夜雨対床

※準太と阿部が兄弟の話








「おはよ」

 トーストを齧っていた隆也が振り向く。唇の端にパンくずがついていた。

「はよ」
「今日ははえーな」
「うん」

 パンくずを指で払ってやると、隆也は嫌そうに眉を寄せながらも「ありがと」と言ってコップの中身を飲み干した。

「準太は今日午後からよね?」
「うん」

 母さんから焼きたてのトーストを受け取ると、隣の隆也はカチャカチャと食器を片づけ始め、さっさと2階に上がっていってしまった。
俺が食後のコーヒーを飲み終わった頃、玄関から「行ってきます」という声が聞こえ、次いでドアの閉まる音がした。

 
 桐青中学に通う俺とは違い、弟の隆也は公立の中学に通いながらシニアリーグのチームに入っている。
お互い幼い頃から野球をやっているが、親の方針で今までずっと違うチームだった。
しかし俺は投手で隆也は捕手。
バッテリーを組んでちゃんとした試合に出たい、と思ったことは何度もあった。
 俺が小学3年生になり地域の少年野球チームに入ったとき、隆也は自分も同じチームに入ると駄々をこねて両親を困らせた。

「おれ、お兄ちゃんのキャッチャーやる」

まだ小学校低学年で、チームに入れない隆也はそう言って涙ぐんだ目をこすった。
そのとき俺はある疑問を抱いた。
野球は昔から好きだったが、俺はまだチームに入ったばかりで、どこのポジションがいいとかそういうこともまだちゃんと考えていなかった。
準太はなかなか速い球を投げる、とよく父に褒められていたし、活躍したら注目されるからピッチャーがいいかなと思っていたくらいだ。それを隆也に言ったことはある。
他の子も皆、やはりこぞってピッチャーやサードなんかをやりたがった。
中学生になった今でこそ捕手というポジションの大切さがわかってきたが、小学生の子供が自分からやりたがるようなものか?
隆也は最初から捕手一筋だった。
 3年生になり、念願叶って少年野球チームに入った隆也は迷わず捕手を希望した。
俺とは違うチームに入ったので、バッテリーを組むことはなかったのだが。

 中学生になり、シニアに入った隆也は榛名という俺と同い年の投手とバッテリーを組むことになった。
毎回身体にアザを作って帰ってくる隆也を母は心配したし、俺はそれ以上に話したこともない榛名という男に怒りを抱いていた。
隆也は自分のキャッチング技術が未熟なせいだと言ったが、こんなアザがたくさんできるほど身体にボールを当てるなんて、あきらかに投手の方に問題があると思った。
(どんだけノーコンなんだよ、クソ榛名)
俺は隆也を大切に思ってる。
野球部の友人なんかにはよくブラコンだと言われるが、家族を大事にするなんて当たり前だ。
誰がなんと言おうと俺は隆也が大事だし可愛い。
しかしそれだけではなく、俺は隆也と「バッテリー」を組んでいる榛名に嫉妬していた。
兄としてではなく、投手としての嫉妬だ。
楽しそうに練習へ出掛ける背中を見れば切なくなったし、榛名のボールを捕れるようになったと興奮しながら話すのを聞けば胸が苦しくなった。
 隆也は良いやつだ。なによりも野球が好きなやつだ。
キャッチング技術もなかなかだと聞くし、頭もキレて意地が悪いところも捕手向きだ。
 前に一度隆也のチームの練習試合を観に行ったことがある。先発バッテリーは隆也と榛名だった。
初めて見る榛名の顔は、俺の偏見も交じって嫌なやつっぽく映った。
神経質そうなツリ目で、隆也が話しかけても面倒くさそうな態度だったのが気にくわない。ダックアウトでもなにやら言い争いをしているようだった。
(普段からああなのか?)
そうならばなぜ隆也は、あんなにもワクワクとした表情で家を出るのか。痛む身体も気にせずに、入念にミットを磨くのか。
 試合が始まり、榛名がマウンドに上った。
榛名がその左腕を大きく振りかぶった次の瞬間、俺は右手を握りしめていた。
俺はまた、投手として榛名に嫉妬することになった。


*****


 俺は桐青高校に向かう道を歩きながら、野球と隆也のことを考えていた。
まだ入学前の身だが、入学後はもちろん野球部に入るつもりでいるので、部活の練習には参加している。
中学でお世話になった先輩も居るし、強豪校として知られる桐青で自分の実力を試したいというのもある。
 俺の進学を目前に控え、家の中がどこかそわそわしている中で、隆也だけは静かだった。
それはある日を境に表れた、ほんの小さな変化だった。
身体のアザが薄れてきたのと同じ頃から、隆也は家で榛名の話をしなくなった。
相変わらず野球は好きだが、練習や試合前の溢れんばかりの興奮が、伝わってこなくなった。
 榛名が関係していることは一目瞭然だったので、それとなく尋ねてみたこともあった。
しかしその度に隆也は話をはぐらかすし、一瞬傷付いたような表情をするので問い詰めることはできなかった。
(クソ榛名のヤロー)
 俺と同い年の榛名は、もちろんすでにシニアを退団している。
我ながら幼稚な考えだが、隆也と榛名がもうバッテリーではないと思うと清々した。
しかし隆也は榛名の存在を引きずっているようなので、手放しで喜ぶことはできないでいる。
 俺と榛名を挟んで隆也がいる。榛名は俺のことなど知らないだろうが、俺からしてみれば隆也を苦しませる榛名は煩わしいことこの上ない。

「あんなやつのこと、早く忘れちまえよ」

落ちていた小石を蹴飛ばした。


*****


「おかえり」

 家に帰ると風呂から出たところらしい隆也が、タオルで頭を拭きながら出迎えてくれた。

「ただいま、誰もいないの?」
「うん、なんか二人して出掛けた」
「飯は?」
「あっためるだけ」

 風呂でさっぱりと汗を流してから隆也と夕飯を食べた。
だらだらと互いの近況なんかと話しながら、のんびり過ごす。
こうして隆也とゆっくり話すのは久しぶりだ。
最近はお互い忙しかったし、隆也は前より家族と話さなくなった。
思春期にはよくあることだと両親は言ったが、俺はそんなの寂しい、とこっそり不満に思っていた。

 窓の外ではどうやら雨が降り出したらしい。
シトシトと雨垂れの音が聞こえる。静かな夜だった。

「そろそろ寝るか」

 頷いた隆也と一緒に二階へ向かう。

「じゃ、おやすみ」

 自室のドアノブに手をかけた隆也の横顔がどこか寂しそうに見えて、気がつけば俺はその手に自分の手を重ねていた。

「なに…」
「隆也」
「うん?」
「今日は一緒に寝ようぜ」
「…は?」



 なんだかんだと理由をつけて、隆也をベッドに連れ込むことに成功した俺は満足気に笑った。

「小さい頃はこうやって二人で寝ただろ」
「それすっげー小さい頃じゃん…」
「いいでしょたまには」

 呆れ顔の隆也はどうやら観念したようで、こちらに背を向けているのが気にくわないが、大人しく隣に寝ている。
しばらく他愛もないことを話していたが、いつの間にか会話が途切れて、二人して雨の音を聞いていた。

「隆也?寝た?」

隆也の背中に問いかけるが返事はない。
俺は少し考えて、そっと口を開いた。


「俺のキャッチャーになるって言ってたの、忘れちゃった?」


隆也の背中がピクリと動いて、小さく息をのんだのがわかった。

「たか、」
「覚えてるよ」

背中を向けたままで、隆也はぼそりと呟いた。
俺はなんともいえない気持ちになって、その答えが聞けただけで十分だと思った。
隆也の背中に自分の背中をくっつけて目を閉じる。
背中に感じる温もりは、とてもとても愛おしいものだった。


「なぁ隆也」
「なに」
「なんか悩んでたら、俺に言えよ」
「なんで」
「お前の兄貴だから」
「…うん」
「ずっと隆也の兄貴だから」
「…当たり前だろ」
「うん」
「…うん」
「隆也」
「なに」
「お前も桐青来いよ」
「………」
「考えとけよ」
「…考えとくよ」
「おー」
「………」

「おやすみ」
「おやすみ」












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夜雨対床(やうたいしょう)
意味:兄弟が相思う心情。雨の夜、その音を聞きながら兄弟が床を並べて仲良く寝るさま。

結局隆也くんは桐青には行きませんが
もし桐青に行ったら、めくるめく桐青×隆也ドリームが…!
少年野球チームに低学年の子は入れない云々はてきとーです

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