初めて僕のピアノを聴いた時、貴女は言った


「すごくキレイ! 私、きみのピアノ好きだな」


あの日から僕は笑う貴女から目が離せなくなったんだ




第三曲




3月の晴れた日。強い風に桜の花びらが舞い散る中、卒業式は厳かに執り行われた。

聴き手は今日、学校を卒業する。


「って訳で、見てみて! 卒業証書!」
「………」
「ちょ、なんか言おうよ」
「よかったですね、なんとか卒業できて」
「うんっありがと! でもこんな時くらいトゲはなくしてほしかったな!」


幾分か普段よりも気分が高揚している聴き手は、卒業証書を手にキレイに笑った。

きっと最後になるんだろうと思いながら、聴き手は旧音楽室に来ていた。演奏者がいる事を半ば確信して。そして予想通りに演奏者はピアノの前に座っていた。聴き手は嬉しくなって、さらに笑みを濃くした。


「それでね、」
「どうせお祝いに1曲弾けっていうんでしょう?」


どこか呆れたような諦めてるような響きを伴って演奏者は言った。聴き手はなんで分かったの? と驚いたが、分からない方がおかしいと演奏者は思った。


「…でもまぁ。確かにおめでたいことですからね」
「弾いてくれるの?」
「大人しく聞いてくださいよ」


もちろん、と勢いよく頷いて聴き手は定位置のピアノの横に行った。演奏者の横顔がよく見えるその場所で、いつもなら座ってしまうけれど、今日は立ったまま聴いていようと聴き手は思った。

演奏者はゆったりと指先を鍵盤に置いて、聴き手をちらりと見た。変わらずにこにこ笑っている聴き手だが、その両目が赤くなっている事に演奏者は気付いていた。聴き手の事だ、式で大泣きしたのだろう。そのまま友達といればいいのに、けれど会いに来てくれたことが嬉しくて、でもそれを表には出したくなくて、演奏者は黙ってピアノを弾き始めた。


静かに静かに
鬱々とすら感じる、始まり

音もなく空を渡る雲のような
光を遮る薄い雲

けれどその美しさは揺るがない

そして軽快なリズムに変わる
広がっていた雲が霧散して
輝く光が包み込んで

一転、激しさを伴う強い音
強くて頑なで、繊細な


(なんだろう……冷たいのにあったかい、少年のこんなピアノ、初めてだ)


泣きそう


「………実は、決めた事があるんです」


音色が鳴り止み、余韻に浸るようにうつらとしていた聴き手をしばらく見ていた演奏者は、ことさら丁寧に口を開いた。


「…やっと決心できた事なんです」
「うん? なになに?」
「ウィーンに留学します」
「うぃーん…?」
「ハア…先輩、機械音みたいに言わないでくださいよ。ウィーンは地名ですオーストリアの首都です」
「オーストリア? コアラ?」
「それはオーストラリア。オーストリアはヨーロッパ、オーストラリアはオセアニアです」
「ふーん」
「…(これは分かってないな、もういいけど)」


地理って難しいよねなんて言って笑う聴き手に、演奏者は呆れてため息をつきたくなった。


「それで留学ってピアノのため?」
「はい」
「へえ! スゴイじゃん、ヤッタね! いつ行くの?」
「準備が出来次第、行くつもりです」
「そっかーよかったね! 少年」
「……ありがとう、ございます」
「? 少年?」


躊躇いがちに答える演奏者を不思議に思って聴き手は首を傾げた。何か言いたくて、でもなかなか言い出せなくて、口ごもる演奏者を聴き手は黙って待った。

少しの沈黙のあと、演奏者はまっすぐ聴き手を見た。ここまで真摯に見られるのは初めてかもしれないと聴き手は思った。


「…先輩の、せいなんです」
「え?…なにが?」
「留学です」
「あぁなるほど、私のせいなんだ。ごめんー……って私、少年に留学しろなんて言ったっけ?」


頭の上にクエスチョンマークを盛大に出してる聴き手は演奏者の意図が掴めず首をひねった。


「いいえ、言われてません」
「だよね!」
「でも、やっぱり先輩のせいなんですよ」


先輩が、ピアノを弾くことの楽しさを、思い出させてくれたから、なんですよ



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