「おーい」
「………」
「眠ってるんですかー」
「………」


珍しい、とひとりごちた言葉は誰に届くことなく消えていった。



make a faint of slumbering




薬学部に所属する相手に呼び出されて、空き教室で落ち合ったのは小一時間程前だったか。

昔から数字や方程式やらには滅法強い彼は唯一英語が苦手らしく(それでも平均点は取ってたけど)、彼が得意な数字には滅法弱いけど英語はそれなりに堪能な私。得意分野が違うならソレを利用しない手はない。数学や理科で困った時は私が彼を利用して、英語で困った時は彼が私を利用する。高校生から大学生になった今でも変わる事はなかった。

今日もそう。やたらと課題を出されているらしい彼はそれらを器用にやり過ごし、けれどもその中に英語に関する物があったようで。彼からの電話での開口一番は「パフェでもアイスでも奢るから手伝え」だった。締め切り間近とはいえ、とても人に頼む姿勢じゃない。けど、まぁ奢ってもらえるならいいんだけれど、どうせヒマだったし。


「……ねぇ。ホントに寝てんの?」


レポート用紙数枚と薄っぺらい教科書、分厚い参考書と辞書が数冊散らばったテーブルの上。彼は背中を丸め、両腕を枕にして突っ伏していた(腕が痺れそうだ)。

報酬内容を決めて、頼まれた課題を始めて30分経ったか経たないか。さっきまで他の課題をやっていた彼を参考書越しに見る。一見、眠っているようにも見えるけど、フリかもしれない。人前で眠るなんて、警戒心旺盛で神経過敏な彼ができるとは思えなかった。


「そんなに疲れてんの?」


隣りに座る彼からは規則正しい息しか返ってこなかった。すぅ、すぅ、と聞こえるソレは寝息というやつだろう。

ホントに、珍しい。

そういえば最近はバイトだ試験だ課題だ、と忙しそうにしていたかもしれない。特別気にかけてたんじゃないからよくは知らないけれど。


「…ね、怖いもの ってある?」


眠っている(かもしれない)人間に話しかけるなんてバカげてるけど、聞いてみたかった。それに相手に意識がないからこそ聞ける事だった。


「私はいっぱいあるよ」


今なら夏休みに待っている実習とか、いつも眉間にシワ寄ってる学科の先生とか、にょろにょろ出てくる蛇とか、ぶんぶん言って飛んでるハチとか、満員電車とか、初対面の人とか、突然どっか行っちゃうお母さんとか。あ、コレは怖いってか寂しいかな


図書館で借りた英和辞書をぱらぱら捲りながら、ひとり零した。やっぱり返答はなくて、こっそり安心。


「って、言わなくても知ってるか」


それくらい、彼との付き合いはあると思う。むしろ今更うるさいって言われそうだ。俯いてて今は見えないけど、面倒くさそうに歪む表情を簡単に想像できる。


「…あと、死 も、怖いよ」


金色に似た茶色いかたまりに一方的に言う。


「自分の死はもちろん怖いし、他の人の死も怖い。…お父さんとかお母さんとか友達とか、考えただけで……絶対、泣く」


さらりと流れるそれを見て、なぜだか満月を思い出した。


「もしあんたが死んだら、やっぱり泣くと思うよ」


さめざめと泣く人間は嫌いだと言っていた。しかも理由が彼に関することで。彼のために泣く、彼を想って泣く。その行為は彼を酷く不快にさせるらしい。

見たんじゃない、聞いた話。
大学近くの道端に、女優並みにさめざめと綺麗に泣く女性がいた。そんな風に泣かれたら誰もがすぐさま走り寄り、慰め、抱き締めるだろう、映画のようなワンシーン。けれど彼は、一刀両断で切り捨てたという。泣いて縋る女性を一瞥もしないで立ち去ったという。

単なる噂話だから全て本当じゃないだろうけど、あながち嘘ばかりでもないんだろう。


「きっと、あんたの事だから偽善だなんだって鼻で笑うんだろうけど。やっぱり泣くと思う。……だって、あんたと話すのはもう当たり前になってるんだもん。それが前触れもなく…あったとしても、永遠になくなったら、悲しいよ…」


今まで一度だって彼のために、彼を想って、無償で何かをした事はない。


「だから…。一生に一度くらい、あんたのために泣いてあげるよ」


あんたがいなくなった後なら文句も言われなくてすむだろうし、いつの間にか寝息の消えた茶色いかたまりに、そう呟いた。


「………さて、もう一息頑張ろっかな。クレープのために!」


お目当ての英単語が見つかって、私は課題の続きに取りかかった。


微睡む



20110428



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