帝の粛清を逃れるために隣国アレス王国に亡命した。
 市民軍のオルトヴィーン・ヴァースナー、近衛軍のヨハン・ラングミュラー。そして、帝国軍のウォルセヌス・アクィレイア。
 アウグスト同盟と対峙し、帝都を、ひいては皇帝を解放すべく尽力した各軍を率いていた帝都解放時の指揮官たちは、ファウストゥス暦423年現在、帝都のみならず帝国全域より尊敬と憧憬をその身に集める存在となっていた。
 そのウォルセヌス・アクィレイアが近衛軍――つまりは女帝によって身柄を拘束されたというこの事態は、帝国民――特に彼によって数ヶ月にも亘る籠城から解放された帝都市民――にとっては、奇妙であるばかりか女帝の忘恩としか受け止められないようなものであり――――。

「だが、どうやって彼らを宥める」

 やれやれといった調子で嘆息する老将の零す言葉が端的に表しているように、帝都解放に貢献したウォルセヌス麾下の兵にとって、それは帝都市民が受け止めている以上に腑に落ちない事態だった。

「私だって、できれば食ってかかりたいですけれどねぇ」

 にこにことそんなことを言い出すカールトン。今度こそ、誰の目にも明らかに、老将は茶目っ気たっぷりの笑みを浮かべながらわざとらしく太い片眉を上げてみせる。

「貴殿がそれでは、誰が皆の熱を冷ますというのか」
「おや。と、いうことは、ヘルツォーク殿も皆の先頭に立つ気満々ということですね?」

 これは心強い、と、あえて笑顔を崩さない同僚に、

「冗談だ」

 勘弁してくれ、と言わんばかりにかぶりを振りながら老将は軽く諸手を挙げ、

「勿論、冗談ですよ」

 カールトンが楽しげに笑う。哀しいことに我々の立場ではそう安易には動けませんが、などと口にしながらカールトンは書類に塗れた机の上に眼を遣り、そこにあったはずの何かを探して手を這わせた。やがて家族の肖像画が収められている小さな木枠の下に目的のものを発見した彼は、そこにあった巻き癖のついている紙片を人差し指と中指とで挟み、老将に見えるよう己の目の高さまで持ち上げてみせる。
 ぱちり、と、暖炉の薪が爆ぜた。

「総督の近況を教えてくれた鳩とは別の鳩が運んできてくれた命令です。ここキィルータにて身柄を押さえている、帝都包囲時に宰相メルキオルレ・マデルノを逮捕する決定打を与えてくれた証人を、帝都に移送しろ、と」

 わずかに、老将の纏う雰囲気に呆れのようなものが含まれた。

「正規文書ではなく鳩とは・・・」
「相当、急いでいるのかもしれませんね。常に絡み合い縺れ合っている帝都の内情など、幸いにも、遠く離れたこの地からは見通すことなどできませんが」
「連れていくのは誰だ?」
「こちらの責任をもって」

 ここでカールトンはゆっくりと椅子から腰を浮かせる。

「護送というかたちを採るのが無難なところでしょう。陛下の許へ送り届ける前に大切な証人を何者かに奪われる、などといったことは、断じて避けなければなりませんから」

 口許の笑みを深くする老将を、その愉快そうに細められた隻眼を、正面からカールトンは捉えて。

「帝都へ赴く口実ができましたよ」

 デシェルト総督の副官は、にっこりと、どこまでも穏やかに微笑んでみせた。

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